休み前や休み中に見た映画のことをぼちぼちと。日付は適当です。
平日の梅田ガーデンシネマ(スカイビル)15時台の回は、50分前で整理券77番。立ち見も出ていた。
この監督の作品は、NHKのドキュメンタリー『記憶が失われた時』と映画『ワンダフル・ライフ』しか見ていない。今回も使われているらしい脚本なしのドキュメンタリー的な手法というのが、『ワンダフル・ライフ』ではいかにも浮いているように感じられたものだが、今回は全然それがなかった。置き去りにされてしまった子どもたちの生活を、本当に覗いているような感覚で、息をつめて見ていた。
その直後に見た『ディープ・ブルー』(サイト)は、まんま海洋ドキュメンタリーなんだけど、視聴者をある感情に、画面で行われていることとは別のレベルで、誘導しようとしている様がありありと見て取れて、それがちょっとうるさかったものだ。例えば、アシカが海際で突然襲われるシーンなんて、画面やBGMが、まるで『ジョーズ』さながらのサスペンス風。動物の名前のキャプションも入らない、生態の解説なんかも入らないのに、とにかくシャチなどの捕食者は問答無用で悪役風、イルカはおどけもので、アシカはかわいそう、イワシはとにかく食われまくり!などなど、題材となる「自然」からは浮いた場所で、映画ならではの性格付けがなされている。海と、そこに暮らす生物を見て、何をどう感じるのかは見るもの次第、見ている「私たち」に「どう感じるか」ぐらい決めさせて欲しいのに、とにかく「映画の主張」がすごくうるさかった。しかもそのくせ、ちゃんと「映画」になっていない。シーンがぶつぎれでオチもなく、さらにラストがアレですぜ? ……というのは置いておいて(/-_-)/。
でも、『誰も知らない』は、そういった劇中の物語から乖離した、「映画」用の性格付けを、極力避けて作られている。逼迫していて、いつ破綻しても、破裂してもおかしくない状態でありながらも、彼等がぎりぎりの線で生きていく姿が、静かに淡々と綴られていく。画面の中のフィクションであるはずの兄妹たちの演技が、自然で、生々しく、切実なのは、実在の事件をもとにしているからということ以上に、あるがままを見せようとする映画の姿勢のためなんだろうと思う。半年間を、季節の風景と成長と共にリアルに綴った2時間半には、無駄なシーンは一つとてない。
カンヌ主演男優賞を取って、本来よりも多くの映画館で上映されることになったのは僥倖だった(私も見たか微妙)。この映画は、実際に起こった事件をもとに、状況をきれいに切りとって(それが事実に即しているかどうかはあまり関係ない)、視聴者に「見て、考える」大きな空白のキャンパスを手渡してくれる。映画を見ると自然と湧いてくる疑問を胸に、自問自答する時間も含めて、この映画を見たってことだ。
この映画は断罪しない。善とか悪とかは、容易に割りきれるものじゃない。誰が悪かったのか、どうすれば良かったのか、社会が悪いのか、いつからこうなってしまったのか、今更そんなことを画面の中で描いてもしかたがない。でも、この映画を見た沢山の人たちが、一人一人それぞれが心の中で「何か」を思うことで、ひょっとしたらこの先どこかで、「何か」をほんの少しだけでも変えられるかもしれない。そういうふわふわしていて、透明で、よく見えなくて、掴み所がなくて、不定形で、一粒一粒は本当に小さな、でも遠くから見ると大きな、まるで空に浮かぶ雲のような、そんな形をした「希望」、あるいはその「きっかけ」を見た人一人一人の心に、そして社会に投げ掛けるような映画だと思うのですよ。
ほんと、いい映画でした。