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ざぼんの皮 2002年 06月


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Jun.22,2002 (Sat)

佐藤哲也『妻の帝国』早川書房

妻の帝国「妻の帝国」 佐藤 哲也
サイズ: 182 x 128cm 発行: 2002/06 価格: ¥1,700
ISBN4-15-208423-5
『高校生・無道大義はある日「最高指導者」から届いた手紙を読んだとたん、民衆国家建設に目ざめる。それは悪夢的な不条理世界で展開する、奇想天外な政治劇の始まりだった…。』

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佐藤哲也関連トピック

 少しく気味が悪いのは、彼らが思惟の結果としてなんらかの実現を企んでいるのではないということである。論理的な思考の成果としての全体像の把握があるのではなく、まず感覚があり、部分によって触発された感覚を個別的に受容することによってなんらかの実現を企んでいるのである。事前に全貌を掌握するための作業はおこなわれていないと考えていいだろう。それは体系化であり、したがって思考であり、思考は直感に反するからである。だから彼らは常に手探りで事を進める。と言うよりも、おそらくは場当たり的に事を進める。一見そうは見えなくても、実はそうなのだとわたしは思う。要するに実務家ではないのだ。彼らは手続きの問題には関心がなく、無駄を無駄とも思わないので迷走に関する自覚がない。そしてそれだけでも十分に迷惑なのだが、それに加えて全体というものが間違いなく存在している。わたしが紙に書いて説明したからではない。不由子の目にそれが見えるようになったからである。

 これは部分に部分を足していけば全体になるという意味ではない。あの連中が何を見ていようが、どこで何をしていようが、現として全体が存在しているという意味である。不由子や彼らがどう直感しているにかかわらず、全体は存在していて、それは進行しているという意味なのである。そうでなければ、これは説明することができない。

 期待通り、ある意味それ以上の傑作でした。相変わらず有無を言わせぬ迫力の筆致、無茶苦茶なのに迫真のストーリー。おすすめ

 著者のサイトによると、この本は、「一人称の作品で、自分ちの女房がSOHOで独裁者を始 める話ですが、わたしが意図した範囲ではお笑いは入っていません。」ということであるらしい。著者の意図はともかくとして、前半はかなり笑える個所が多かった。一人で吹き出したりニヤニヤしながら読んでしまった。いやホント、SOHOで独裁するのって大変そうだわ。

 さて、去年出た短篇集『ぬかるんでから』の感想で、私はこういうことを書いた。

その光景は、理不尽で不条理で滑稽で禍禍しいものばかりなのだが、とてつもなくリアルだ。この小説群に書かれているのは、「そこに、そういうものがあるのだ。」ということ、それだけのことだから。その現実にはありえないからこそ強烈に臭う「事実」の前には、人の論理などあまりに無力だ。ただ翻弄され、飲みこまれるしかない。悪夢そのもののような物どもが存在するそこは、まさしく悪夢の中であるのだから、そこにいる限りは悪夢こそが現実なのだ。語られる言葉だけがこの世界の現実であり、紡ぎ出される景色に読んでいる自分の足場がめくり取られていく感覚。

 『妻の帝国』は、これにもう一歩深く、ずぶずぶと飲みこまれるような、そんな小説だった。「民衆国家」を構成する「民衆細胞」が共有すると言われる「民衆感覚」。それを持たない者は「個別分子」として排除されてしまう。「自ずとわかる」というある意味「完全なコミュニケーション」に支配され、それ以外の方法や思考が否定された世界が陥る「完全なディスコミュニケーション」。「わかってしまう」ことが強要され、「わかりあう」ことを否定する世界の恐怖。

 人は人である限り、それぞれがユニークな存在であり、異なる意志や感情や人格を有している。たとえどんなに近しい人であろうと、決して「同じ」ではありえない。生い立ちも違えば、感じ方も考え方も、決して重なり合うことはない。それぞれ、一人一人が、真に孤独な存在であり、だからこそ、「人と人の間にあるもの」がこの世で一番大切なものなのだ……と、思う。埋めようとしても決して埋まらない断絶、超えようとしても決して越えられない壁、それは常に厳然として存在していて、時に絶望することもあるけれども、それでも「わかりあおう」とする意志を抱きつづけること、そこから、人と人が繋がり、結びつき、それが軋轢を起こしながらも、一つの社会を形成していく、筈。

 主人公の妻は独裁者である。「直感による民衆独裁のみを肯定している」独裁者である。「民衆感覚」を共有していない夫は、彼女に対して言う。「君が誰で、何を考えていても、僕は君を愛している」と。……悲しい。

 ああ、まとまらないなあ。まとめなくてもいいと思うのだけれども。絶望的な諦観だと思うのですよ。どんなに世界が絶望的でも仕方がない。誰の意志とも関係なく、それはあるものだし、私は生きているし、生きている以上は食べたり、寝たり、生活したりせざるを得ないし、どんなに抵抗したって時間は進むし、あるものはあるし、ないものはないし。どうにもならないことはどうにもならない。それをどうにかしようとすることは、その意志は無駄じゃない。結果的には無駄かもしれないけれども、そうした上で、あるがままに受け入れる。結局。その対象が、世界じゃなくて、「妻」なのだ……。

 難しいことはどうせわからないので、感じたまま書いてみたら、無茶辛気臭そうだけれども、結構スペクタルな独裁小説なんですよ、いや本当。でも、書きなおすかも。

 あ、あと風野ドクターの書評が猛烈に楽しみです。うん。

 敢えて言えば超能力社会SF? とりあえず、買って読め!!

ぬかるんでから「ぬかるんでから」 佐藤 哲也
サイズ: 182 x 128cm 発行: 2001/05 価格: ¥1,619
ISBN4-16-320050-9
『ある日、突然、妻がとかげに変身? 死神と妻が交した取り引きとは? 可笑しくて不条理でしんみりする、摩訶不思議な愛妻小説全13篇』

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去年の今ごろ……
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