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髪を切った後、喫茶店に入って読んでいたのだが、最後の一文で、鼻から水を吹きそうになった。さ、さすがは『蜂工場』のイアン・バンクスだ。
遠未来の地球。科学文明を発達させた人間たちは、遠い宇宙へと去り、科学を否定した人々の子孫が、科学技術の遺産とともに、地球で暮らしていた。その人間たちは脳にネットワーク接続端末を埋め込む("インプラント"する)ことで、"クリプト"や"データ・コーパス"と言われるデジタル空間に直接入ることが出来る。その中での時間の流れは、"ベース現実"の1万倍で、人は、"ベース現実"と"クリプト"それぞれで8つの命を生きられるのだ。4人の4つの物語がそれぞれ語られながら、最後には収斂していく構成。いわゆるファンタジー的なストーリーではある。
ところが、そんな地球に滅亡の危機が迫っていた。太陽光線を阻む暗黒星雲の襲来である。と同時に、"クリプト"の中でもカオスの増殖が始まっていた。支配者階級の王や枢密院議員たちは、自分たちだけが地球を脱出する方法を巡って、互いに争ってばかりいた。
主人公の一人バスキュールは、"クリプト"の深くに潜入して、その奥にある人格と話をする13歳の"語り手"である。彼はヒゲワシに攫われたアリの友人を救い出すために、"クリプト"の冒険へ旅立った。
その頃、7回目の命を暗殺で終えたセッシーン伯爵は、8度目の人生でもたちどころに殺されてしまった。クリプト"内での復活後も、7度の暗殺に見舞われ、最後の生を生き延びるため、暗殺の真相を探るための旅に出る。
また、初老の女性科学者ガドフィウムは、地球に住むもの全てを救う技術がある、という謎のメッセージを受け取っていた。「われわれが外部データ/搬送事象あるいは/システムの密使/(アシュラ)に/警戒怠りないように」
そして、謎の少女が、"ベース現実"に目覚める。彼女は自らの名すら失っていたが、最初に出会った人々により、"アシュラ"と名付けられた。
読み始めでも触れたが、何しろこの話は「難しい」らしい。なるほど、検索してみても、そういう反応ばかりが引っ掛かる。私は幸運なことに、発行当時はこの本のことを知らなかったので、そう言った事前の情報を知ることもなく読み始めることが出来た。読んでみればわかることだが、別に難しくはないのだ、話自体は。単に用語の説明、細かい説明が全然ないだけで。
というわけで、表紙カバー見返しの粗筋を先に読んでいたことが、非常に役立った(注:間違っても、わけが分からないからといって「あとがき」を先に読まないこと)。"地球離脱"のことも、断片的に書かれているだけで、本文中から意味を掴むのは結構大変ではないかと思うし、私は未だに"ベース現実"(これもよく分からない)でどうして人間が8回の生を与えられているのかが、さっぱりわかっていない。"クリプト"内でのことならわかるけど。"ベース現実"の肉体と"クリプト内の構成体の位置関係とか、チャーミングな"キメリック"たちのことも。
それは、私の読解力がこの小説についていっていないからなのか、この作品がそもそもそういう説明をしていないのか、それとも訳文のせいなのか。でも、とりあえず、わからないことをわからないなりにキャンセルしながら読んでも、非常に面白かった。推奨される読み方なのかどうかはわからないけど、なんとか推測しながら読み進めることは出来るし、展開はとても楽しい。特にバスキュールの章は、向こう見ずな少年の冒険談として、非常に楽しめるものだと思う。活劇もあるし。最後のカタルシスも……(笑)。
イアン・バンクス、続けて読もうかしら。
密かにお待ち申し上げておりました、白炭屋の[JUN]さんの感想があがった。やっぱり「キモチワルイ……」ものなのですかえ。
あと、密かに密かに某さんの『ノスタルギガンテス』書評も期待して待ち中。あー、でも掲示板での発言を見るに、結構否定的なのかしら(;_;)。本当に「視点」の話だと思うのだけれども。
『ノギガ』については、ノギガオンラインの掲示板がいい感じで走っている様子です。読ませて頂いているだけですが、みんなすごいなー。なんか、こういうのを読むにつけ、ちゃんと大学で勉強するんだったと思ってしまうのだった<そういう問題ではありません。
うーん、無茶苦茶読み易くないですか?(;_;)、あれ。ちゃうのかなー、ちゃうのかなー。埒があかんので(いつも人様の掲示板を利用させてもらっているのも申し訳ない)、掲示板を復活させてみたり。面倒なので、あまり積極的に管理する気にはならないのだった……。
そういう風に言われちゃうとなあ。今のままじゃいけないとは思いますが、実際どうなればいいかとか、そういうビジョンもないし、アクションも思い付かない。小さいところは沢山つぶれて、私も路頭に迷うのかなあとか、悲観的になってしまうのだった。私は、完全に諦観しています。その上で、文句を垂れている。「すげー嫌だけど、しょうがないよねー、でも嫌」とか。良くはないと思うけど。こういうサイトをやっていることだけが、私に出来うる最大のアクションなんだよなあ。効果があるかどうかはにして(逆効果はあるかもね)。
それから、私は自分に必要のない本まで管理しなきゃいけない状態が嫌。苦手。だから、細田さんの言うとおり、出版社と著作権者にちゃんと金が届く貸本システムができれば、それが一番私の理想。って、新刊買って読んで、古本屋に直行すればいい話なのかも。私は内容には愛があるけれども、書籍という形態には全然愛がないので(デジタルデータは今のところ読みにくいので嫌いだけれども)、データでの販売がちゃんと使いやすい形で実現したら、さっさと乗換えるでしょうなあ。
私はもともと買わない人間ですから。なぜ図書館メインになったのかというと、やっぱり書店は全然使えないなあという過去の経験が大きい。金銭的なものは一応二の次。それで、かなり満足しているので、一般的な流通状況ってのは、ほとんど他人事ではある。理想はやっぱり、一つのコンテンツを大量に売り捌くということよりも、求める人の元に、求める本の情報が確実に届き、且つ、欲しい時に実物が手に入るような状況。ただ、それだとパイの大きさは増えませんけど、とりあえず、私的には心地よいので可、とかいう夢物語をかたってみたり。
だから、アクションをとれる立場にある(のであろう)森山さんがやろうとしていること(?)については、期待もするし、成し遂げてみて欲しいと切に思いますとも。でも、高みの見物人にそういうこと言われても腹立つだけでしょうなあ(^^;。すみません。私はそれこそ、無駄無駄無駄(このやりとりが、ではなく)と思っている部分があるので、それを覆す現実があるのなら、是非、見てみたい。
それと、皆さん、異口同音にそうおっしゃるが、私はそこはわかってますって!! しつこいほど繰り返していますよ。ただ、「これはつまらん」と言っているだけで。通じていないのか? 前提を書いたその後に、否定的感想を述べるからでしょうか? 書き方が悪いんだなあ。いい機会だから、反省しよう、色々と。
たいてい、週の頭、日曜日か月曜日の夜に、煮物を沢山作ることにしている。主に根菜類で、弁当と、夕飯のおかず用に。木曜日まで食べる。そうでもしないと、自炊なんてやっていけない。ねえ?
ふと、考えてみる。先々週は豚タンだった。先週は牛筋だった。今週は鳥皮。
しばらく身を食べてないねえ……('-')しみじみ。
#でも、牛筋は霜降りだった……。脂抜きに手間取っただけだったけどさ。
1998年6月上旬のダル星住人(その2) 6月9日(火) ――『フィアサム・エンジン』の文体―― 。
そ、そんなことを言われましても(驚愕)。そういえば、森さんも分解している。
邦訳版でも、他の3人の動きが結構地味(幽閉されていたり、逃げていたり、ついていくだけだったり)だっただけに、バスキュールのパートは目立ってはいた。登場人物(?)も多いし、活劇シーンも豊富だし、何よりも、自ら活発に動くからねえ、男の子。
それから、印象的だったのは、アシュラの出自が明らかになる辺り。あの設定はこのために!と大掛かりで分かりやすい仕掛けにも、じわじわ来た。おセンチSFには弱いのだ。
というわけで、昼休み、図書館に行くと、『秘密』も書架にあったので、借りてきた。訳文が直訳調なのも、何かの仕掛け?('-'; 『フィアサム・エンジン』でも、異様に長いセンテンスに驚いたし。
でまあ、やっぱり図書館はいいよなあと思うのだった。『秘密』は1996年刊だから、新刊屋に行って、こんな風に気軽に棚から抜いて買うという行為はできなさそう。並んでいたとしても、私が買っちゃうと、次の人が買えなくなるわけで(わざわざ補充しない限りは)、それではやっぱり駄目だと思う。そんなのは当り前のことで、物凄く馬鹿馬鹿しくて、だからどうしたと思われるかもしれないが、それでは買えたとしても、「たまたま」のことでしかないんだよね。当り前だ。一期一会ってやつですか。そう言っちゃうと美しいけど、ねえ?
無限の大きさの棚はないし、店も倉庫もないし、供給システムもないし、書斎もない。だから、世の中のありとあらゆる本を全て、求める人それぞれが1冊ずつ、すぐに購入できる状態に保て、などとアホなことを言う気は全然ない。ただ、本の情報が、それを求める人の所に届き、且つ手に入る状況が「理想」だとすれば、その点では、書店より図書館の方が断然有利なんだよな。それは当り前で、図書館はそのための施設で、書店はそういうふうにできていない。勝負のしどころを間違っている。
図書館は、いつでも(新刊屋に並ばなくなっても、版元品切れになっても)、求める時にアクセスできるのが、嬉しい。検索端末を使えば、所蔵しているかどうかもちゃんと調べられるし、区内他館にあれば、たいていは3日以内に届く。仮に所蔵していなかったとしても、2週間も待てば、ここ20年くらいの、ある程度需要がある小説の類なら、当然新刊流通のあるなしに拘わらず、確実に取り寄せてくれる。所有欲なしの私にとって、これ以上便利な施設はない。私が読んだ本が、図書館の棚から消えて(他の人が読めなくなって)しまうわけでもないし、私の部屋の本棚を圧迫することもないし。
ただ、図書館に関しても、検索端末と、予約取り寄せカウンターと、いざという時に調べ物が出来る参考図書が揃った中央館さえあれば、充分と思っているのだった。書架は、もうあまり見ない。新着棚をチェックするくらい。日頃使っているのが、非常に小規模の図書館だから、ということもあるが、なんだかなあ。
まあ、私は「消費者」ですらないんですけどね……。どうやら、本を購入するという概念が、かなり欠落しているらしい。本を買うのは、読み終わって、手許に置きたいと思った本だけだし。無茶苦茶気に入ったら複数冊買うけれども、それじゃあね。
でもまあ、私はそういう現状を、無茶苦茶低次元だと分かっていながら、それなりには満足していたり。私にとっては、今のところ支障はないというレベルで。ただ、そのレベルが、これからどんどん下がっていき、先細りしていこうとしているのは分かっているんだけれども。ま、いいんですけど<ナゲヤリ。
いかん、垂れ流し、自分ツッコミだ……。
面白そうです。読書系サイトLINK相関図のオフライン実物(じゃないか)版? ということで、早速ダサMLに投げてみました('▽')ノ。小太郎さんも次回は是非ご参加を!
#次回は辛い国か!?
この訳文、相当な悪文じゃないですかね? この直訳調は、イアン・バンクスが仕組んでいることに合わせているわけじゃないと思う。高儀進という人。結構ミステリーを沢山訳しているようで、TRCで39件引っ掛かった。年2点ということか。
同じイアン・バンクスの『フィアサム・エンジン』は、その内容とは不釣り合いなくらい、リーダビリティが高かった。実際、その読み易さは不釣り合いなものだったらしいが、翻訳者の増田まもるが熟慮し、苦労した結果だと思う。『蜂工場』も、同じ訳者の本が読みたいと思って、同じく野村芳夫の手なる、全16巻大河ギャフン落ち中国SF『チョンクオ風雲録』1巻を買ってしまったくらいだ。未読だけど。もともと続き物が大の苦手だしね。
ここのところ、もともと翻訳ものが苦手な私にしては、結構さくさく読み進んでいて(ピータースンとアイリッシュだけだけど)、慣れたのかなあと思っていたのだが、当たりが良かっただけなのか。でも、イアン・バンクスの「ユーモアに満ちた、ほほえましい冒険小説」だからなあ。読まなきゃ損だ。
大丈夫、ストーリーが乗ってきたら、訳文なんて気にせずに読み進めるさ。……と、祈ろう。つ、つらい……。
有里さんが書いているが、自分なりにも、ちょっと整理。私も多用しているので。
#日記に背景画像を使わなくなったのも、元はといえば、そのためなのです。
私の場合、なるべく粗筋は書きます。でも、それは自分の頭の中の整理の意味合いが強い。最近妙に長いのが多いのは、整理したいからですな。
ネタバレ保護色とは別に、一番よく使う手法は、「(2)「ネタバレ」部分をわざとぼかして書く。」 でしょうか。でも、これも、そこにサプライズがあると示すこと自体が、興を殺ぎかねないので、注意が必要。かといって、「あれがああなるなんてびっくり!」では、通じるんだか通じないんだかわからないので、問題ですが。そういう場合は、さらに保護色をかけます。
例えば、『フィアサム・エンジン』に関して、「アシュラの出自が明らかになるシーンは印象的だ」と書くのは、OKなわけです。アシュラは最初から「謎の少女」として登場するわけですから、そこにサプライズがあるのだということ自体は、サプライズにはならない。逆に、『蜂工場』の表紙カバーに「結末は、誰にも話さないでください」と書かれているのは、アウト。反則。できれば、そういう先入観無しに読みたかった(;_;)。まあ、周りの「ギャフンギャフン」という声を聞いてから読み出したということもあるんですが……というようなことを書くのは、セーフ。だって、本のカバー自体にすでに結末にサプライズがあるということがばらされているから(泣)。
ネタバレ保護色を使う際も、なるべく読んだ人にはわかるけれども、未読の人にはわからないという形にするよう努めています。これは、私自身が思わずドラッグしてしまいがちだからです。ミステリーの場合だと、犯人の固有名詞は出さないとか、そういうレベルですが、簡単なことだと思うし大切なことだと思う。逆に読まないとわからないことしか書かないという方法も有効。そんなふうに、一応気は使っているつもり。ネタバレ感想も含めて、紹介文の一部だと考えているので。でも、紹介するためのネタバレ(?)とは別に、語りたいためのネタバレもあって、その場合は書かざるをえないけど。
結局は個人の裁量なんだろうとは思うけれども、自分がサプライズを感じた点は伏せて書くのが誠意だということでしょうか。
ま、結末までばらすことを芸の域まで高めた浜村淳という人もいるしね(^^;。
ニュース23をつけていたら、嘉手苅林昌と大城美佐子の『十九の春』デュエットが流れて、びっくりした。特集の内容自体には、全然興味がないので、さっそくダビングしたMDをセットして、『ナビ恋』反芻モード。
東京では、銀座テアトルシネマの上映が明日(28日)で最終。もうさすがに、これ以上はないと思うので、まだの人は、明日ダッシュだ! あれは劇場でみんなでくすくす泣き笑いする映画なのでねえ。それにしても、新宿、渋谷、銀座と、ほぼ足掛け半年にわたって興行し続けたのは立派!
日本インディペンデント映画祭2000でも、最優秀新人監督賞を獲得したということで、中江裕司監督の授章式付き上映が行なわれるんだけど、もろ、セミナーの裏……。エロじじい東京ライブといい、相性が悪いのか? はあああああ<って、4度目行くつもりだったのかや?
わーい、『しろいくまとくすのき』にu-kiさんが悶絶してくれたよ。って、読書日記の更新も止まるんですか、総統!! 映画『秘密』はいったいどうだったの!?
#こういうことがしたかったからです>清水さん
児童文学作家・川島誠の著作(単著)では唯一、セックスがからまないない本なので、オコサマでも安心して読めますよね(^-^)。ね? 川島誠の地元、西宮市でも、夏休みの読書感想文の課題図書になっていたみたいだ。小学校だか、中学校だか忘れてしまった(肝心なことを!!)。どっちにしろ、その感想文を読みたい、強烈に読みたいよ!!!
この小説には、川島誠の「児童文学」に対する誠実さが見事に表れていると思うんですな。並の差別関係の本や映画(『アメリカン・ヒストリーX』とかね)では、おきれいな主人公や、「話せば分かる」で安易にすませてしまいがちのところを、きっちり主人公の手も汚した上で、区別には差別を、血には死を、報復には報復を、という渦に巻き込ませる。子供相手だからといって(だからこそ)、まるで容赦無し。安易な、甘い、安心させるためだけの嘘はつかない。物語の予定調和も関係ない。徹底した誠実さ。……多分一般的「児童文学」の世界では、誠実さとは見なされそうにないが。
#また、喧嘩を買ってもらえなかったのかなあ。野上暁の書評はひどすぎる。無視されたのではなく、躱された感じか。読んだのか、本当に、お前?
だからこそ、はいいろオオカミとの最後のやりとりが、辛い。だからこそ、問い掛け続ける。「どうして?」「わからない」と。そして、そして……、川島誠ォォッ!!
伝えたいのは、「なぜ」なのかを問い続けること、その行為そのものじゃないか、と私は思っているんですが、この話。答えなんてないし、「解決」もありえないんだと思う(ペシミスト?)けど、だからといって、問うことをやめてはいけない。問い続けることそのものが、大切なのだと。問うことをやめてしまっては、いけないのだと。
#だから、あっさりと「分かってしまう」んじゃあ、駄目なんだって!!
あ、ちなみに、しろいくまがまるっきりシンジ君ですが、冒頭のしろいくまがくすのきの元を旅立つ第一章は、94年頃(『飛ぶ教室』の最後の創作特集号)に発表されたものです。発行自体は『エヴァ』以後ですが、なんとも……(^^;。かぶっていると思うけどね。
#読み返すと、しましまのけなげさが、無茶苦茶切ないよ。イモ掘って食うところとか(;_;)。