日記は止めると癖になる。4/27から間遠になってしまったが、一日の必要コミニュケーション量は定量だということか。色々と電話やイベントがあったが、めでたいこと多し。
一昨年の10月から、1年半以上絶縁していた父と弟が、やっと和解したというのが、一番めでたい。父も禁煙500日を達成して、めでたいめでたい(嫌煙)。いとこの姉ちゃんの結婚式も、10月に確定。先日Rの式のために買った服が転用できる。非常にめでたい。妹が『探偵!ナイトスクープ』に出るらしいと聞いて、てっきり依頼が採用されたのかと思ったら、観覧希望が当たったのだそうな。まあ、めでたい。でもあれ、スタジオでモニターを見るの?
安田ママさん情報によると、6月にマガジンハウスから新刊が出るらしい。めでたいめでたい。でも、ママさんの表記が川端誠になっているので、もしかして、糠喜びか!? でも、マガジンハウスなら、川島誠だろう。それだとマガジンハウスPR紙で枡野浩一さんが『800』を紹介したタイミングが、ちょっと疑問。
評論集だといいなあ。デビュー短篇集『電話がなっている』復刻なら、なお良い!! 結構雑誌のみの短篇もあると思うし、新作も読みたい。ああ、でも海辺の女たらし三兄弟もの(児童文学雑誌『飛ぶ教室』で、それぞれの彼女ととっかえひっかえヤりまくる連作短篇を書いていた)かもしれないが、あれは、うーん、まとまるとどうなるのかなあ? マッチョ不倫小説は、もういらないです。『もういちど走り出そう』はつまらなかった。
#と思ったら、マガジンハウスのサイトで、これだけが品切れになっていた。『800』に続いて、『夏のこどもたち』も増刷したのだろうか、もしかして!? しかし、このサイト、品切れ一覧があるのがいいねえ。他の出版社もしてほしい(量が問題か)。
ああ、期待はふくらむばかり……。早く教えて、ママさん〜!!
今月はもうすぐ、池上永一『レキオス』が文芸春秋から出るらしいし、めでたいなあ。しかし、2,286円……。か、買うさ!!
それにしても、悪魔のようなタイミングだなあ。ここ数日、日記が上がらなかったのも、実は川島誠のせいだし。
「児童文学」というのは、摩訶不思議なジャンルだ。たいていのジャンルでは、著者もまた、そのジャンルの読者なんだと思うけれども、「児童文学」だけはそうはいかない。大人である著者は、読者対象である児童ではありえないわけで、そこに妙なねじれが生まれる。
というようなことを書こうとして、全然進まないのは、毎日『飛ぶ教室』の連載コラム「状況と批評」のコピーを引っ張り出して、読みふけっちゃうからなのですね(;_;)。
今日は我慢して、ちょっと書こう。たかはしさんが、アンソロジー『だれかを好きになった日に読む本』に収録されている短篇「電話がなっている」について、
と書いてくれているが、多分、私も、中学越えるまでは、ここに出てくる用語すら、全然わからなかったろうと思うし、何があったのか(「被害が少なそう」ってなんじゃ)もわからなかったろう。でも、このアンソロジーは、恐らく小学校中学年向けに編まれているし、この短篇を収録している同名のデビュー単行本の対象年齢も、それくらいだ(もうちょっと低くなるかもしれない)。
でもまあ、デビュー単行本の方が、作りが素直……というのも違うか、何と言えばいいのか、単純に言えば、小学校低学年から中学生まで、主人公の年齢順に(おおまかには)並んでいる。「幸福とは撃ち終わったばかりのまだ熱い銃」「田舎生活(カントリーライフ)」「ぼく歯医者になんかならないよ」「電話がなっている」「悲しみの池、喜びの波」。
「歯医者」までは、蓄積された鬱憤が、大爆発する話。あまり表面的には性的なものを含まないので、小学校3、4年生なら、まあそれほど無理もなくわかるだろうというもの。この3つが、熱しすぎた圧力鍋のような重量感(何だそれは)で迫ってくる。特に冒頭の「幸福とは」は傑作。いきなり強烈な爆風を浴びせられます。
後半2本「電話」「喜び」も、用語や行為の意味するところが理解できなくとも、十分に心に刺さると思う。基本的に上手いので。「悲しみの池、喜びの波」も、言葉で説明する類のお話ではないから(誰か復刻してよ、これを!!)、用語がわからなくても、主人公の心にどのような変化が訪れたのか、それを伝える力はあると思う。
ではなぜ、敢えてわからないような用語や、事柄を、川島誠は書くのか。それはやっぱり誠実さなんだと思うんだよなあ。わからないであろうと勝手に推測して避けるのではなく、PTAに怒られるから(怒るだろう、これは)書かないのでもなく、確かに、子供にもそういう情動はあることを認め、そのまま書くこと、それが川島誠の誠意なんだろうと。なぜか。伝えたいから……、なんだろうなあ。用語や、行為や、意味がわからないのであれば、それはそれでいい。その子供には「まだ」不要なものだから。でも、たとえ自分ではそんな思いに気づいていない子供でも、何か共感するものを持っていれば、そこでどのような哀しみが起こり、喜びがありったのかは、伝わるのではないか……と思うんだけど、どうだろう? 本当にこういうのを受け付けない子供は、前半のばっちいので引いちゃうと思うけどね。
ただ、アンソロジー『だれかを好きになった日に読む本』だけは、どうしてこういうラインナップを組んだのかが、もう真面目な話、全然わからん! だって、ブービーがこれで、トリが「The End of the World」……。編集者の物凄い悪意を感じるんだが、何なんだろう、これは。
ああ、全然まとまっていない。説得力もない思考の垂れ流しだ。うーん、でも、好きだな、川島誠。
あ、それと、「電話がなっている」の最後云々ですが、ネタバレ=>【最初の方で、「きょうは、たいへんなごちそうだった。おいしかった。」と、何だかんだ言いながら、ぺろりとご飯食っているあたり】で、私は十分だと思ったです(^^;。こりゃこりゃ。
というわけで、安田ママさん情報によると、6月22日川島誠『ロッカーズ』マガジンハウス(1,800円)発売ということらしい。『しろいくまとくすのき』以来、3年半ぶりの単著だよ(;_;)。
内容は、これだけの情報では窺い知れないが、1800円という値段は結構高め。刷りが少ないのか、分厚いのか。小説なら、それほど刷りが少ないとは、あまり思えないんだけど。『800』を初刷から6年経って2刷したような経緯もあるから、万行くか行かないかという程度には刷っているんじゃないかなあ。万超えているかも?(希望的観測) 評論とかなら、刷りが少なくて、この値段というのもありかもしれないが、このタイトルでは小説だろうなあ。どちらにしろ、児童文学系統ではなさそう。海辺の女たらし三兄弟ものなのかな? あれはサーファーではあっても、ロッカーじゃないような気がするが、「ズ」ってところが三兄弟っぽくて。
とか、要らぬ想像を膨らませるのも楽しいなあ。もう、いくつ寝ると〜。
連呼しておこう。今が旬なので。食べごろですよ、食べごろ!!
「マグ・レター」での『800』紹介のタイミングについて、枡野浩一さんから、直接書き込みをいただいてしまった。ありがとうございます。
どんな本でも、それに何がしかいいところがあれば、必ず需要はある。けれども、必要としている人の目に止まらなかったがために、手に届くことなく、消えてしまうものもある。なんとか、目に触れさえすれば、その存在を伝えることが出来れば、需要と供給の正しい関係が成立するのではないか……と思うのだが、それって、あれだなあ、宇宙で知的生命体と遭遇する確率を求める方程式を彷彿とさせるというか。出版された時期と、その人にとって必要となる時期が3年ずれていたら、本と人は遭遇できないとか、出版される本のうちで、目にすることが出来る本の割合とか、そういうの。
そんなずれを、多少なりとも何とか少なくしようと、知られないまま消えてしまうかもしれない本を、必要な人の元に届くようにしようと、私のような素人でも、微力ながら、こういうサイトを作って宣伝できたりする、今はとってもいい時代。読む側も、自分では知り得なかったような本の情報が簡単に入手できるようになったし。まあ、それと同じだけ、ノイズも多くなったんだろうけれども、それはそれ、選ぶ目を鍛えればいい話。知らなければ、選択肢に入ることすらなかったはずなんだからね。
そうか、品切れ本も紹介しているのですね>「マグ・レター」。結構意外でした。だから、川島誠の出版時期も勘ぐったりしたのですが、そこは勘ぐりすぎでしたか(^^;。でも、こういう勘ぐりも楽しいのです。いいPR誌だなあ。
#部数については、かなり失礼で的外れな勘繰りかもしれないとも思いますが、実際どうなんだろう。映画化はしたけれども、そこで増刷されたわけではないというのも、結構推測し辛い要因になっていたり……。
それはそうと、安田ママさん(5/14)が、川島誠『800』を読んでく下さったそうな。好感触。
ガツンときた、というのが率直な感想。速球ストレートを投げる方なのですね、川島誠って。重松清をほうふつとさせますね。
『800』は確かに速球ストレートな青春小説ですが、それが川島誠の決め球なのかというと、それはどうなんだろう。他の小説も是非読んで頂きたいですね(^-^)。何ならお貸ししますよ、いつでも! ちなみに、u-kiさん(4/27)は、お貸しした『しろいくまとくすのき』を「気に入ったから」ということで、そのまま買い取ってくださいました。布教のしがいがあるなあ(;_;)。
それから、川島誠と重松清が似ているというのは、まこりんさんにも以前言われたような記憶がある(不確か)し、私自身、重松清『ビフォア ラン』を高2で、川島誠『800』を高3で読み、どちらも陸上絡みの青春小説だったこともあり、そう思わないでもなかった。のだが、重松清の商売的器用さとは対極のところに、川島誠はいる。どちらが良い悪いというものではないんだけど、表現形は確かに似ているかなあという気はする。
で、愚鈍庵さんが、単行本版『電話がなっている』の感想をあげてくださったので、こちらも是非ご覧ください。こういうのが、重松清『見張り塔から、ずっと』に対応していないとも思えないでもないところがミソ(何がなんだか)。むき出しの感情、後味の悪さは。でも、川島誠の場合は、児童文学であるということが結構重要で、その点では、SF大賞投票(5/14)もオッケーでしょう、この短篇集なら(;_;)ノ。15年前の本だけどねえ。
あ、でも『悲しみの池、喜びの波』は、すごく読後感爽やかじゃないですか!? 喉につまった嫉妬も怒りも哀しみもやるせなさも鬱憤も、従妹の少女との触れ合い(び、微妙な語感だ)で、するりと溶解してしまう、あの感覚は。嗚呼、もう一度読み返したい!!
また借り直して、今度こそコピーしよう……。
人間がいなくなった宇宙コロニー"トルク"が舞台。そこでは、電波髭を生やした猫たちが、人間が残したロボットを相棒にして、生きていた。死んだ魂は、トルクの外に浮かぶ地球儀に行くのだと信じて。だが、生きたまま地球儀に行こうとするスカイウォーカーと呼ばれる猫もいた。そんなことを考えていると知れただけで、たちまち異端として殺されてしまうにもかかわらず、黒い仔猫"幽(かすか)"は、相棒の少女型ロボット"クリスマス"と共に、ロケットづくりに取り組んでいた。
うーーーーーーーーーーーーーーーーん。
泣いた。日曜日に、「ありがとう、クリスマス」とか言っているところまで読んで、今朝通勤電車の中で、オチを読んで、午前中ちょっとうるうるして大変だったというくらい、涙ぐんだ。しかし、これは何なんだろう?
5月に入って、イアン・バンクス『秘密』を中断して読み始めた。が、途中で殊能将之『美濃牛』が図書館から来たので、読むのを中断。ところが間抜けなことに、金曜日会社に本を忘れてきてしまったために、週末残りを読んだ……というような感じ。
非常に散漫に感じた。四方八方にしなを作って色気をだそうとしているのだが、魂が篭っていないというか、形だけというか。
上の粗筋を見ても分かりますが、私には、なぜこのストーリーにスパイラルダイブが絡むのかが、全然理解できていません。最強であることに挑み続ける孤高の戦士"焔(ほむら)"と、不可能と言われることに挑戦し続ける幽というキャラクターが絡んで……という筋は面白そうなのに、絡まない。つーか、かなり色々と無理矢理じゃないか、これは。
例えば、クリスマス。敢えてスカイウォーカーの相棒ロボットを少女型にしたのは、少女ロボット萌えを狙ったのだろうか(絵面もいいしね)と思うのだが、全然萌え要素がない。最初に「女の子」と書かれていることを覚えていなければ、筋の中で彼女が少女型であることを思い出すようなことは、まずないだろう……というくらい、文章から少女が立ち上がらない。
ストーリーにも、少女である必然性はない。つーか、どうしてこんなに強いんですか、クリスマス。恐らくは、過去のスカイウォーカーたちが、護身用に改造したものなんだろうが、幽のコマンド処理能力の速さをもってしても、いくらなんでもこれはないだろうというくらい、強い。いかにも戦闘用のごっつい日光・月光に対して、装甲もないような人間型ロボットが互角以上に戦う姿に、脳内画像は違和感一色。いや、そもそも、どうして戦いますか、クリスマス。ラストのクリスマスの様子を読んで、幽に対して、私は腹を立てていた。幽、迂闊すぎます。スカイウォーカーにとって、どうしようもなく無駄なことだとしか思えない。幽の気持ちは、わかる。消化しなければいけないのは、すごくよくわかる。展開として必要なのもわかる。……でも、なぜスパイラルダイブ? どうしてこの物語にスパイラルダイブが絡まないといけないんだ? もう本当に、いかにもわざわざ絡ませているようにしか見えないんだけど、何で?
それから、猫。セミナー(上巻途中)の時に、ジョニィさんに「猫なのに、萌えない。なぜだ!?」と愚痴ったら、その続きなのか何なのか、「ヒラマドさんには萌える魂がない」とか言われて、翌朝延々と話したりしていた(違うか)。ま、それはとにかく、これ、猫じゃないやん。なんで猫? 猫と書いてあるけど、文章からやっぱり猫は立ち上がらない。敢えて猫と書かなくてもいいんじゃないか、つーか、猫にするメリットは何ら発揮されているように感じられないんだが、これも萌え狙いでしょうか。表紙はカワイイし、確かに(挿絵は萌えないけど)。でもなー、猫じゃないよ、これ……。
話の骨はいい。幽メインの、スカイウォーカー話であれば、いくらでも読みたい。私はかなりクリスマスというロボットのキャラ(?)と、その扱いかた、コマンドによるやりとりの描写周りは気に入っている。楽(かぐら)も、結構好きだ。文章も盛り上げかたも上手いと思う。特に、恐怖の描写が、なまじ感情移入しかけていたものだから、マジで泣けた。焔も好きなキャラだ。好きなキャラなんだけれども、ストーリー上は、良さが発揮される余地がない。でしゃばりすぎの脇役になっちゃっている気がする。坊主のキャラは気に食わなかったっす(信条的問題)。
しかし。肉付けで失敗したんじゃなくて、二つの骨格を無理矢理繋げて、肉付けして、一つの物に仕立て上げたような感じ。腕は4本になったし、足も4本になったけれども、それは異形の、キメラ的なものでしかない。脳味噌が二つあって、魂が別のところにあるような、そういうまとまりのなさ。散漫というのとも違う。異形としか言いようがない。居心地が悪くて、結局最後までノれなかった。泣いたけどね。
いや、メインとなる骨格は本当にいいんですよ、本当に(;_;)。書ける人なんだと思う。でも、なまじ書けているがために、アンバランスさまでも極彩色に目立っちゃっている。もし、このページが著者の方の目に止まることがあればお願いしたい。スカイウォーカーに集中した物語を、次は是非!! でも、そうはいかなかったのは、ライトノベルだから、なのかしら? そこがよくわからない……。むーん。
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白炭屋さんも『しろいくまとくすのき』を読んでくださった。是非感想を聞かせてほしいなり('-')。
森太郎さんが、川島誠『800』感想をあげてくれた。気に入ってくださったようで、嬉しいっす〜。つーわけで、朝から再読熱が浮上して、今日の通勤のお供は『800』。『美濃牛』はリミット付きなんだけどねえ。
帰宅してからも、ぶっ続けで読みふけり、恐らく十数回目の再読を終える。8年前に出会ってから、年に1回以上は必ず開いているので、もしかしたら20回近く読んでいるのかもしれない。飽きないなあ。
この小説は、2人の800メートルランナーの一人称で、一章ごと交互に語られる。同じ県(神奈川ね)で、同じ学年で、同じ競技に取り組みながらも、その取り組みかたは全く正反対。性格も全く違い、別の場所で生まれて育ち、それぞれの家族に囲まれ、違う空気を吸い、勝手に恋愛をし、走る。この二人の絡まりかたが、無茶苦茶上手い。読むたびに、頭が痺れてしまう。
u-kiさんの図解もすごいけど、小説で一番感動するのは、夏休み、広瀬の家から帰る電車のパート。中沢の、広瀬に対するやりきれないイライラ感の描写が、まず秀逸。回想として挿入される話が、「たださあ、なんなんだって気はするのよ。」感を本当によく伝えてくれる。うらやましいわけじゃない(中沢はそうは思いたくないので、一人称ではそうは認められない)んだけど、自分のせいでもないかわりに、自分の力では変えようのない物事に対して、しかたがないんだこれでいいんだ俺は満足しているし俺は俺だ、と思いながらも、どうにもならない不公平感と理不尽さと、やるせなさを感じている。隣で黙っている伊田も、同じように感じているのかと思いきや、この夏の日々が終わる時になって、それぞれが全く別の思いを抱いていたことが、わかる。あくまで主人公二人の目を通した一人称であるから、直接は書かれていないんだけど、読者には伝わるように書かれている(よね?)。
広瀬の方は広瀬の方で、レースで良い結果が出なくて落ち込んでいたり、山口との試行錯誤で悩んでいたりしても、そういう精神状態にある自分を守るために(勿論、自分ではそんな風には思っていないので、書かれない)、一旦理論武装してから語っていたりすることで、さらに読者には彼の落ち込みっぷりがよくわかる。いきなり突飛な行動に出てみたりとか、これも上手い。
この、二人の性格を完全に反映した語り口の「書き分け」は、完璧だ(が、ちょっと関東弁が鼻に付く私は、たまーに「ん?」と思ったりするんだけど)。徹底して、抑制した描写。スゴイよ、川島誠。それでいて物語は、分かりやすくまとまっていて、散漫にならないように、さりげなく計算し尽くされた構成になっている。
本筋には、そりゃもうどきどきが盛りだくさんで、いちいち一緒にときめいてしまうんだなあ、何度でも。やっぱりゼッケンでしょう、ゼッケン〜。はー、快感っす。
きくところによると、溝口さんは既に手に入れたのだとか。もう出ているのか!? どうやら2000年になっても沖縄が日本に返還されていないという設定のマジックリアリズムものらしい。面白そうだ(;_;)。買うよ、私は、新刊で。だが、新刊で本を買う時は、大チェーン系の書店は利用せずに、近所の零細(失礼)書店を利用することにしているのだが、見つからん。むーん、注文取り寄せすべきか。それしちゃうとなあ、近所をわざわざう意味がなくなっちゃうような気がするし、むーん。
彦坂さんが『ナビィの恋』を見に行ったそうな。単館上映なので、色々な地方をぼつぼつ巡行しているみたい。関東でも、6月に入ったら神奈川の方で上映があるみたいなので、『ナビィの恋』公式ページをチェックチェック。特にN君。
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[JUN]さん曰く、「クリスマスは萌え対象だと思うですよ。やぱし。」とのこと。むーん、私も、結構萌えたんですが、それは「ロボットとしてのクリスマス」に対してであって、決して「少女型ロボットとして」ではないんですな。当方が女性であるということはあると思うんですが、いやしかし、少女型としては萌えないんじゃないかなあ、と。「いや、萌える」と言われたらおしまいか。でも、挿絵以外で「少女型」を感じさせる部分って何もないじゃないですか。萌えさせようという意図があったかどうかはともかくとして。
私が、クリスマスの何に萌えたかって、書かれ方ですな。やっぱり抑制が効いているというか、下手にロボットの内面を描写したりすることなく、「はれるでしょう!」と言わせ続けるそのストイックな筆致に、かなりクラクラきています。はうっ、これは萌えたとは言わないですか!? いやまあ、ロケットに萌えたときと同じような感じかもしれませんが。
泣くのは、泣きましたが、泣いた事は「泣けた」って事実だけです。私、涙もろいんで、あまりカウントする気にならんです。だって、『スキップ』でも、『チグユー』でも、私涙流しているしね(^^;。
いびつなのが、この著者の味というのは、他のも読んで確認したいと思います。つーか、確認したくなるくらい、いびつだよ、これ。
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本当にしつこいが、また川島誠。安田ママさんが、『800』の感想をあげてくださった。
そう、川島誠って、「そのまま」なんですよ。本当に。テキストが、物語を介して、作家から読者に伝わる間に、ノイズが感じられない。クリア。登場人物の感情や、情景が、そのまま読者に染みる。
ただ、計算はしていると思います。そこが、そうは見えないところがスゴイ。そのくらい、緻密に練り上げた結果だと思う。この構成は天然ではできないでしょー。
高校3年生で、この本に出会えた私は幸せなのかもしれない。いや、別に森さんの言うような高校生ではなかったが(^^;。
更新作業中に、重松清と川島誠について語った日記を発見したので、リンクしておきませう。
三原順話までたどり着くのはいつのことやら。頭の整理をしながら、リンクの整理もしなくちゃ。
せ、切ない〜〜〜。
北野勇作さんに、『昔、火星のあった場所』ラジオドラマ版のテープを送って頂いた。ありがとうございます。無理を言ってすみません。
さすがに原作者が脚色しただけあって、これまでの原作先行もののような違和感は全くない。かなり入り組んでいて、トラップが多いストーリーも、そのまんまだ。キャスティングもいい感じ。主人公はこういう情けない声でなくっちゃ。彼女とのラブラブっぷりも、ツボ。
第9回のキャスティング読み上げのところで、3人しか名前が出てこないのもスゴイ(多分。今は『エンジェル』をエアチェック中なので、確認できない)。主人公と、小春と、時計屋。時計屋はラストでちらりと出てくるだけだから、実質10分間をまるまる、2人の対話だけだったのか? しかも、小春は、火星に今まさに飛んでいっているロケットに積み込まれた人工知能。それと地球上の主人公が、テレビ画面を介して喋っているだけ。絵面を考えると、すごいなあ。これは、ストーリー上重要な仕掛けの一つでもあるんだが、はー。なるほど。
第10回の冒頭は泣いた。ラストも。判っているのに、こういうシチュエーションは弱いのだ。『クラゲの海に浮かぶ舟』もそうなんだが、こういうラストの主人公(変な書き方だが、他に書きようがあるか?)は好きだ。つーか、原作読んだ時にも思ったけど、この話、かなりずるい。そこが、そこが、そこがいいんだよ。
ああ、聞けて良かったよ〜。本当にありがとうございます。
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[JUN]さんにお返事……、と思ったら、一歩さんも。ほうら、やっぱり私、萌えてるんじゃん!!>ジョニィさん!!……じゃなくて、(一歩さん)「なにはともあれ ちっちゃくてかわいいもの は好ましい、 という性癖は攻められるべきものか。」って、ええ? 私は責めてません。単純に、女の子萌え属性が異常に少ないのが、逆に変に感じられるというだけで。
なるほど、というか、今朝歩きながら考えていたんだが、消去法で行くと、やっぱり少女型しかないような気がする。天使(人間)型であることは、スカイウォーカーの作業には結構都合が良さそう(別にクリスマスは、代々のスカイウォーカーについているロボットじゃないんだよな)。で、人間型にするならば、男か女かとか、年齢とか決めなきゃいけない(震電みたいなロボットに、そういう属性はいらない)。そしたら、少年でも、男でも、女でも、おっさんでも、おばさんでも、おじいさんでも、おばあさん(あ、ちょっといいかも)でもなく、やっぱり少女しかないんだよなあ、と。絵面的に。女の子であることに、それ以上の意味はないのか、もしかして。
それはともかくとして、ロボットがロボット然と書かれていることに萌えるのって、かなり特殊なことじゃないんですか? SF属性がないと、そういう所に萌えられないんじゃないかと思う。つーか、挿絵を書いている人は、そういう所に萌えない人なんだろうなあと思った(笑)。この挿絵が、余計私の混乱を誘う。うーん。
とかなんとかいいながら、じゃあ、萌える少女型ロボットとは? という具体的なイメージが何も湧き上がらず。少なくとも、私にとっては、萌え萌え少女型ロボットにされてしまうと、この作品の魅力が半減しちゃうように思えたり。だから、これはこれでいいのか? でもなあ、中途半端というか、なんか座りが悪い。
でも、戦うのは解せん。クリスマスは、作業ロボットであり、記憶媒体であり、護身用ロボットである、というような優先順位なんだと思う。いくらオーパーツつったって、積極的にドルゴン相手に大格闘するには、やっぱり「少女型」という属性が、私の意識の中でひっかかってしまう。うーん。あのスパイラルダイブには、メインマシンにしているノートパソコンで殴り合うような、そういう馬鹿馬鹿しいイメージが付きまとう。そんなもので、殴り合いすんなよ〜ほうら言わんこっちゃない壊れちゃったじゃないか〜、という感じ。
決して悪くはない。んだが、なんだ、この座りの悪さは!と叫んでしまう、バランスの悪さ。あー、芝田勝茂に似てなくもないかも、この感じ。ストーリーやネタは全然違うんだが。
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って、しているでしょう、とっくに(^^;>小太郎さん。いやあ、重松清も川島誠も好きです。全然方向性が違うので、なまじ「似ている」だけに、比べようがないと思うけど、どちらのベクトルも基本的には、好きな方向。ちなみに、「かなり万人受けを狙っている」というのには、これっぽちもネガティブな意味合いは含まれていませんです。懇切丁寧に、理解し、説明し、書き表そうとするその姿勢は、下手なら鬱陶しいだけだけど、アプローチが非常に上手いので、読んでいて気持ちがいい。でも、私的順位では、川島誠の方が、上。わからないことはわからないことで、それが事実なんだから、やっぱりわからないんだ、というスタンスも、下手なら読めたもんじゃないが、上手いんだよなあ。「そのまま」のものを、そのまんま出力し、そのまま読者に伝えるまでに、ストレスが全くないというのが、すごい。やっぱりその徹底的にさりげなく計算し尽くされた構成というのが、本当に読んでいて快感なんだよな、川島誠は。この技量にしびれます。でも、頼むから、いいものをコンスタントに、2年に1 ところで、ふと思い出したんだが、月刊誌「現代」で重松清が連載しているルポが、どうしようもなくつまらなく感じられるのは、なぜなんだろう? 話題になった事件の現場を訪ねて物思う風のもので、私が読んだのは神戸連続少年殺傷事件と、新潟少女監禁事件の回なんだが、何か妙に分かった風に書いちゃうところが、鼻に付く。よくわからない失望感がどーっと。そもそもこの人はライターで、こういうルポは過去にもずっと書いていたんだろうけど、うーん。小説『エイジ』を読んだ時とは、まるで別の印象を受ける。フィクションとノンフィクションの違いのボーダーが、どうも自分の心の中で違和感を生じてしまう。私側の問題なんだろうか? ところで、ふと思い出したんだが、月刊誌「現代」で重松清が連載しているルポが、どうしようもなくつまらなく感じられるのは、なぜなんだろう? 話題になった事件の現場を訪ねて物思う風のもので、私が読んだのは神戸連続少年殺傷事件と、新潟少女監禁事件の回なんだが、何か妙に分かった風に書いちゃうところが、鼻に付く。よくわからない失望感がどーっと。そもそもこの人はライターで、こういうルポは過去にもずっと書いていたんだろうけど、うーん。小説『エイジ』を読んだ時とは、まるで別の印象を受ける。フィクションとノンフィクションの違いのボーダーが、どうも自分の心の中で違和感を生じてしまう。私側の問題なんだろうか?
ニムさんと、有里さんが、『風車祭』を読了。削られたエピソードというのが気になるなあ。どうして、こう書きたいネタが重なるの、ここんところ。
ところで、ダサコンについて、「U-kiさんがDASACONのイメージキャラクターでキャンペーン・ガイだから」というのは、なるほど、そのとおりかも<っておい。
●SFセミナーネットワーク関連 掲示板の方は、なんだか全然よく分からない方向に話が進んでしまっている。というか、私が何か言うとすれば、相手に何か物を伝えたいのなら、はっきりと言えばいいのに!ということを繰り返すことにしかならないのだった。うーん。
掲示板の方は、なんだか全然よく分からない方向に話が進んでしまっている。というか、私が何か言うとすれば、相手に何か物を伝えたいのなら、はっきりと言えばいいのに!ということを繰り返すことにしかならないのだった。うーん。
今回こじれちゃったのは、代弁とすり替えが間に入っちゃったからだと思うのですよ。そもそも、小浜さんの代弁をみらい子さんができるわけはないし(私は未だに小浜さんの発言の真意について「良い読者」になってしまっている)、野尻さんがみらい子さんにまかせられても仕方がないと思うし、「ダサコン勢」と(いわゆる)初心者問題とを同一視することもできないし、「ダサコン勢」はネット経由の参加者の総称でもないしとか。あと、たとえ話は危険だと思います。蕎麦屋の話は、私もよくわからない。それから、やたらと揶揄したりしても得にはならないと思うし。うーん、ストレートに話せばこじれることはなかったのでは、と思うんだけど、私、99年行ってないしなあ(そうすると、上記のようなスタンスでは何も言えなくなってしまうのだった)。
今年のことに限って言えば、ネットワークの部屋で団子になっているように見えたとか、集合知性のようだったというのは、ちょっと違うのではと思うのだった。それは小浜さんがネット系参加者全方向に向けたかのような記事を書いたせいで、自分が記事の的になっていると思った人が沢山いて、そういう人が意図的にあの部屋に集められたからではないのか。そこを批判されてもなあ。ああ、やっぱり「はっきり名指しして、要点を伝えてよ」ってことになってしまう。堂々巡りだ。
内輪に固まっていて、企画に参加しないのは、確かにどうかと思うのだが、いわゆる「ダサコン勢」(=参加者でも、=スタッフでもない)に、そういう人がいたのかどうかはよくわからない。私に限って言えば、今年は特に目当ての企画がなく、結構テンションが低かったので、参加しているだけになったが、企画部屋自体が結構ばらけていたので、団子になってはいなかった。96はほとんど記憶にないが、97、98はかなり参加しようと気張っていたので、ある意味、慣れたということもあるかも。でも、やっぱりこれも、発言したい人もいれば、発言したくない人もいるとか、そういう話しになってしまう。企画終了後は大広間にも行かず、森山さんのBook1の話を聞いた後は、同じ部屋で男性陣と一緒に、バスジャック事件のニュースを、半分寝ながら見ていた。時間が遅かったからね。
以下、個人的感想。DASACONで集った仲間同士が、SFセミナーなどの他のコンベンションに積極的に参加するのは、私は喜ばしいことだと思う。ただ、確かにDASACONは敢えてイロモノ的なパフォーマンスを取ることもあるので(端的なのが「DASACON」というネーミング)、そこが「ダサコン勢」というものにもイロモノ的なイメージを対外的に植え付けている原因になっているのかも、とか色々。って、これが大きいか、やっぱり。ネットがどうのじゃなくて。ちょっと申し訳なく思っていたり。
でも、やっぱり小浜さんの発言の真意が一番気になっているのだった。「良い読者」。