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うーん、今やこれも入手困難なのか(いや、古本屋に行ったらいっぱいあるだろうけど。現に今日も駅の出店で見つけた)。昭和62年にハードカバー版が出て、この文庫版は平成2年なんだから、当たり前っちゃ当たり前なんだろうが……。私はハードカバー版を中3の時に買って読み、多分大学に入ってからバイト先の古本屋で文庫本に買いなおしたんだと思う。当時はかなりのお気に入りだったんだが、最近はさっぱり読んでもおらず、古本屋行き選定リストに危うく入りかけたはずだ。再読は多分10年ぶり。いやー、しかし面白かった!! 中学高校時代とは色々と受け取り方も違っているなあ。
「鍋の中」「水中の声」「熱愛」「盟友」を収録。
昭和62年度芥川賞受賞作。
「そんな部屋で一日じっと暮らしていたの?」高2のたみと弟の信次郎、いとこのみな子、縦男は、その夏を80歳の祖母の元で過していた。両親達が、1920年にハワイに渡った祖母の弟に会いに行ったからだ。孫たちは内心、ハワイに行きたい思いでいっぱいだったが、招待を受けた祖母自身は、当の弟のことを全く記憶していないのだった。まだ二十歳にも届かない子どもたちが、祖母の80年という記憶の闇を覗きこむと……。
と、みな子が訊いた。
「とても静かな子だった」
「なにをして過していたの?」
わたしが訊ねるとおばあさんは曲った腰をのばして、
「勉強をしていたの」
と、ほこらしそうにこたえた。
「どんな勉強?」
「紙にいろんな字を書いていたの」
「字って、どんな字さ」
信次郎はみんなのまん中にあぐらをかいて座りこんでいた。
「手、だとか、足、だとか、首なんていう字も、よく書いていたよ」
わたし達は無言で顔をみあわせた。
「もともと勉強の好きな子だったけどね。気が違ってもそれは上手な字で書いていたわ」
「ほかにどんな字を書いてた?」
と信次郎は気になるようすである。
おばあさんは指を一本ずつ折って、おもいだすようにいう。
「眼、耳、口、鼻、……、それから……頭、首、胸、腹、背、尻、足……、髪、爪、骨、……」
わははは、これがものすごく楽しい小説。エンターテインメントだと思う。中3の頃は、ちょっと難しく考えていたかなあ。オチを、答えを欲しがっていたのかもしれない。
一見しゃっきりした祖母の昔話がいかにも怪しげで良い。それぞれが非常に興味深くて、真面目な話だと思って聞いていると、どんどんヘンテコな方向へ持っていかれて、孫たちは大混乱。嘘と真が入り混じり、マーク・マーマデュークも海賊よう冥も真っ青状態。でも、祖母の頭の中では、それら全てが記憶としては等価なのだ。自分たちの4倍の時を生きてきた祖母の記憶は、煮すぎて蕩けてしまった煮物そのもの。一体全体、何がなにやら。
記録にも残(ら|さ)なかった大切な事実が、時と共に風化していく様は、切なくて悲しい。今、自分がある、このルーツが揺らいでしまう瞬間の動揺や恐怖が非常に鮮やかで、良い話だ。
ちなみに、これは、黒澤明の映画『八月の狂詩曲(ラプソディー)』【amazon.co.jp】の原作にもなった作品、だそうだよ、一応。私は映画は見ていないけど、粗筋を読む限りでは全く違う作品だと思う。いやだって、原爆のげの字も、長崎のなの字も、戦争のせの字もありませんよ? 反核反戦映画かよ……orz。映画化にちょっと喜んだだけあって(原作のビジュアルはすごくいい)、ものすごーーーーーーーーーーーーーーくがっくりしたなあ。
19
右に左に旋回していく眼のはしに、おびただしい光の玉を浮かべた海が映った。それはぼくの胸をうつほど傾いた海だった。カーブの先端を曲るとその鼻先で水平線はほとんどそそり立った。頭の上にはやはりかしいだ空があった。海とおなじように屹立している。ぼくはとても身軽で自由だった。海も、海に浮かんだ遠景の小島も湾の対岸の線も、揺れるおもちゃ箱の中のガラクタみたいにはねまわる。自然を止めていた金具が外れたのだ。
これは一番印象が薄かったんだけれど、読み返してみると実にいい。
高校生2人がオートバイでのツーリングに出かける。目指す先は、閉鎖された海際の遊歩道。今は誰も通ることのないこの道を、海を見ながら走れたら最高じゃないか。主人公は、幼馴染の新田を無理矢理誘い出した。いつもの図式。が、今日に限って、新田が先行したいと言い出す。遅れて走り出した主人公が合流地点にたどり着いたとき、新田の姿はどこにもなかった。
私はバイクに乗ったことがないんだけど(せいぜい原付の後にしがみついたことがあるぐらいだ<駄目)、往路の走行シーンはすごく爽快。それこそ川島誠『800』【bk1/amazon.co.jp】の800メートルみたいに。実際のバイク乗りの人が読むとどんな感じなんだろう。ちなみに、著者はバイクなんて運転しないそうだ。へえ。
そして、主人公が新田の不在に気づいてからの展開もいい。絶望と非現実感の狭間で、かすかな希望を抱きつつ、ゆっくりと走る復路。誰も通ることのない、異世界のような海辺の道。悪い夢の中にいるような、いつまでも続く違和感。私が少しだけ覚えていたのも、ここのひりひりするような感じだった。
この小説は、段落ごとに小さく数字が振ってある。それがいかにも無機質なのだ。無慈悲なカウントアップ。現実を認め様が認めまいが、時は過ぎ、状況は絶望的なものになる。存在しないものの形がどんどん明確になっていく。
「鍋の中」でも、「熱愛」でも、再読していないけど「水中の声」でも、人は何気なくいなくなる。生きていることは力強いようでいて、実は覚束ない。ふとした瞬間に、人の形は、無と入れ替わる。その無いことの存在感が、この短篇は一番強烈だ。
うーん、これ、こんなに良かったのかあ。これも10年ぶりに読んで見直したなあ。
「あんなまっ黒な陸上部のスカートなんかめくって、どういう気なんだ?」明日からの禁煙を誓って級友たちに振舞い煙草をしていた高2の「ぼく」は、学年主任に見つかってしまい、懲罰として便所掃除を命じられる。しかし、そこには先約がいた。1年下のスカートめくり常習犯、塚原広道。違う階の、別の便所を掃除するうち、「ぼく」は塚原に惹かれていく。彼が掃除した便所は、奇跡のように美しかったのだ。それに感化されて便所掃除に目覚めた「ぼく」は、2人で学校中の便所(女子トイレも含む)の全てを制覇(掃除)しようという計画を、塚原に持ちかける。
その女子は陸上のキャプテンで、加害者より被害者のほうが縦も横も大きかった。虎に飛びかかって吠えられた猫みたいにみえた。
けれど僕がもっとおかしかったのは、襞スカートやレース飾りのスカート下で勿体をつけている女子のまっ黒な顔よりも、ふてくされた塚原の横顔のほうが、日に焼けているところは同格だが、よほど繊細で……美少女めいていたことだった。
あっひゃー(ノ∀`)、こりゃ記憶していたものよりも、随分やおいっぽいぞ。うわー。でも、とりあえずやおいのことは置いておいて。
そもそも、芥川賞だの純文学だのに全然興味がなかった私が、この単行本を買ったきっかけが、この「盟友」のラジオドラマだった。NHK-FMの15分月〜金帯枠「アドベンチャー・ロード」1989.5/29〜6/2(5回)(*1)。4回目だけ塾に行っていたために録音に失敗し、NHKに電話して原作を問い合わせて買ったものだった。その後、どうにかして抜けた回をダビングさせてもらい、文字通りすりきれるほど聞いた。なんであんなにはまったんだろうというぐらい、聞いた。寝る前には必ずかけていたなあ。だから、再読していても、台詞は全部、 松田洋治と保里治芳の声があたっている。BGMからSEから何から何まで、全て、ラジオドラマのリプレイ(脚色は結構入っていたけど)。何しろ、松田洋治ときたら、芸暦が長い(映画『ナウシカ』のアスベル役)のにかみまくりで、そんなのまで再現されるから鬱陶しくてしかたがないってぐらい、そのまんまだった。
改めて読んでみると、学校の便所に関する凄まじいまでのディテールに圧倒された。学校の男子便所(記憶する限り入ったことはないと思うけど)の空気が、はっきりと視界に立ち上る。そして磨き上げた陶器の、限りない美しさを語る豊かな比喩の数々と、塚原が口にする便所に関するアジテーション的な台詞群。この著者が便所にかける、並々ならぬこだわりと、意味不明な爽快感が、いやほんと、これ読んでみないとわからんて! ちなみに、その後、この著者は『12のトイレ』という連作短篇を著しているが、これは未読。
で。この2人の関係は明かに恋愛関係的なんだよなあ。ラジオドラマを聞いていた当時、中学3年生だった私は、コレを指して「ホモっぽいからちょっとイヤだ」と言われても、本気で何のことやらさっぱりわかっていなかった。友情モンじゃん、と思っていた。ちなみに、私がやおい的なものに「うっわー!!」と初めて思わされるのは、忘れもしない高1の春のことだ。ということも重要なのかも。
今読み返してみると、時折、背中がざわざわする。んだけど、小説の上手さ(と言っても、完成度は「鍋の中」の方が上)と、ディテールの豊かさに引き付けられて、読むことはできる。でも、それは多分、面白さをあらかじめ知っているから、思い入れがあるからなのかも。
ああ、ラジオドラマも聞き返したいなあ(´・ω・`)。
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