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ざぼんの皮 2001年 05月


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May.22,2001 (Tue)

-1.0kg

 うーん、一度増えると戻らないなあ。とほほ。

北野勇作『昔、火星のあった場所』デュアル文庫版発売

 【bk1/amazon.co.jp

 bk1のSFコーナーランキング(5/14-20)では6位。

 めでたく復刊した『昔、火星のあった場所』を、金曜日、さっそく購入。先に買ったOさんが「挿絵が〜っ」と叫んでいた。うーん、デュアルってどうしてこういう歪んだ絵が好きなんだろう(謎)。

 しかし、それ以上にがっくりきたのは、113ページ!! こ、こんなにあからさまなHシーンじゃないよう(滂沱)。北野勇作のほのかなラブラブ描写が好きな身としては、うーむ……。えーっと、川島誠『800』をホモ映画にされたような。

 土曜日、布団を干して空っぽになったベッドでごろごろしながら、ぼつぼつ再読したり。正直言って、私は多分『火星』を掴めていないのだが、冒頭から15分ほど読んだところで、「ユリイカ!」と……まではいかなかったけれども、見落としていた大枠を掴んだような気がしないでもないような気がするなーというような感覚をおぼえたような確信にはいたらないまでも何か大切なことが見えたような見えないようなとか考えながら、昼寝に入ってしまった。今読んでいるディッシュ『M・D』【上bk1/amazon.co.jp】【下bk1/amazon.co.jp】が終わったら再読しよう。

 『かめくん』にしろ、『クラゲの海に浮かぶ舟』にしろ、書かれていることは全て主人公の目を通して見た真実であり、その確信さえ持てば、描かれている世界が見渡せた。『火星』もそう、なんだと思うんだけれども、手がかりはぽこぽこ落ちているような気がするんだけれども、これが結べれば。

 『火星』に出てくる上司っていいキャラだなあ。特に部長(萌)。

映画『あしたはきっと……』

 それはそうと、北野勇作が原案として名を連ねている映画『あしたはきっと……』が、先週から上映中なんですよ。

パラレルワールドはいかがなものか? そういえば、かつて見た青春映画のヒロインは原田知世もそうだけど、みんな時を駆けてたのだ。僕も一度はヒロインに時を駆けさせたい。
SF的なことに関しては僕一人じゃ不安なので、友人で小説家の北野勇作に手伝ってと頼む。すんなりOKをもらえる。友人はありがたいもんだ。
一人の女の子が失恋を機に「もうこんな世界終わっちゃえ」と思ったら、本当にこんな世界が終わっちゃって明日がこなくなっちゃう話。

 見ねば!

佐藤哲也と佐藤亜紀

 佐藤哲也の日記(5/21)がすごい。おお。なんかこの夫婦って、やっぱり最強無敵だよ(T-T)。

 ……つーか、これって『ぬかるんでから』bk1】の……。ちがう???

去年の俺様

May.24,2001 (Thu)

Mikke's Life

 最新号は4枚。

 いつのまにか、「ミッケ」になったらしい。とかそういうことは置いておいて。

 ようやっと病院に連れていって、衝撃の新事実が判明。

 仔猫だと思っていたら、実は婆猫だった。

 ……しかもエイズ、癌、腎臓病持ち。車にひかれたのは事実なのか?

 こういうネタ、『動物のお医者さん』【bk1】でなかったっけ? 長毛の小型犬で。

 これからどうするんだよ……。つーか、間違えるな〜!!

去年の俺様

May.28,2001 (Mon)

-0.8kg

 一進一退。

 ここ2,3週間、朝明け方に目が覚めてしまうことが続いている。つーか、ほぼ確実に毎日。幸い寝つきはいいので、その後すぐに二度寝、三度寝できるのだが、さすがに辛い。早寝しても全く効果なし。おまけに見る夢は大抵悪夢だ。えーっと、今日のは大学の集中講義のレポートを書き忘れる(て、書こうという気も起こらないのだが、落とすとやばいなあ、とかボーっと考えている)夢。あとはオーソドックスに殺されたりするやつ。知り合いは出てこないんだけど、多分。内容も含めて、あんまり覚えていない。

 そういうわけで、朝弁当を作る労働を軽減するために、数あるレシピの中でも手抜き度数ダントツ1位の簡単メニュー『2週間できれいにやせる野菜スープダイエット』【bk1/amazon.co.jp】を利用。明日のお弁当はさつま揚げと、ほうれん草のツナ合えと、卵焼き。

映画『メトロポリス』

metropolis公式サイト

原作:手塚治虫『メトロポリス』角川書店【bk1/amazon.co.jp
 /角川文庫【bk1/amazon.co.jp
関連書:ニュータイプ編『メトロポリスthe MOVIEメモワール』角川書店【bk1/amazon.co.jp
 /大友克洋『大友克洋×メトロポリス(仮)』角川書店【bk1/amazon.co.jp

 日曜日、土砂降りの雨の初回で、きっとがらがらだろうと思っていた渋谷シネフロントはほぼ満員。ちょっとびっくり。予告が良かったからね。ところが本編は、

 雑。無神経。

 一体何なんだ、これは。酷すぎる。原作は未読なんだが……。こんなのなの?

 作画は確かに素晴らしい。だが、その他の部分は全て駄目。どうしてこんなにいい作画で、堅実なネタで、これほどまでの駄作になっちゃうんだ? なまじ画面が美しいだけに、絵が可哀想で可哀想で、後半はもう髪を掻き毟りたいくらい、苛立った。

 映画が始まり、見事なメトロポリスの光景に圧倒されて高まった期待は、パーティ会場でぺちゃくちゃ喋っている紳士たちのあまりに素人っぽい語りでまず地に落とされた。漫画っぽい画面に見合わぬ棒読みの役者たち。一体何を意図しているんだろうといぶかりながらも、いやいやその他大勢の声だし気にするな気にするなと自分をなだめ、でも他のキャストも……。うーん、もっと漫画っぽい声をあてればよかったのでは。違和感ありまくり。まあ、ヒゲオヤジなんかはいつもの人だからいいとしても、ケンイチもティマもロックも、はっきり言って、上手くない。アニメの、漫画の演技、発声じゃない。明らかに画面から浮いているような感触。と思ったら、声優じゃなかったのね。道理で。……どうして?

 さらにテンポが。無理矢理手塚漫画をしようとしたんだろうなあということは分かる。1カット抜き出せば、おお!手塚漫画だ!と感激するようなものもあった。でも、はっきり言って、退屈。どうしてこのネタで退屈になるんだ? メリハリがないというか、盛り上がりに欠けるというか。動かす人は頑張っているのかもしれないなあと思ったけれども、隣に座っていた中学生の少年3人組がぼそぼそ喋っていても仕方がないよなあと思った。大人も子供も楽しめない。

 脚本がとにかく駄目。本当に最悪。大友克洋、何考えているんだ? 細かい点は挙げればきりながい。漫画をそのまま映画に持ってきて無茶苦茶になったのかもしれないという点もあった。【ケンイチがどう考えても死んでしまったに違いないと思える状況で、ヒゲオヤジは全く心配そうなそぶりも、悲しそうな顔もせずに、現場検証(?)が始まっている隣で、暢気にペロと「これから捜索願を」なんて喋っているところとか。】ティマもケンイチもヒゲオヤジもペロも、とにかく描かれ方があまりに雑で、何考えてんだかさっぱり追えない。特にロック。こいつ何? 【とりあえずケンイチ(でもヒゲオヤジ)じゃなくてティマに銃を向けるべきでは。

 んでもって、テーマ。人間とロボットの共存? 心のないロボットに愛は生まれるのか、だっけ? そんなテーマは全て置いてけぼりで、内容はない。誰もそんなことを考えない。考えていそうな人がいても、カメラはそこを写さない。ティマもケンイチも全く葛藤しない。そんな口で、急にロボットがどーのと言われてもなあ。塔の上での展開は唐突すぎるし、まさしく取ってつけただけのもので、誰にも感情移入なんてできようもない。全体的にぶつ切れだ。はらはらするはずのクライマックスも、泣けるはずのオチも、盛り上がるところがないから、落としようがない。全て苦笑のうちに流れていったのでした。人間とロボットの対立構造も表面的で、歴史的な経緯、精神的な物は全く触れられなかったり。そんなに安易なものなのか? 何が言いたかったの、この映画は。結局何よ。

 ただ、映像は劇場で見る価値はあるかなあと思った。どうせなら大画面で。ぽんぽん気持ちよく跳ねるように動く名倉キャラはやっぱり可愛いくて、色っぽい。円錐形の足とかね。ティマも喋らなければ絵になる。私は前売りのディスカウントで1260円だったけれども、1000円以下で見ることが出きるなら、お気に入りの音楽をポータブルMDに突っ込んで耳栓にして、原作を手に持って読みながら見るといいかも。とかそういうことを本気で薦めちゃうくらい、駄目でした。『クレヨンしんちゃん』を見習って欲しいとか、マジで思うぞ。どんなに名前の売れたスタッフだろうと、どんなに金をつぎ込もうと、作品がこんなんじゃ無意味だ。

 これじゃああんまりだから、原作読もう。

=>つづき

去年の俺様

May.29,2001 (Tue)

-1.0kg

 玄米は本当に腹持ちがいいことを実感中。割合は玄米:白米=7:3くらいがよろしい。または、その逆。私が買ったのは、1合ごとに袋に入っている玄米なので、交互に食べているのだ。半々だと、玄米と白米が喧嘩してしまって、まずい。割合がこれ以上偏ると、完全に多い方が勝って、混ぜる意味がなくなってしまうのだ。

映画『メトロポリス』

 白炭屋のJUNさんのネタバレ感想と、日記(5/28-27)[格納場所]。概ね同感です。どうして何も書きこまれなかったのか。画面に比べて、物語の説明不足、描写不足が際立っていて、非常に苛立つ。

 でも、私は退屈でありました。確かに画面は面白かった。お祭のモブとか、消火ロボットとか、背景とか、塔が崩壊するシーンとか。でも、テンポが(泣)。繋ぎも悪いし。1カットだけ取り出せば、非常に頑張っているだけに、どうしてそうなるの!という感が強い。

 無理矢理とっかかりを探すにしても、うーん、ティマに心があるようにはとても見えないように思うんですが、そもそも。ケンイチにも単に刷り込みでなついていた(そのようにプログラミングされている)だけにしか見えない。"KENICHI"と書きつづける所とか、『火の鳥・未来編』【bk1/amazon.co.jp】の猿田博士が作っている心のない女性型ロボットの動きを彷彿とさせる。その上あの演技だし、自我を感じさせないから、台詞から何かを読み取ろうと思う気にはならないんだよな。フィーフィーの方が余程心がありそうに見える(しかし、ケンイチはフィーフィーの心の存在を感じているようには見えないんだけどね。ドライだ)。

 ケンイチにしても、ティマを女性として、人間として愛していたようには見えないんだよなあ。大目に見ても保護者という感じ? コドモか、ペットか。【ティマがロボットだと知っても全くショックを受けた様子がないし(そもそも何だと思っていたのよ)、変わり果てた姿になっても、反応に変化なしってのは、そりゃないだろう。愛している女の子がロボットで、さらに世にも無残な見てくれになっちゃったんだよ? 愛しているならショックを受けてあげてよ。絶叫してあげてよ。哀れんであげてよ。そうしないのは─最初から、どう思っていたの?】と思いながら、クライマックスも冷めてしまったのでした。

 だいたい話がわからない。そもそもレッド公は何をしたかったんでしょう。【ティマに秘められた世界を統べるほどの力って具体的に何? ああいうことをして世界を威嚇できる力のこと? んで、どうするの。ロボットを無力化して、単なる世界征服? 自分の娘の生き写しをわざわざ作って(この辺りも写真がちらりと出てきたり、「レッド公の子供は娘だったはず。でも亡くなった」云々という台詞で片付けられるだけで、全く力点が置かれていない)、わざわざそういうことに転用する、その真意は? それってかなり異様に見えるけれども、レッド公は本物の娘をどう愛していたの? さらに、ロックが必死にレッド公をあの椅子に座らせようとしていたからには、その役目はただの人間でも別にいいってこと? いや多分駄目(効果激減? 研究者の台詞であったな、前半)なんだろうけど、だとしたらロックって大馬鹿? 何も知らないにしても。ロックは原作には出てこないキャラだそうだが、もっと少なくともずるがしこい役回りのキャラだよな、他の作品では。一本気で正直者の主人公と対峙して、結果的にずるさが祟って間抜けになるキャラだと思うけど、少なくともこんなに馬鹿な間抜けではないし、あんなに一途なキャラじゃないし(気色悪)。反ロボット主義だった父親が、実は……】という絡みかと思ったら、カメラはすぐにそっぽを向いているような状態だし。単に私が理解できないだけ?

 ロボットと人の関係にしても、もっと説明があって然るべきだと思った。かつて、きっと道具としてのロボットと人間との蜜月時代もあったはずで、その後にあの世界があるってことに意味があるのでは。時間的にも空間的にもまるで奥行きがない。

 色々と検索してみると、誉める人は一生懸命画面を誉めているという感じがして、余所には触れていなかったりするみたい。

 あーあ。勿体無い〜。原作読もう。

SFの読み方と北野勇作

bk1/amazon.co.jp

 安田ママさんちの掲示板で、山之口さん『昔、火星のあった場所』について意味深発言を。ここ流れちゃうんで、紙で保存して、一部引用。

ただ、それだけに、この作品は、そうした作品群というか、世界観への共感を、読者にも要求するように思います。ヒラマドさんやニムさんが繰り返し言っていたように、そのあたりが宿命的に損なところかも。
ただ、それだけに、この作品は、そうした作品群というか、世界観への共感を、読者にも要求するように思います。平窓さんやニムさんが繰り返し言っていたように、そのあたりが宿命的に損なところかも。
ただ、それだけに、この作品は、そうした作品群というか、世界観への共感を、読者にも要求するように思います。ヒラノさんやニムさんが繰り返し言っていたように、そのあたりが宿命的に損なところかも。
(略)
あと、ネタバレにならないように注意して言いますが、「意味を読取ろうとする読者の努力は、主人公の性格づけにより制約される」のではないですかね。
 私は文学的知識はもちろん、SF的知識も、当然物理科学的知識も圧倒的に足りていないので、そこに書かれてあるものと、自分の直感で読み取る以外の術を持たない。もし何かしら特別な物が必要だとしたら私には手も足も出ないわけで、でも必ずしもそういうわけではないですよね(と私は信じている)。「意味を読取ろうとする読者の努力は、主人公の性格づけにより制約される」……。やっぱり入射角の問題か。

 SFを読む人、読まない人。SFは確かに読者を選ぶと思う。というか、SFはそれなりに特殊な読み方を必ず要求する(きっと他のジャンルもそれぞれ特殊な読み方を要求しているのだと思うけど)。積み木説はオフラインではあまり好評じゃなかったんで、練り直し。

 小説(には限らないけど)の中に描かれている物事と、読者の中(作品の外)にある従来の価値観や知識とを照らし合わせながら読むような読み方……という言い方で通じるかしら。物語に没入して、その世界の中で、その中の時間や、その中の人物と共に進むだけではなしに(恋愛小説なんかはこのパターンじゃないかな)、常に読んでいる自分の知識、意識、心を持った状態で、読む。だからこそ、読者の側に「認識の変容」が起こり得る。いわゆるセンスオブワンダー? だからこそ、時代と共に陳腐化する作品も多くある。読者の中の知識、価値観が、時代と共に対応できない方向に変化しちゃったりして。

 あくまで俺SFでしかないけれども、今のところ一番しっくりSF全体を包含してくれる解釈(でもって、ファンタジー、ホラー、ミステリとの差別化ができるような気がする)。あんまりサイエンスではないけれども。

 例えば、シェフィールド『マッカンドルー航宙記』bk1】は読者が持っている科学知識と照らし合わせて読むことを要求していて、そのことによってセンスオブワンダーを味わえるのだろう。ハードSFってそういうものなんだろうなあとは思う。この小説の場合は照らしあわすべき材料を持たない人にも楽しめるようにはなっているけれども、それは「小説」の部分の上手さであって、SF的な所とはちょっとずれるかもしれない。

 そういう特別な科学知識を持っていない人にも楽しめるSFってのは多くあって、もっと身近な言語とか、身体感覚とか、倫理道徳観とか、心とか、自我とか、時間などに関する捉え方とか、そういう直感的にわかる物と照らし合わせるもの。神林長平【bk1】が結構ジャンル外の読者にも受け入れられるのは、ここを立脚点にしたものが多いからではないかなあと思う(なおかつ、ハードなものもある)。『アルジャーノンに花束を』【bk1】にも適応できない?(あれは架空の科学技術を使うって所がミソだからちょっと無理矢理かも)

 でも、それでも相対化させることになれていない人にはきっとセンスオブワンダーは感じられないのかもしれない。照らし合わせなきゃいけないのに、「没入」する方向に入っちゃって、全然わけがわからなくなるとか。うーん、練り不足だな。

 でまあ、話を元に戻して、北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』の場合は、まさにこのパターンの典型。この小説内に書かれているテキストと、自分の直感と世界認識をうまく相対化させることが出来さえすれば、「読める」ように書かれていて、それはそれは見事SFなのだ。感動的なセンスオブワンダーを味わえる。では『火星』は? 「意味を読取ろうとする読者の努力は、主人公の性格づけにより制約される」むむむ。

去年の俺様

May.30,2001 (Wed)

-1.0kg

 せっかく作った弁当を忘れていったくせに晩御飯外食したり、駄目度高し。

 今日の悪夢では、禁煙したはずの父が、また煙草を吸っている現場を見てしまった。マジで幻滅してしまった。夢で良かった。夢だよな。

北野勇作『北見原発電所第四号炉の暴走』(「SFアドベンチャー」1987年9月号)

 うひゃー、送っていただいちゃいました(日本語変)。ああああ、ありがとうございます。

 ああ。これが全ての終わりの始まりか。どうしようもない切なさがリフレイン。

 北見原発電所第四号炉は、特殊な生体モーターによって、発電している。その「炉」が暴走してしまったとき、素人同然の3人の職員は止める術を持たなかった。

 ……このキャラクターの配置、事故の展開が、あたかも東海村臨界事故を正確に予言するために書かれたかのようだから(当然事故のほうがずっと後なんだけれども)、背中がぞわぞわしてしまった。自分が、終わりを過ぎた世界に今いるかのような、奇妙な感覚。

 文章は昔の作品だけあって、やや固く、「説明しよう」という意欲に溢れているのがなんだかおかしい。北野勇作じゃないみたい。

 こういうのもe-NOVELSで読めればいいのに。

北野勇作『昔、火星のあった場所』第四回日本ファンタジーノベル大賞選評(「小説新潮」1992年10月号)

 北野勇作『昔、火星のあった場所』bk1/amazon.co.jp】が優秀賞を受賞した回。大賞が出なかったせいか、普通挟み込まれている選評は存在しないそうです。

 初回の酒見賢一【bk1】、第三回の佐藤亜紀bk1】に続く回ということが大きかったようで、ほとんどが、この賞が求めるファンタジー小説とは、そもそもファンタジーとは何ぞ、ということに割かれている。でも、今回の5本の候補作は、ファンタジー以前に小説としてどうか、という話らしい。

 荒俣宏の「ファンタジーのベルは何よりもまずわれわれを唖然とさせる小説でなければならない。(略)われわれを仰天させるのは、むしろ、超絶的な虚偽や悪意や、あるいは小説上の陰謀である」「魔法は科学よりも論理的でなければならない」という言葉や、高橋源一郎の「(賢治やマクドナルドやルイス)はリアリズムの作品を書いたのである。それがファンタジーに見えるのは、かれらがあまりにもよく見える目を持っていたために、他の人間とは違った風に現実が見えたからである。かれらの作品は、かれらの肉体とかれらが生きていた世界の固有の現実を強く反映している。現実的なものだけがファンタジーになることができるのだ」という言葉は、ファンタジーノベル大賞のファンタジーくらいしか読んでいないような私にはしっくり来るんだけれども、どうなんだろう。昨日の話の続きで言うと、ファンタジーというのは、その小説の世界だけで、読者側の価値観とは独立した完全な世界を作るものなんじゃなかろうかと。ちゃうかな。量読んでないしなあ(それはSFに関しても)、サンプル少なすぎ。

 『火星』については、矢川澄子「ともかくも凡庸性をぬけだした、作家の果敢な試みをしのばせる労作(略)文章もたしかで、句読法からして独特であり、(略)言葉えらびも慎重」、荒俣「北野の作品には「読ませる力」があった。想像力的空間にわれわれを引っぱりこむだけの力と悪意とが発動していた」、高橋「SFと昔話を強引に継ぎあわせた物語を語る口調の向こうからは、作者の悲しみに似た感情が伝わってくる。作者の現実の基盤はその感情にあり、またその感情にしかない」などと、他作品には非常に辛い評をつけている選者にも好評。ただ、「いつまでも話がはっきりしない」「空中分解」「破綻」しているとされているなあ。むう。でも、本当に破綻しているのだろうか。

 メインのストーリーとカチカチ山の間に存在する関数が、今(私にとっては)ブラックボックスになっていて、たまに放りこんだら上手く変換される数値があることはあるんだけれども、物語り全体に適用できる式は見つけ出せていないような状態。「意味を読取ろうとする読者の努力は、主人公の性格づけにより制約される」。その制約は物語の必然から生じた制約では。その必然を見つけ出すためのヒントこそが、「制約」なのでは。と思うんですが、どうなんだろう。

他の方の感想:おおたさん/十夜さん/らじさん(5/29)[格納場所]/安田ママさん/小太郎さん/青木みやさん/山本さん/こはるさん/岡本家記録/ぬぬにさん/

去年の俺様

May.31,2001 (Thu)

-1.2kg

 但し、会社での昼の健康診断での数値。

 悪夢は見たのかなあ。笑いを取れるくらいまでに毒抜きできなければ日記に書かないという自らの禁を破ってしまったようだ。反省。

 それはそうと、左手の甲、親指の根元を沸騰する薬缶の口に晒してしまい、火傷に。無茶苦茶しみるー。

寮美千子作/はたこうしろう絵『おおきくなったらなんになる?』すずき出版(2001)

ookikubk1/amazon.co.jp

 25pの絵本である。以前ソフトカバー版をいただいたときに、ゆっくり感想を書こうと思っていたのだが、結局書きそびれてしまううちにハードカバー版をいただいてしまった。昨日と今日と、うちのポストは魔法のポストになったみたいだ(^^;。

 是非これは読んでもらいたい。最後のページでは決まって泣けてしまう。無茶苦茶切ないぞ、これ。『星兎』bk1/amazon.co.jp】も切ないけれども、それとは全く違う方向性で、でも泣ける度合いは、私にとっては『おおきくなったら』の方が高い。

 ここで言葉で説明してしまえば、本当になんてことはない話なのだ。これ、子どもが読むとどう感じるものなのだろうか。多分私が涙ぐんでしまう理由は、子ども向けに書かれたこの本が本来意味するところとは違ったものなのだろうと思う。まあ、子どもがどう感じようと、とりあえず全く関係ないわけで、そのあたりは無視してしまおう。

 涙が出るのは、クレヨンたちがひたすら無垢であるから。【己が無限の広がりと、何にでもなることができる可能性を、信じて疑おうとしないから。果てしなく大きく、どこへまでも広がっていこうとするから。「ちいさいね」と繰り返した子どもたちをも伴って、否定された希望さえも包み込み。

 私が泣きたくなるのは、クレヨンたちが到達することが不可能であろう地平を(それを知っているものと共に)目指していると思えるからではないだろうか。】私には、不可能。それを私は知ってしまっている。だいたい、そもそもからして、分別臭くて可愛くない子どもだったしなあ。こんな時代なんてなかったのかもしれない。だから、諦めと希望と後悔と、悲しみと懐かしさと憧れが入り混じった感動がこみ上げてくるのだ。でも、「これから」の子どもには、そんな地平なんて関係ない。どうか、限界を知る前に希望を持って、自らの可能性の地平を広げておくれ。分別なんて、後からいくらでもつければいいんだからさ。そんな規制の価値観に冒される前にしか、見ることができない世界があったはずなのだ。

 切なさの種類としては『ノスタルギガンテス』bk1/amazon.co.jp】に極めて近い。お気に入り。

北野勇作『火星』。「まあ、いいか」

『昔、火星のあった場所』bk1/amazon.co.jp

 山之口さんから書きこみが。ありがとうございます(T-T)。是非、ご自身のサイトにも書評を……ってのは、やっぱり難しいのかしら。

 うーん、作品内部に書かれているものごと以外の知識を読者に要求するのは、程度の差こそあれ、どんな小説、どんなメディアであろうと当然行われていることですが(行わなければどんな表現も存在し得ないし)、それがある特定の既存の作品に対する知識であるというのは、結構ハードルが高い部類に入ると思うのですよ。どんなに一般的な古典であろうとも。まあ、私はクラークは0.3冊(幼年期途中)、ハインラインは1.8冊(ルナゲート、夏への扉8割)、アシモフ0冊しかよんどらんので、そりゃもう無限の高さのハードルになっちゃう。でもまあ、『火星』に関しては、これは確かに意匠であり、知っていればより楽しめますよというサービスなのだろうと思います。そういうオマージュ部分に鍵があるようなことは少なくともないと。

しかし、たとえば『2001年……』というタイトルくらいは知っていても、映画も小説も知らないという、ごく一般的な読者を考えると、その場合は、ごく普通の小説の読み方、つまり、主人公に感情移入し、主人公の眼を通して、書かれている状況を考え、作者の意図またはメッセージを感じ取るしかないわけです。しかし、そこで、明らかに脱力系の主人公に、「まあ、いいか」と言われてしまえば、読者はそこから先に考えを進めることができない。現代的な性格と言えばそれまでだけど、実はそれ以前の問題。

 ちなみに、当然のように私は『2001年宇宙の旅』も未読ですし、映画も見た事がないし、『火星』のラジオドラマ版で小春のコマーシャル放送にかぶる「じゃーじゃーじゃーーーーん」というBGMが『2001年』のテーマ(なのか、単なるBGMなのかはわかりませんが)だと知ったのは、多分昨日かおとついに、たまたまTVで流れていたからだったのですが(全然威張って言う話じゃないよ……とほほ)、[しかし、そこで、明らかに脱力系の主人公に、「まあ、いいか」と言われてしまえば、読者はそこから先に考えを進めることができない。]ということろにこそ、私は疑いを抱いておるのです。その、主人公の思考が進めないその場所こそが、読者にとってのジャンプ台ではなかろうかと。というか、『かめくん』も『クラゲ』も、主人公が「まあ、いいか」と考えちゃうことそのこと自体に、深い感動と悲しみが秘められているものだったし、『火星』にもそれが隠されているように見えてならないのです。主人公がなぜ、それほどの状態を「まあ、いいか」ですましてしまうのか。そこが重要だと思うのです。

だから、この話しが「意匠」と「(全体にただよう)感情」に二極分化しないためには、作者自身が伝えたいことを、もっと主人公の行動を通して代弁させるべきだと思うのです。

 うーーーーーーん。それができないのですよ!(T0T) それができない小説なんですよ! それはしてはいけない小説なのですよ。それをしてしまうと、多分この世界は壊れてしまう。「まあ、いいか」という主人公の目を通して、読者は主人公の目線から真実を見、自分の中で紡ぎ合わせなければならない。そうすることこそが北野勇作の小説の魅力であり、北野勇作が北野勇作たるところだと思うのです。少なくとも私にとっては。それが私の言う北野勇作が宿命的に損な部分なのです。[わからないと気付けないし、気付かないとわからないし、気付かないと気付けないし、わからないとわかれない。さらに、わからないことには、「わからないことがわからない」。んで、それはそれでOKなんですよ。「わからない」ことも重要な事実だから。]これは、SFのガジェットのことを言っているのではなく、小説の構造のことです。

 ああ、今書店に『クラゲの海に浮かぶ舟』が並んでいれば! 言葉が通じるのに。『火星』で通じる言葉を捜すのだ。何もないところに穴を掘っているのかもしれないけれども(T-T)。

去年の俺様
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