昨夜の『トリビアの泉』で紹介された、コロンビア軍のエロ写真ばら撒いてゲリラの気力を削ぐ電撃作戦を見て、読み終わったばかりのバルガス=リョサ『パンタレオン大尉と女たち』を連想した。
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ジャングルの奥地に派遣された兵隊が村の女たちに狼藉を働くことを苦慮したペルー陸軍は、真面目で堅物で優秀なパンタレオン大佐に従軍慰安婦部隊の設立を命じた。但し、秘密裏に。民間人に扮したパンタレオン大佐は、町のポン引きに取り入り、10人の売春婦を雇い入れ、婦人巡察奉仕機関(SVGPFA)の設立に邁進した。夫人を相手に行為に要する時間を計測し、強壮剤を試し、兵隊たちが1週間に何度の行為を必要とするのかアンケートを取り、女たちが一晩に何人の男を受け入れられるのかを計算し(……おっと月経のことをすっかり忘れていた)、美人と不美人のバランスに苦慮し……、そうして運営開始となった婦人巡察奉仕機関(SVGPFA)の活動は大好評。売春婦たちは安定した収入と安全な仕事と保障された身分に群がり、将校たちは「兵隊に許されて、なぜ将校はダメなのだ!」と駄々をこね、村の男たちは都会的な売春婦たちを誘拐しようとする始末。それらの要望に応えるためにパンタレオン大佐は大忙し。雇い入れる売春婦たちの人数は倍増しに、予算も増額されていく。しかし、そんな派手な活動がいつまでも人々に知られないわけはなく、やがて婦人巡察奉仕機関(SVGPFA)は「パンティーランド」と呼ばれるようになる。さらにパンタレオン大佐は一人の美人売春婦にいれあげてしまい、ついに夫婦仲にも影響が……。
小説のほとんどの部分が報告書や手紙や公文書やラジオ報道からなり、地の文は頻繁にカットバックする凝った手法で、最初はかなり戸惑う。ただ、そんな特殊な書き方をしているのに、なぜか強烈な「メジャー小説感」が漂う。無茶苦茶分厚くて重厚な『世界終末戦争』もそうだったけど、ベストセラー小説に似た匂いがするのだ。文章の、読者との距離感が絶妙なのだと思う。情報の見せ方とか、読者感情の誘導の仕方とか。だから妙に読みやすいんだけど、その分、ちょっと物足りなかったかな、とも。
でまあ、パンタレオン大尉の杓子定規なんだけど、無茶苦茶優秀な働きがなんともユーモラスな上質のスラップスティックコメディで、軍隊パロディ小説なんだけど、『トリビア』を見ると、この小説って結構「現実」に近いかも、と思えてしまう。マジックリアリズムと言われている『百年の孤独』の後に、史実に即した『世界終末戦争』を読んだときも、似た感じがした。『百年の孤独』はフィクションであり、むっちゃくちゃな話なんだけど、実は「本当の現実」を書いているに過ぎないのだと。
続きます↓(a)。
「ビッグ・フィッシュフィルムブック」 John August (原著), Daniel Wallace (原著), 目黒 条 (翻訳), ジョン オーガスト, ダニエル ウォレス【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】
「ビッグフィッシュ―父と息子のものがたり」 ダニエル ウォレス (著), Daniel Wallace (原著), 小梨 直【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】
↑上の段落(a)から続いてます。
運命の女性を目にした瞬間に、時が止まる。目は彼女に釘付けとなり、身動きができなくなる。だから、実際は近づいていないにもかかわらず、視界はズームアップ。せわしなく動く人々の姿も、もはや目に入らない。周囲の喧騒は、息さえ殺した沈黙に掻き消される。
時が止まったサーカスのテントの中。空中に浮かんだまま動かないポップコーンをかき分けながら、呆然と彼女に近づく父の映像は、確かにファンタジーだ。現実にはあり得ない。でも、こう語れば、父が感じた驚きと衝撃と喜びごと「現実」として、あの運命的な場面を、息子に伝えることができる。
父の話に出てきた、雲を突くような大男のカール。当然実際にはそんなに大きいわけではない。でも、実在の人物として本当に会ってみたら、「でっけーーーーーッ!」と思うわけで(あのシーンの息子の表情が本当にいい)。街中でお相撲さんを見ても、2メートル10センチとか、200キロとかいう数字以上に、圧倒的な重量感とか存在感に感動するよね。重要なのは、実際の大きさではない。正確な数字では、この時感じた「現実」は伝わらない。「いやー、カールは本当にでっかい大男でね、お父さんなんか一口でぺろりと食べられてしまいそうだったよ!」ってこと。その時感じたことは本当のこと。大げさでも嘘でもなく。
息子は「僕ももうすぐパパになるのに、いつまでも子供扱いして!!」とこだわりを捨てきれないけれども、お父さんは「見たまま」の世界を伝えることに長けていただけ。現実の「数字」からはちょっと誇張しているように見えても、時系列が妙な繋がり方をしていても(例えば、大男とわかれてスペクターの村に迷い込むあたりは、多分本当は全然別の時に起こったエピソードじゃないかなあ)、「感じたまま」のことを話すには、それが一番いい方法だから。本当はそこにあったかもしれない苦悩は、語る今では洗い流されてきれいになっている。だから、今、あの時を思い起こせば、全てが輝いていたいい思い出。だから、語るこのお話は、今感じている本当のこと。決して嘘やごまかしではなく。
映像によって、何だろう、「語り」の技術やマジックを見せてくれた凄い映画。非常に抑制された演出で、大げさなことは何もしていないのもいい。もっと摩訶不思議な映像にすることも充分に可能だったと思うけど、それじゃあ違っちゃうもんね。あくまでも父の目で見た世界は本当のことだったのだから、そうでないと、あのラストシーンの感慨は得られない。
↓続きます。(b)
↑実は上の段落(b)から続いて……いないのかもしれない。
でまあ、「語る」こと、物語とか小説とか映画とかいう物(メディア、媒体)は、そういう物だと思うのです。事実や粗筋やスペックを伝えることが物語ではない。文字や言葉や映像や音楽に、感情や感動や風景や音や臭いや感覚や、そういう色々な情報を乗せて、受け手へ運び、受け手の心の中で情報を展開させることが重要なのであって。
んー、極端な話、「零がバンシーに連れていった新聞記者(インディアン)が、コーンスープの池に腕を削られてしまって、さらに人工心臓だったがためにジャムにたかられて、『ぼくは、人間だよな?』とか言いながら死んじゃって、零が慌てて一人で脱出しようと思ったら贋雪風がいて、本物雪風でそいつをぶっ飛ばして、ほうほうの体で基地に帰ってきたら大雪で滑走路がふさがれていて、雪かき英雄の天田少尉は死んじゃった」でも話は進むかもしれないけれども、そりゃちゃうのよとか(極端過ぎ)。
この項終わり。
↑実は上の段落(b)から続いて……いるのかどうか。
でまあ、マジックリアリズムとか、ファンタジーとかを語れるほど(というか、全然)私は本を読んではいないんだけど(だから、俺マジックリアリズムであり、俺ファンタジーにすぎない)、言葉の意義に、非常に広い幅があるとはいえ、この2つは全く違うものだと思うのですよ。マジックリアリズムは、あくまでもリアリズムの一形態であって、決して幻想(って何だ)ではないと。
『ビッグフィッシュ』自体はマジックリアリズムではない(お父さんの語る物語はマジックリアリズムっぽいと思う)けど。
んー、なんかわけわからなくなったけど、ストーリーも素晴らしかった。お風呂のシーンとか、愛愛愛って感じで、もうあそこから涙ボロボロ。お父さんは、えー、かなりまだ若い(60前後だよね)筈なのに、ちょっと老いすぎだと思った。所々のブラックユーモアもいい按配。
要するに『ビッグ・フィッシュ』は必見!!
ぐわー、隣の人がベランダで煙草を吸うのが、凄く臭って気持ち悪いよ……(;´Д`)。