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いやあ、ものすごく面白かった! 私が好きなお話、まさにそのもの、という感じ。
深堀骨作品を初めて読んだのは、先月号のSFM「夫と妻の小粋な会話」。会話文中心で、飛躍の多い文体は、面白いは面白いんだけど、飛躍の仕方に説得力が欠けていて、どこまで信用していいのか、今一つつかめない感じだった。今こうして単行本にまとまった『アマチャ・ズルチャ』を読んでみるとわかる。「夫と妻の小粋な会話」は、深堀骨としてはあまり良くない(*1)……と言うと語弊があるな、私の好きな種類の深堀骨ではない。みかげさんの感想にちょっと近いかも。そういう意味では、同じように夫婦の会話が中心となっている「バフ熱」はあまり好きじゃない。
お話は、比較的普通っぽいところから始まる。そこにどうでもいい無駄語りが絡まりながら、唐突に、無茶苦茶変なことが至極当然のように次々に現われ、物語をぐんぐん加速して、最高潮まで飛びあがったかと思うと、ラストはなぜかものすごーーーーく世俗的な所にきちんと収まってしまう。それもとってもロマンチックな雰囲気で。このいきなり剛速球でぐわーーーーんと放り投げられる感覚から、ふんわり綿帽子のミットに掴み取られる安心感のギャップが、ツボ。よろしいです。「隠密行動」のラストもいいし、「愛の陥穽」なんて喫茶店で読んでなかったら泣いていたね。
しかしまあ、ここまで予想もつかない展開を、いけしゃあしゃあと書けるのも、基本的に無茶苦茶運びが上手いからだと思う。わかりやすいのが「愛の陥穽」での、牛於の回想語りとマスターとの会話の場面転換。回想からふとバーに場面が戻り、ホットウィスキーを追加して、また回想に入る流れが自然な事。
「『うすいさん』て、何だよそれ」「『うすいさん』て何です」「今話してやる」「今話すよ」この違和感のなさが、角材を、トップレスの獅子舞を、空飛ぶ中年の小母さん(割烹着着用)をも、そのまま画面に立ち上げさせてしまっているというか。一見、その発想は野放図に見えるけれども、地の文の視点が、しっかりと「こちら側」に揺るぎ無くあるからできる描写であると思う。
こういう滑稽系?の話は、語りに揺らぎがあると、絶対に楽しめないものだと思う。どんなに無茶苦茶な描写でも、地がしっかりしていれば、きちんと絵として見えるようになる(逆に、揺らぎが少しでもあると、読む側が白けてしまう)。不思議系ファンタジーには、きっちり足を踏ん張って、思いっきり開き直って欲しい。
さらに、深堀骨の場合は、どんなにへんてこな事が起こっても、登場人物たちが決して後ろを向かないところがいい。
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もちろん、だれもかれも、みんなそこにいたとも―と、Qfwfq老人が言った―さもなくって、どこにいられたものかね? 空間の存在が可能だなんてことは、まだ誰も知りゃしなかったからね。時間にしたって、然りだ。時間がわしらにとって何になったって言うんだね、だれもがそこにスシづめになっていたっていうのにだ! “スシづめになっていた”と言ったけれど、これはまあ、文学的なイメージをかりたまでのことでね、実際には、つめこまれている空間だってなかったさ。わしら一人一人の、そのそれぞれの点が、わしらみんなのいた点であるただ一つの点で、それぞれ他人の点ひとつひとつとぴったり一致していたんだ。(「ただ一点に」冒頭)こんな感じ。ママさんにリンクされちゃったけど、正直、本当に、『レ・コスミコミケ』を読むことをお薦めしたいです。
今日は近所の商店街のハイカラなお祭りで、イタリア風煮込みスープをかけたサフランライスとか、無茶苦茶辛いトッポキのおでんとかを食べながら、「無色の時代」まで。約半分、するする読める。
時間も空間も存在しない宇宙の始まりの時のことを語る、壮大なホラ話、じいさんの与太話が無茶苦茶面白い。絵本にするのが似合いそうな、かわいいお話の中に、様々な概念の誕生が描かれている。言いかえれば、オージャガンマー(@池上永一『バガージマヌパナス』)の「私も昔はチュラカーギーでねえ」という話と同じレベルで、宇宙創生が語られているのだ(本気)。凄いSF。本当に楽しい。あと半分ぐらい。
この部屋に引っ越してきて、4年目。もうすぐ更新(上がってくれるな、頼むから)という時。唐突に模様替え熱が高まってきた。今回はやる気なのだ。
土曜日には、台所で立て棚替わりに使っていた横置きのテレビラック(無茶)を排除し、収まりのいいワイヤーシェルフを買ってきて、電子レンジを一番上に据え(重いのを上に置くのはどうかと思ったが、熱を持つから、他にどうしようもない)、よく使う皿や、乾物もカゴに入れて、今まで床置きだった鍋保温用の発泡スチロールの置き場も作った。流し下の棚にも余裕が出来たし、ああ、さっさとすればよかった。
で、本番は部屋。金をかけられないので、なるべく物を買わない方向で、倉庫番よろしく移動案を練っていたのだが、何しろ、ラック類がでかすぎる。14インチテレビや、A4ノートパソコンに横幅80cmのラックは必要ない。邪魔だし、開いた隙間に物がたまるし……。濃い茶色の背の高い本棚も、圧迫感がすごくて、どうにかしたい。一応天井は高い方だと思うけれども、雑然としているし(これは本棚のせいではないが)、見ていて鬱陶しい。かと言って、背の低い本棚にしたら、ただでさえ溢れている本を、置く場所がなくなってしまう。だいたい、本棚だけはしっかりしたのを買わないと、たわんだりして大変な事になりそう。無駄なスペースを排除し、背の低い家具で圧迫感を減らし、ばらばらな部屋に統一感を与えたい……でも、先立つものが……。
ちゅーわけで、DIY! ベッドとチェスト以外の収納家具は、思いきって廃棄。ぴったりくるものに入れ替えてしまうのだ。テレビラックはちょうどいい大きさのものを見繕って買ってくるとして、パソコン用座卓と、本棚は自作する予定。カラーボックスと板と煉瓦、これ最強! 超(朝のワイドショーの)主婦っぽい! 下手すると物凄く貧乏臭くなる罠。はっきり言って、シロウトである私にはお薦めできないのだが、ま、楽しそうだからいいや。
本棚は煉瓦積んで、板を載せるアレでするつもり(ブックエンドで防護しないと、本が汚れそうだ)。この方式だと、4段が限度だと思うので、幅は90から120(60を二つ)と増えるけど、収納力は現在使っている畳1帖分よりも下がると思う。そこで、奥行き40、文庫3列は無謀だろうか……。減らせればいいのだし、言わばそのための模様替えなはずなのでなあ。
順に作って、入れ替えていく予定。予算は総額一万五千。できるかな?↓案(家具レイアウターにて作成)。

恥ずかしいtypoを修正するついでに。
半額で5匹140円だった鯵を、半分南蛮漬けにして、半分塩水に漬けてから干物にしているのだが、雨のせいで、一晩干していても、ちっとも乾いていなかった。窓際の日のあたるところに一応置いて出かけるけど、無事鯵の干物になってくれるのだろうか。初めてだし、乾く前に腐ったりしたらショックだよ。寒いから平気かなあ。
フェンウィックはヨーロッパの小さな国。この国はワインの名産地で、アメリカをメジャーマーケットにしていた。ところが、ワイン産業が崩壊、財政が破綻してしまう。弱り果てた首相は「アメリカに宣戦布告する」と言いだした。オー、ゴッド! そこの軍隊といったらまったくドジでウスノロ。コスチュームは時代遅れ、武器は弓矢という具合。おまけにタリー隊長(ピーター・セラーズ)の引く弓は的に当たったことがない…。たくらみはあっさり負けて経済援助を受けるという脳天気な作戦なのだ!! ところが、タリー隊長の思いもよらない奇策によってフェンウィックが勝利を収めることになる…!? 最後の最後までユーモアたっぷり。味なセリフ、珍騒動いっぱいのスラップスティック・コメディの決定版!!ヤフオクに1,000円で出品されていたのを落札しました。ずっと見たかったレナード・ウイバーリー『小鼠 ニューヨークを侵略』の映画版。原作が1954年だから、すぐに映像化されたんだねえ。原作のイメージが強すぎて、映画単体で見る事はできなかったけれども、徹底してドタバタコメディにしてしまったアレンジは良かったと思う。
若くておしゃまな22歳のグロリアナ王女が、おばあさん(しかも、演じているのは男性、ピーター・セラーズ)になっていたり、切れ者のタリー(やっぱりピーター・セラーズ)が間抜けな眼鏡男になっていたり、首相(これもピーター・セラーズ)と野党党首がすごく仲が良さそうだったり。……ていうか、私は外人の俳優の見分けがつかないので、あらかじめ知らなければ、この一人三役には絶対に気がつかなかったと思う。女装も。これは、ピーター・セラーズが見事だということなのだろうか。とりあえず、首相は無茶苦茶かっこいくて、可愛くて、アホだ。
お色気とロマンスは、グロリアナ王女からコーキンツ博士の娘の担当。この子が金髪のショートヘアで、すんごく可愛いのだ。……だけど、な、なんで?? ま、コメディだからいいのか、つーか、……ウワァァァァン!!! ヽ(`Д´)ノ いやまあ、ドタバタギャグだからOKですけど。
82分と尺が短いので、原作の重い後半の展開は、グロリアナ王女の一言で片付けてしまっているのも見事。散々眉間にしわを寄せて顔をつき合わせて「八方ふさがりだ」と言い続けるアメリカ首脳陣が、すごく良かった! 最後の「Only we know.」で、ジーンときて、〆。
普通に面白い映画だと思う。原作を読んだ人にはお勧め。……って、レンタルであるのかなあ? このテープは87年のものらしいけど。
公式サイト。DVD@amazon(1(初)、2(初)、3(初)、4、5、6)
わーい、有里さんがはまってくれた〜(T-T)ノ。猫先生目当てに8話から見始めた私もふぁきあ萌え。……というと、再放送で5話までの友人に「な、なんで、ふぁきあなの?」と不審な目で見られたのがなつかしい。
ともかく、放送枠に恵まれなかったせいか、質の割にはほとんど話題になっていないような気もするけど、きっちり評価してあげてほしい名作。今なら、後半「雛の章」を見る事が出来る、そうな(伝聞)。いや、今DVDが手元にないので、きっちり見てしまいましたが……。何度見ても泣ける。
欲を言えば、最初から見て欲しいところなのだけど、興味の有る人はとりあえず、雛の……何話から見ればいいのだろう。難しい。うーん、14から素直に見るのがいいのか。19辺りを見て、合えば遡るのが無難かも。そしてDVDもゲットして欲しい。これも欲を言えば、サントラつきの初回版で。単独で雛も含めたサントラ盤を出して欲しかったなあ(´・ω・`)。
でも、正直言って、「卵の章」最終回13話で怒涛のプチ最終回があって、それから雛に入って……、かなーり14話以降は迷走しているのだよなあ。動画さんのサイトには、10話の作画をしている時点で「チュチュはたしか13話までだったから」とか書いてあるし、あおとあの「設定も、ラフしかないみたい」だから眉毛の太さが決まってないとかいう記述もあって、製作現場の大変さが窺い知れる。最初から「卵の章」という副題がついていたことから、延長の可能性がなかったわけではないだろうけれども、かなり無理矢理だったのは、ストーリーにも現われている。
13話で終わっていたら、普通にできのいい良作、でしかなかった。12話があって、13話があり、25話があって、26話、あのラストで落ちる……、あれがあるから、『チュチュ』は語り継がれるべき(と私は思う)傑作たりえたのだ。だからこそ、思う。もし、もし本当に最初から26話で構成されていたとしたら、と。でもまあ、迷走ぶりも気に入っているし、パパイヤ以外のふぇみおもありえないよね、今は。きっちり収まっている事だけが、作品の価値ではないわけだし、『プリンセスチュチュ』は、本当に愛すべき名作なわけです。こんな製作の状態で、全然作画が崩れなかったのも、物凄い事だよなあ。
「プリンセスチュチュの運命を笑って受け入れる事が出来るのは、おまえだけだ」この言葉にこめられているメッセージの、なんと重い事か。
「この物語をハッピーエンドにしよう」