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ざぼんの皮 2000年 09月


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Sep.22,2000 (Fri)

誉めどころを模索する

 総統のお見舞いに行って来たという森さんと茅原さんとお茶。総統は元気らしい。何より。他の話題は『探偵ナイトスクープ』がいかに素晴らしい番組かとか(私のベストは「お父さんのいびき」「西ケイ子(であるかどうかはあまり重要ではない)と巨大チチヤスヨーグルト」「山の上から、くさー」)、ダイエットとか。茅原ちゃんと延々『スキップ』をいかにすれば誉められるのかを模索してみたりもした。『チグユー』をネタに、誉める方と貶す方を入れ替えてディベートにするという話とか。『チグユー』は誉めどころがいっぱいあるからなあ。

 私がとにかくテキスト量が多い書評(感想)が好きという話をすると、森さんに珍しいといわれる。だって、短いものだと、「どこがどうなってんのや、説明して〜」と欲求不満になってしまうのだ。総統が短くする宣言をしてしまったのは、ちょっと悲しい(入院中は控えめにして下さいですが)。いや、必要充分であればいいのであって、いたずらに長くても仕方がないんだけど。自戒、自戒。でも、書く方は書きたいように書けばいい話だしなあ、こういう要求は読む方の勝手だし。

 『ハイペリオン』も、森さんは否定的な意見を聞かないというが、たまに否定的な書評がある(傷は確かにあると思うし)。でも、どこがどうというところが書かれていないのだよな。違う読み方をする人の意見を見たいのだが。にしても、ペインキラーさんはすごい速度で読み切っちゃって、自分の遅読ぶりを反省したのだった。4冊40日は茅原ちゃんにもゆっくりだと言われる。『ハイペリオン』(単体)は領事のプロローグで入り込めず、司祭の話は中盤からのめり込み、戦士の話はちょっと引いて、詩人も落ちまで長いと感じたが、学者で落涙して、探偵はイマイチ、領事ももうちょっとという感じだったのだ。それでも、それぞれ「面白かった」レベルはクリアしていたし(いちいちオチでは感動していた)、その場で進行する状況も面白かったから読めたんだけど。

 やっぱり絶対的に読む時間が減っているのと、常時接続になって本に対する集中力がそがれてしまっているのが原因か。むー、ネット絶ち?

去年の俺様

Sep.26,2000 (Tue)

ダサコン書評アンケート結果発表

 予告より1日遅れでオンライン書評に関する大型アンケートの結果が発表となりました。ご覧くださいませ。

 ちなみに回答数87というのは、ダサコンとしては無茶苦茶多いという印象です>リコさん(9月26日)。過去の第一回ダサコン賞が91、架空書評勝負56を考えても、今回、あれだけ長大な(「大型」というのは、あまりにアンケートが間延びしてしまったため、私が勝手に付けたものです)フォームで、宣伝もほとんど積極的に行なわなかったにも拘わらず(過去の企画ではもっと宣伝していたはず。それが証拠にミステリ系の方からはほとんど回答がなかったり)、ここまで集まるのは、やっぱりWeb書評サイトの運営に興味を持っている方が多いからなのか何なのか。20集まれば御の字だよな(スタッフも含めて)とか言っていたのに。少なくとも、集計編集する私にとっては膨大でしたわ。見づらくてすみません。

Web書評について

 私が好きなのは、日記一体型で、網羅的な(重要)索引があって、あらすじや紹介は特に必要ではないが(あるにこしたことはない)、無駄に長いもの、なのだと思う。

 書評が独立して単体であった場合、その本にあらかじめ関心がある人しか見ることがないのではないかと思うのだ。これは、自分のサイトで単体ページでやっていた頃に(今も残っているが)、アクセス解析を見て思ったこと。読む側としては、「へえ、こんな本があるんだ、知らなかったな」という風に興味を抱くことが出来辛くなるように感じる。というか、私はそういう「あ、こんなものがあるのね」ということをもっと知りたい。そのためには、その本を知らない人、関心のない人の気を引く必要があるので、自分が気を引きたい(読んでもらいたい)場合は、見えるところで躍りまくります。まず、「存在を知ること」がないと、その本と出会う可能性はない(か、とんでもなく低い)から、そのはじめの第一歩が重要なのだと思う。

 網羅的な索引は、どういう形態で書評を載せているにしても、必ずつけて欲しいと思う。サイトによっては、読む側にはわかりにくい形で分けて索引を載せている所がるが(新刊と旧刊とか。数年後はどうするんだろう?<素朴な疑問)、目的の本の記述を探すためにいくつも索引を引くのは、とても煩わしい。索引も読んだ順、UPした順なんていうのは、本人以外全く用をなさないわけで(図書館で受入順に配列するようなもの)、せめて読者を意識するのならば、著者名五十音順くらいはつけてほしいところ。

 長いのが好きなのは、先日書いた通りだが、「無駄に」長いのがいいというのは、純粋な書評以外のところで、こちらが引っ掛かる可能性もあるかもしれないと思うから。Web上でやりとりされていることというのは、ほとんどおしゃべりみたいなものだと思っているので、どんなことであってもいい、とにかく私の気を引いて、面白がらせてくれ、と思っているのだった。無駄な部分で交わされる、周辺の話や思い付き話も、楽しみたい。個人的なパッション(?)も。

 以前は割とMLで活発に発言していたのだが、最近はほとんど参加しなくなったのも(松下さん、すみません)、こういうことに関係があるかも。と思うが、また後日。

寮美千子『ノスタルギガンテス』二刷

 遅れましたが、寮美千子『ノスタルギガンテス』(1993)が、初版から7年目にして増刷することとなりました。めでたい!!

 思えば、私がこの本を知ったのも、ML(正確に言うと、その後稗田さんに猛烈にお薦めされたこと)がきっかけなのだった。その後、MLで活発にやりとりが交わされ、何人か読者が増え、寮さんからの書き込みもあり、DASACON2にお招きし、ファンページを作るに至り……、とかまあ。その後、『幻想文学』にインタビューと掌編が掲載され、週刊誌「SPA!」で四方田犬彦が取り上げ、ついに、増刷!!

 私が踊った程度でこういう事態に至ったなんていうことは、まあ有り得ないわけだけど、少しでもこの本が沢山の人に読まれるための力になれたのだとしたら、幸いです。ええ。

 川島誠『800』も6年目に増刷がかかったのだが、滅多に起こりえないことだけに、嬉しいなあ、こういうこと。うむ。

去年の俺様

Sep.27,2000 (Wed)

カッテージチーズを探して

 ダイエットは結構順調。というか、こんなに(って、500グラム単位だけど)減っていいのか、生理前なのに(ふつうは1〜2キロ増えるらしい)。でも、やっとトータル1ヶ月半で3キロ弱か。安全なペースだよな。

 胴回りの肉が目に見えて落ちてきて、ちょっと前の木村拓也に何とか「くびれ〜」と言ってもらえるくらいのくびれができたような気がする。まあ、これまでが酷かったので、実は大した事ないんだろうが、ここがこれだけ減るというのは予想外だった。お腹はなかなか減らない。

 だが、そこで新たな問題が発覚。私は姿勢が悪くて、背骨も相当曲がっているらしいのだが(「将来絶対に歩けなくなるから、腰を鍛えろ」と言われた)、痩せてみると、あからさまに体の側面の曲線が左右で違う。いびつだ。左は普通で、ちゃんと奇麗にくびれているのだが、右は妙になだらかだ。手を当ててみても、明らかに右は張っている感じがする。こんなに酷いとは。今まで肉に隠れていてわからなかったのですね。とにかく、整体に相談してみようかな。

 足もしまった感じはする。特に脛。腿も大分ズボンがぶかくなったのだが、まだ膝の上に肉が乗っかっている状態なので、これからも精進が必要。減る余地はまだあるはず。驚いたことに、二の腕も減ってきた。素晴らしい。でも、元が元だけに、まだたぷたぷしているんだがな。

 これだけ見た目は減っているにもかかわらず、体脂肪率が下がらないのは何故だろう。何か間違っているのだろうか。

 運動の方は、相変わらず毎日のウォーキング(足が速くなったので、遠回りを推奨)と、土日のプール。土曜日は30分強で1000泳いでさすがにばてたが、日曜日は1時間で1200。マイペースだ。

 んで、日曜日の晩御飯は久々にインスタント麺、それも「スパ王ペペロンチーノ」だったんだから、なんだかなあ。でも、本当に時間がないときに、インスタント麺は有り難かった。久々だと、なぜか旨いし。

 ところで、最近どこにもカッテージチーズがなくて困っている。本当にどこにもないのだ。スーパーを6軒まわったが、どこにもない。これも雪印禍か。ついでに、小松菜500円、ほうれん草400円でも、売っているだけマシな現実に悶絶。これは雨のせいだな。結局今週は壬生菜200円。モロヘイヤみたいに粘ったらどうしようと思ったが(えぐみがあって苦手)、しゃりしゃりしていて旨いし、扱い易い。良かった。

再販制度

 を廃止すべきか否かを一足飛びに論じてしまうのは、何か違うような気がする。そもそもこれがなぜ、何のための制度なのか、なぜ存在するのかを考えると、現行の再販制度にとらわれず、廃止ではなく、見直しという方向に考えた方がいいと思う。

 そもそも再販制度ができた原点に立ち返り、出版にとって必要なものは何なのか、本当に大切なことは何なのか、それを守るためにどうすべきなのか、そのために何を変えていくべきなのか。制度を守るために出版があるのではなく、出版を守るために制度があるのだとしたら、どうなるべきなのか。まあ、いずれにしろ簡単に行く話じゃなんだろうけどね。少なくとも、変えていくべきなのはブックオフなんかではなく(あれは正しい商売だと思うし、消費者も安けりゃ買うのが当たり前。高い方を買えと言う方が無理がある)、出版そのものだと、私も思います。やっぱり出版業界狂言誘拐説だよな。市場原理とは反するのだろうけれども、だからこそ、何らかの補助機能が必要なわけで。

 などということを、有里さんのページを見ながら思っているのは、またある会社が本格的にやばいらしいと聞いたから。うーん、うーん、暗いなあ。

先行予約

 森山さんの日記で、bk1でカード『エンダーズ・シャドウ』(書名間違えていました。すみません)の予約を受け付けていることを知り、なぜか異常なほどトキメキを感じたので、注文してみた。2冊一度に注文する要領がわからなくて、ちょっと戸惑ったけど、無事成功。今回は会社に配達してもらうために、カード払いにしてみた(洒落にアラズ<をい)。

 別にカードのファンではないが(結構読んでいるし、好きだけど)、『エンダーのゲーム』をビーン側から見たものと言えば、もう私的萌えシチュエーションそのものなわけで、それを考えただけで、萌えてしまったのだった。ああ、なんだか恥ずかしい。海法さんの読感を見ても、「く〜〜っ!!」となってしまう。ああ、早く読みたいな。

去年の俺様

Sep.28,2000 (Thu)

山田正紀『宝石泥棒』早川文庫JA(1986)

=>読み始め

 うーん。これがスタンダードな山田正紀なのだとしたら、私には合わないなあ。

 饒舌な語りが強引に話を進めていくだけというような感じがして、物語の要素要素が有機的なつながりを持ち得ていないような。前半はまだジャングルとか変な街のイメージで結構面白く読めていたんだけど、後半に入ってからは、それもちょっと【陳腐に走ってしまって。落ちにカタルシスを求めようとしたのだが、「俺たちは何ものかの掌で躍らされていただけだったのか!」とか言われても、もともとランに惚れたのだって、「地の文の力」としか感じさせられなかったから、カタルシスも何も得られよう筈もない】。

 やっぱり古さも感じるし、今ハルキからこれを出して高校生やらが読んで面白がったりするのだろうか? 誰のための復刊なのだろう。いくら名作と言われていても(そうなのか)、やっぱり時代というものがあるのではないかなあ。

 一応、これと『神狩り』は読もうと思っていたんだけど、優先順位がぐっと下がってしまった。

川島誠メモ

 備忘録。西田さんの『だれかを好きになった日に読む本』にリンクを張ること。復刊リクエストまでしていただき、感激です。図書館に結構入っていることもあるので、読めるかもしれませんが、是非復刊してほしいものです。無理だろうけど<こら。

去年の俺様

Sep.29,2000 (Fri)

森絵都『カラフル』ラジオドラマ版

 前世で犯した罪のせいで輪廻の輪から外されようとしている魂、それが「ぼく」だった。しかし、輪廻に復帰することが出来る天界での抽選に当たったらしい。自殺してしまった中学生「コバヤシマコト」の体に乗り移って"ホームステイ"する間に、忘れてしまった前世での罪を思い出せばいいというのだ。こうして、「ぼく」の「コバヤシマコト」としての他人ライフが始まった。

 久々にリアルタイムで聴いた。でも、大概は何かやりながらなので、「流れていた」だけなのだが、それがかえって良かったようだ。変に頭を回さずにすんだからね。最終回で非常に素直に感心できた。

 「ぼく」についている天使プラプラのある言葉(終盤、最終回)で、話が死生観のレベルにまで広がる瞬間に、ぐっときた。それで、何か目前にある問題が解決できるということはないだろうけれども、どうしようもなくなった時にそう思えば救われることもあるかもしれない。要は、気の持ちよう。

 「所詮は絵空事」なんだけれども、だからこそ、重くなりがちな心をふと軽くさせるドラマではあると思う。【過去の全てを捨て去ることが出来れば、違う自分になれるかもしれないというのは、重松清『ビフォア ラン』に通じるところがあるよな。それができないからこそ、みんな苦悩するんだけれども】。原作は未読だが、評判になったことも頷ける。

去年の俺様
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