ベランダのプランターに、バジル、紫蘇に加えて、イタリアンパセリを植えた。これでこのプランターは終了。それから、太目の針金をS字に曲げただけの簡単なプランターハンガーももう一つ買って(640円)、プラスチックのプランター(380円)ももう一つ。
ところがこのプランターがかなり大きい。深さ、面積ともに、容量だけで言えば1つ目の2倍ある。というか、土が同じ量では半分しか埋まらなかった……orz。今日買ったちゃちいプランターハンガーでは心許なかったので、それを小さい方に使って、大型プランターにはアイリスオーヤマのプランター用フックを使用。こちらには、チャイブとタイムと三つ葉とコリアンダーの種を蒔く予定。
んで、思った。アイリスオーヤマ製品は、しっかりしていて、尚且つ安価。プランター用フックの場合、本体自体ががっちりしている上に、ネジで止めることによって、大きさもぴったりあわせられるのに、針金製のやつとほぼ同じ値段。同じような構造のしっかりしたプランターフックも別のメーカーであるけど、そちらは荒物屋さんでは1000円を軽く超えていたし。ワイヤーラックのルミナスと言い、アイリスオーヤマ強し。
あとは土を買って、鉢を2つぐらい欲しいなあ。片方には匍匐性のローズマリーを、もう一つにはワイルドストロベリーでも植えるかな。
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310ページまで。まだ半分に届きません。
何がこんなに面白いのかなあと疑問に思うほど、普通の、面白い小説。南米だからと言って、マジックリアリズムを期待して読み始めたけど、幻想的な風味はほとんどない。むしろ、これでもかというぐらいリアルを目指している気がする。
私がまともによんだ南米小説は、ガルシア=マルケス『百年の孤独』ぐらいなものだし、研究書や評論も読んでいない。南米の地理歴史に関する知識も全くゼロだ。要するに半可通以下の知識しかなく、的外れなことを承知で。この2冊を並べて眺めてみると、実に立体的にモノが見えるような気がする。『百年の孤独』は、『世界終末戦争』の蜃気楼のようなお話だったなあと。この2つの小説は、それぞれ時代も舞台(『百年』はコロンビア、『世界終末』はブラジル)も異にしているから、そんなわけはないのかもしれないけど。
フジテレビ『お厚いのがお好き?』で、『百年の孤独』はコロンビアの過酷な現実を、「おばあちゃんの昔話風」に戯画的に描くことで、誰にでも読めるベストセラーになったのだと言われていたけど、これを読んで、それがやっと実感として理解できた。
以前、双子ばあちゃんのきんさんだかぎんさんだかが、伊勢湾台風の大洪水の様子を身振り手振りで、あの独特の調子で話していた。それが『百年の孤独』な感じ。んで、同じ台風を、空の様子から、人々の動きから、ちまちまこつこつ、それでいてドライに書き込むのが『世界終末戦争』。乱暴な喩えだけど、『百年』の中で、何年も雨が降り続いて、家の中を魚が泳いで……というシーンがあったっけか。『世界』の大旱魃と果てしなく続く荒野のシーンで、あれもきっとものすごくえげつない洪水だったんだろうなあということを、思い出した。あっちのコンセリェイロは、チョコレートで空中浮遊しているのか。
ということで、『世界終末戦争』ではもっぱらガイドにして追跡屋のルフィーノに萌え! むしろ燃え。ひたすら現在形で描かれる訳文(ラテンアメリカ小説の翻訳は読みやすいものが多い)のせいもあって、ルフィーノのパートのスピード感と焦燥感に、しびれまくり。人の脚の早さで情報が伝播し、歴史が夏の日の夕立のように、土地を渡っていく様が、もーーーー、かっこいいのなんのって。
うん、ひたすらかっこいい小説なんですよ。ジョアン・アバージも、男爵も、ガリレオ・ガルも、モレイラ・セザルも、ルフィーノも、これらの主人公(みんな主人公格……)全てがかっこいい! ……記者は、かっこ悪くて良いですね。
あと半分……。
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読了。圧倒されっぱなし。無茶苦茶読みやすく、無茶苦茶面白かった! もうノンストップ。満腹。これが超レア本なのは、勿体無さ過ぎ。
解説を除いて、2段組で約700ページという分量も大変なものだが、とにかく物語の密度に圧倒される。膨大な登場人物、刻々と移り変わる戦況、(私にとっては全く予備知識のない)歴史的・政治的背景が、徹底的に計算され尽くした構成と文章で、読者に一番効果的に読まれるように書かれている、という感じ。リーダビリティが無茶苦茶高い。
19世紀のブラジルに実際にあったカヌードスの反乱を、狂信者コンセリェイロの信徒たち、彼らを政治的に利用して王党派の転覆を企む共和党、共和党に利用された英国人スパイ、スパイに犯された女、その夫、カヌードス一帯を領地とする男爵、政府側の軍人、従軍記者などなど、様々な視点から多角的に描き出す。それぞれの階層、人物間のコミュニケーション不全、誤解、陰謀、策略が、上手い具合に陰影(とおかしみ)を書き加えていて、それがまた立体感を与えている。
全ての情報が足の早さで行き来する時代だけあって、それぞれの情報量と伝播速度は様々であり、その時間差を利用した描写が非常に効果的で、読者を決して飽きさせない。最も戦闘から遠い所にいる男爵の視点で、既に終わった戦闘が伝聞の形で断片的に描かれた後に、実際の戦闘の様子が様々な視点から、それぞれの時制を駆使しながら語られるのだ。急激な緊迫感を持ったシーンは現在形で、停滞、あるいは諦念に支配されたシーンは過去形で語られる、この緩急の付け方、リズムの取り方も計算され尽くされている。とにかく読んでいる間は、物語にのめりこまざるを得ないように仕向けられていて、読者はそれに従えばいい。元々戦争物や戦略物が苦手な私がこれだけ読みやすいと思うんだから、凄いものなんだと思うヨ。
さらに、私はキリスト教に対して懐疑的(というか、あまり好きじゃない)のだが、そこに全然引っかからなかったのも、書き方の上手さ……というより、「書かない」上手さなのかも。コンセリェイロの教義は、直接的には非常に漠然としか語られない。かわりに、彼と接触したことによって改心した人々の姿を、徹底的に描く。逃れられない貧しさや障害に見舞われながら、それを受け入れて与え合う人々や、過去に計り知れない罪を犯しながら、神に仕えることになった彼らは、常に人間的な葛藤を抱えながらもそれを乗り越えようと行動していく。それがまあ非常に魅力的なものだから、そこからコンセリェイロの影響力、凄さが浮き彫りになる。うまー!!
でもって、女性の描き方も。どうもスペイン、ポルトガル圏(カトリック系?)は、マッチョなところが強くて、たまにエンガチョになるんだけど(佐藤賢一とか)、ここもリョサは繊細に丁寧にクリアしてしまう。性的束縛、性的虐待に晒されつづけたジュレーマは勿論、かつて犯したもの、犯されたものの間柄でありながら、夫婦となったジョアン・アバージとカタリーナ(だっけ)も、……それからパジェウ……(´iωi`)。かつての罪が、改心したからといって拭い去れるものなのか、かつての傷が、愛したからといって消え去るものなのか。葛藤の上に愛情を重ね、あるいは拒絶し、傷を消し去らずにいたわる彼らの姿は、妙に印象的だった。解説に書いてあるけど。でも、記者だけは最後まで好きになれなかったよ……。それと最後の男爵の行動は、私にはよくわからなかったよ(´・ω・`)。
ラテンアメリカ文学というからには、マジックリアリズム的な幻想性を期待してしまったけれど、そういう要素はおよそ皆無だった。ただ、海からやってきたヨーロッパ人によって近代化された沿岸部と、近代的な思想や文化から隔絶された貧しい内陸部の、同じ時代にありながら違う時代を生きる思想的なギャップに、「マジックリアリズム」が生み出されるであろう土壌を見ることが出来たような気がする。でも、『世界終末戦争』はまっとうな普通小説だと思う。
私は『世界終末戦争』がリョサ初体験なのだが、物凄く小説の技巧に対して自覚的で、尚且つ非常に冷静で徹底しているという印象。それが決して嫌味になったり、やりすぎ感を伴わないのは、常に必ず読者に対して小説を書いているからだと思う。純文学が「大衆文学・通俗文学に対して、読者に媚(こ)びず純粋な芸術をめざした文学作品。(大辞林)」であるならば、これはその対極、大衆文学であり、エンターテインメント小説そのものだ。
もっともっと書き足りなかったりするけれど、とりあえずここまで。とにかく分厚いの覚悟で読んでみる価値ありと思いました。