買いましたよ、読みましたよ。良かったですよ〜。でも、早寝励行週間なので(いや、マジで)、周辺と雑感のみ。
会社を6時半すぎに退けて、駅の普段は使わない改札の近くにあるチケット屋さんへ。当然、図書券を買うためである。が、図書券はなし。うーん、500円が485円になるだけなんだけどねえ、あー、けち臭い。思えば、ここがけちのつき始め。
仕方がないので、代わりに切手を買って、ふと見まわすと、本屋の看板。ちょっと大き目の町の本屋さん(近所に8店舗展開しているみたい。要するに、そういうサイズ)だ。だが、求める『ロッカーズ』は、部屋の近所の本屋に予約しているので、見たところで買えない。2冊買ってもいいんだけど、と数分迷うが、やっぱり探してみることに。
しばらく探す。が、なかなか見つからない。ここで初めて、自分がかなりドキドキしていることに気付いた。そうなのか、そんなに楽しみにしているのか、自分。すると、これが隅っこの方に、ちゃんとあるのね、3冊も。うち2冊はカバーに傷があったり、ページが派手に折れていたりする。
装丁は宇野亜喜良。そう言えば、先先週森山さんは、『電話がなっている』の装丁も宇野亜喜良だってので驚いていたようだが(挿画は長谷川集平。走っている面子ですな)、ちらりと冒頭を読んでみると、ああ、これ、覚えてる覚えてる。ヴァイオリン(「ヴァ」ね)を抱えた14歳の少年が、カツアゲにあいかけるシーン。読んだ読んだ、やっぱり『鳩よ!』で連載していた『詩人の魂』だ。奥付けによると、1994.12〜1995.12の1年間の連載だったらしいが、かなり加筆されているらしく、ずっしり重い300ページ。うーん、かなりいい感じ〜。しかし、ハズカシイ帯だが、この恥ずかしさが川島誠。
ここで買うか買うまいか迷う。結局買わなかったのは、こういうさしてとても大きいとは言えない程度の本屋さんに3冊も配本されていることから、近所の予約を入れている書店にも入っていると思われたのと、たとえここで買っても予約しているところでは買わねばならず、2冊目を買うのであれば自分が気に入ってからにしたい(『走り出そう』が、ねえ?)と思ったから。
というわけで、手ぶらで電車に乗って、目的の書店に向かうが、「来週以降になりますね〜」とは、何と!?(爆涙) あのー、ええ、予約した本が当日に入らないことはよくあるとは思うんですがねえ、販路が決して狭いとは思えないマガジンハウスの、別に皆で取りあいするようなベストセラーでもなく、まして予約していないような書店で3冊並ぶ程度には多く刷られている、尚且つ「小説」が、どうして、この東京で!、都内で、一月前に予約しているのに、入らないとか言えるんですか〜〜〜〜〜〜〜。いやあ、内情を知ってはいても、どうこう言えるレベルではないのでは〜〜〜〜〜〜〜。てゆーか、恥ずかしくないっすか〜〜〜〜〜〜〜。ちょーーーーーーーーーっと、引きつったねえ〜〜〜〜〜〜〜〜。
ってことで、降り出した小雨の中、泣く泣くちょっと足を伸ばしてありそうな書店をあたってみるが、ないないない。時間は既に8時すぎ。さあ、どうする。
つーか、久し振りなんですよ。新刊でこんなにときめくのは。最後にこういう気分になったのはいつだったのか、覚えていないくらい。あ、そうか、自分はあまり普段本を読みたいとは思っていなかったんだ、実は、ってくらい。私にはこういう気持ちが欠けていた。本当に読みたいものなんて、実は全然なかったんじゃないか。雨の中で呆然と、会社の近所まで引き返すか、それとも山の手線側に行って、確実に手に入る大書店まで遠征するか迷いながら、そんなことを考えていた。
結局、戻ることにした。閉店が8時だったら間に合わないが、9時以降なら何とか……。駅に引き返し、電車を乗り換えて、果たして書店は営業中。幸いというか、1冊も売れておらず、カバーに傷もなく、ページも折れていない1冊を買うことができた。やったー。疲れたー。
あまりに腹が減ったので、途中マクドのウィークデースマイルで80円のチーズバーガー初体験をして、帰宅したら9時だった。とほほほほ。
12時ジャスト読了。面白かった。クニさんとか、オーウェルとか、どうでもいいキャラの名前は結構覚えていたのに、ストーリーはほとんど覚えていなかった。なんでだ? 感想は、明日以降。
いやあ、今日は良いものを見せて頂きました。あらゆる意味で、実り多き一日だったと言えましょう。しかし、決定的瞬間を見逃したのが、つくづく悔しい。「まんが日本昔ばなし」にも、「みかんのうた」にも勝てなかったし。
小野ぬいだけで検索すれば、レディ・グルンサとかでリスト関連項目から引っかかってくるのでは。(6/22)とのことですが、インフォシーク「小野ぬい」3件、goo「小野ぬい」4件、「グルンサ」ではgooがゼロ、インフォシークは1件でした。リストページすら引っ掛からないのは、みんなロボット除けしているからでしょうか? 『LADY! グルンサ』って、古本屋遭遇率はかなり高いので、それなりに売れたんではと思っていたんですが、どうなんでしょ。マニア受けするものだったのか(^^;。打ち切りっぽいし。私はリアルタイムでは読んでいないので。
ちなみに、「狩鷹明」と「小野ぬい」の共同ペンネームであるところの、「狩野小鷹」ではgooが1件(私のところのみ)、インフォシークが5件でした。で、「同一作家の別ペンネーム」(データベースには収録なし)のサイトの随分前の掲示板で、"狩野小鷹 昔ファンロード関連で描いていらっしゃった狩野小鷹先生は確か共同PNで片方が今、えーと…ごめんなさい、見つからない。狩野ハスミ先生だったはず。""狩野小鷹先生の片方が「狩野ハスミ」>「姫川 明」先生でした。"とか書かれていて、そりゃ初耳と「狩野ハスミ」で検索してみたら、18禁系の漫画家さんらしい。18禁はさすがに書いていないと思うけど。「狩+野+小+鷹」だから、「狩野ハスミ」じゃ計算がおかしいし、でも、絵を探せなかったので、判別はつかず<違います。
他にも色々検索してみたんですが、今んところ、うちが2人組「姫川明」について、世界一詳しいページかも。さめざめ。私が『ヒウリ』を読み始めたのは(つーか、初めて即売会というものの存在を知り足を踏み入れたのが(まだ片手で足りる回数しか行ったことがないが))'90年ごろなんですよ。初めて手に取ったのが、隔月発行オリジナル忍者漫画『ヒウリ13/14』と『ヒウリ15』なので、かなり新しいファンのつもりなんですよ。なのに、ねえ?
#つーか、私は『エヴァ』も初めて見たのが16話なんですよ。『ヒウリ15』ってのは、位置づけ的には、それと同じようなものなので……。
なお、ペンネームの使い分けですが、
「狩鷹明・小野ぬい」名義で、同人活動を'96年頃までは(知る限り)行っていた。主にオリジナル長篇忍者漫画『ヒウリ』(一応全24冊完結)、その外伝『焔は風の名の如く』(全3冊完結)など。アイディアは共同、ネームは小野ぬいが担当。書き分けはキャラクターごとに、下書きからペン入れまで行った(『ヒウリ』ではゲンは小野、ヒメは狩鷹。『ルウ・ガル』ではガルは狩鷹、直視は小野)。共同で執筆する時は、だいたいはこの形式のように思われる。
「小野ぬい」単独で徳間書店で、『レディ・グルンサ』という虎漫画を連載し、単行本(AC)も3巻まで出した(一応完結)。
「狩野小鷹」は「ファンロード」で『雪まぼろし』という狼漫画を連載した際に、二人共同で使用したペンネーム。連載は完結したが、単行本は1巻のみで未完。
「姫川明」は『焔は風の名の如く』で、'91年第四回少年サンデーコミック★グランプリの準グランプリを受賞した時に使用し始めたペンネーム。以後、商業誌での活動は、このペンネームを用い、二人共同で行う(少年サンデー増刊での連載『焔は風の名の如く』『カイジ』『BANBA』のほか、ラポート『アルキミア』、角川『ルウ・ガル』等)。が、今年発行された小学館『ゼルダの伝説〜時のオカリナ〜』では、表紙見返しの自画像が一人ぶんしかなく、全て「狩鷹明」が単独で書いているのではないかと思われる。
その他、ジャンプでのデビュー経験もあるとか書かれていたような気もしますが、それが共同なのか単独なのか、どういうペンネームだったのかはわかりません。
こんな感じ? 他にも、同人単発で色々あったと思うけど、それはいいや。
そう言えば、昔ジャンプで連載していた「飛鷹ゆうき」(『タイムウォーカー零』)とお二人を間違える人が結構あったらしい。『ヒウリ』側は「絵も全然違うのに、どうして混同するのだ?」といぶかんでいた。字のこともあろうが、『ヒウリ』前半頃の絵に似ていなくもないとは言えないかもしれないと思う程度には、まあ間違える人もありかもとは思わないでもなかった。ものすごくおおざっぱに見て、だけれども。その後(かな?)『ジャンプ』目次の漫画家から一言の枠に「私は二人ではありません。一人です」というようなことが書いてあって、友達連中と大受けしたなあ。あな、懐かしや……。
6月22日読了。
ちょっと前、とある人が、ミステリーはずるいよね、みたいなことを言っていたのを思い出した。正確に覚えていないが(だから名前を伏せるんだが)、ミステリーには何らかの謎が存在し、それを解く方向に物語が展開する。最初から読者をラストに導くための推進力を、構造的に持っている。ミステリーであることと、物語を読み進ませる推進力は連結している。対してSFは、そういう推進力と、SFであることが直結していないから、というような話でしたか(ちがうかも)。
『ロッカーズ』の感想はと聞かれて、私が余所や自分の掲示板に書いたのは、「川島誠素っ裸」とか、「川島誠「私、脱いでも凄いんです」」とか、「Ninja(Lv.10000)対ワードナ」とか、未読の人にはさっぱりわからんだろうし、読んでも通じなさそうな、本当に個人的な印象ばかり。
これまでの川島誠は、地力の前に、飛び道具でまず読者をわっと驚かせて、腰を抜かせるような小説が多かった。小学校低学年向けの児童書で教師と中学生のセックスを書いたり、主人公を隻眼にしたり、地の文を二人の一人称に分けたり。それはいわゆるタブーとされるものであったり、鋭利な小説技術であったりしたのだが、そういう目くらまし的なものが、この『ロッカーズ』では何もないのだ。長篇の度に書かれる障害を持つ人だって、今回はちょい役だしね(物語的には、いい書かれ方をしているが)。だから、「素っ裸」という気がする。
ストーリーは、はっきり言って、凡庸。いわゆる青春音楽物。主人公がふとしたきっかけから、年かさの少年たちのバンドに参加し、そのバンドがメジャーになる過程で音楽性を見失い、解散するまでの話。それぞれのエピソードも、例えばヒロに関わる中盤の展開などは、実在するビジュアル系バンドで似たようなことが最近あったなとすぐに思い付く。あまりと言えばあまりに上手く行き過ぎるという印象もある。ヘミのことも、ちょっとあまりにも安易じゃないかい? 音楽に関するところも、言っちゃ何だが、野暮ったいような気がする。
相変わらず性的な場面は多いのだが、あー、とりあえず私はこの人のこういう描写は苦手です。『もういちど走り出そう』が駄目なのも、『清潔で明るいところ』のどこがいいのかがわからないのも、海辺の三兄弟シリーズにあまり惹かれないのも(これはまとめて読めないので、今の時点では何ともいえないが)、多分、そういうことなんだと思った。児童書『電話がなっている』に収録されている諸作品の、饐えて醗酵した、今にも爆発しそうな重い鬱憤の象徴として書かれるならしっくりくるんだが。こうも処理処理と書かれてしまうと、ちょっと気分が萎えます。
展開も定石通り。いや、本当に定石だけの物語でしかないのだ。始まりの興奮、上り詰めていくスリル、その後に訪れる停滞と倦怠、そして、やや悲劇的で、それなりにまあドラマチックに「作られている」ラストすらも。
で、感想としてどうだったのかときかれると、非常に面白かったと答える。定石通りのものを書かせても、なんだ上手いじゃん川島誠! 何しろ、もう力いっぱい定石どおりなのだ。このあたりがNinjaがどうのというたとえなんだが(わからんわい)、いやしかし、ワードナ程度にこんなにがんばらないでも、いやでも一応大ボスだしね、というちぐはぐさを感じるぐらいに、裸で強い。まあ、ここまで私が喜ぶのも、重度の定石読みだからなのかもしれない。丁寧に計算され尽くした構成が、喜びだ。完成度はと聞かれれば、90点くらいあげてもいい。『しろいくまとくすのき』以来4年ぶりの長篇。普通小説としては『800』以来8年ぶりの当たり(実際は『夏のこどもたち』の方が読んだのは後なんだけれども)。いやあ、面白かったよ。
主人公リンの物語に対するスタンスは、『夏のこどもたち』の朽木的。性格は『800』の広瀬。だが、この小説に読者を寄せ付ける吸引力と、読み進ませる推進力があるかどうかは、別の話だ。推進力はあるだろう。古式ゆかしい青春物の黄金パターンを踏襲しているのだから。むしろ、ありすぎるくらいだ。軽く滑って行ってしまうだけではないか? 食い込むだけの重量感に欠けているような気がする。
はてさて。物語も盛りだくさん、爆発力も充分、でも完成度が悲劇的に低い『レキオス』とは全く反対の意味で、人に薦めにくいんだけどねえ。とりあえず私は結構満足。
=>つづく。