とか言われるのが一番イヤ〜(;_;)!!>小太郎さん(笑) というわけで、赤裸々モードは打ち止めするっす。昨日の今日だし(謎)。
『空飛ぶ馬』は、「胡桃の中の鳥」まで。つ……つらい……。とってもケンケンして、尖っていて、痛い(;_;)。「心暖まる」とか「心優しい」なんて、嘘だ〜。なんか、酸を直接胃にぶっ掛けられたような感じで、キリキリしてしまう。塩の塊を飲み込んだように、水分を求めたくなる。確かに説法かも。「愚かな牛の話をしてあげよう」みたいな。牛の愚かさを断罪し料理して食べて身にしたいだけで、牛自体はどうでもよさそう。例えば、「胡桃の中の鳥」では、【母親には子供を用意周到に置き去りにせざるをえなかった理由があるに違いないとか、愛していただろうになぜとか、そういう視点があの4人の中の誰か一人にでもあればなあ。そこからひとっ飛びして「運がよければ」ってそんな(;_;)。「こういうことをした人でしょう。それが分かってどうなるのよ」の前に、ちょっとは(って、マジで抜き差しならぬ、背に腹変えられない状況とかもあるわけで〜)愛を信じましょうよう〜〜〜(;_;)。まあ、確かに良いこととは言わんし、そこを甘くしちゃうと駄目なのかもしれないし、実際母親に愛がなかったのかもしれませんが、容赦ないなー。色々と迷惑を被っているので、仕方がないのか】。私の方がおセンチドリーマーなのかも。あくまでも「謎解き」がメインだったとしても、落としてほしくないところではある。わざとなのかもしれないけれども。感情移入型読書な私としましては、キツいっす。
しかし、ミステリーの短篇ってこういうものなのだろうかという気がしたり。私の過去の読書経験には、比較するべきものがないのだった。岡嶋二人も長篇はあらかた読んだのに、短篇はほとんど一つも読んでいないんじゃないかな。『ホームズ』とか中学時代に読んで、眠くなったものだけれども、あれは結構犯人側のやりくちが面白くて、そちらの機転に感心したというような記憶がある。「赤毛同盟」とか、メジャー所しか思い出せないけど(^^;。ああ、謎自体にも、謎解きにも、断罪にも全然興味が持てないというのも痛いなあ。日常の中のミステリーと言われて、「織部の霊」には膝を打ったんだけれど、それ以降は(ちゃちい)犯罪じゃん(;_;)。うーん、何か本当に「心温まる」「仕掛けに感心する」推理短篇を読んでみなきゃ。
あ、あと、北村薫のいじめ物も読んでみたいです。ないっすか? あ、『盤上の敵』がそうか?? うううむ。
それにしても、何がそこまでツラいのか、よくわからんので、とりあえずは完読するつもり。ギャップが気になるし、ここまできたら、何をどう自分が読んでいて、何が引っ掛かるのか、他の人と自分がそんなに違う読み方をしているのか、それを見極めたい。青木さんの言うとおり、つまらないものはつまらないで、嫌なものは嫌で放っておけばいいだけの話なんですがねえ。もう性分なので、としかいいようがないが、嫌な性分だ。
「胡桃の中の鳥」の中に、フェミニズム議論みたいなの(そこまで行かないけど)が出て来て、確かにこれを覆面作家の作品として読んでいたら、女性作家だと思ったかも。女性だったとしても、全然共感はできないのだが(な、なぜそういうことにいちいち「被害者」的な受け取り方をするの〜(;_;)って、ハイ、もう言いません)、男性がこんなものを書いたと思うと気色悪いから、まだしも女性だと思った方が納得が行くというか。
通勤鞄にはいつも、こってりぎとぎとのハードボイルド、悩める殺人者ウェルズ君『裁きの街』が入っているので、早くそちらに戻りたい……。私にはラードの塊がお似合いなのですよ、ええ。『ひねり屋』も実に心暖まりそうな話なので、期待。
ちなみに楽しいのかどうかと言われると、よくわからないです(^^;>森山さん。ここまで来たからには、自分なりにケジメをつけたいというか、自分がどこまで耐えられるのかとか、何に反応するのかとか、リトマス試験紙として最適かもとか、少なくとも純粋に楽しんでいるわけではないことは確かだと思うけど、これはこれなりに。楽しい本の話しをした方が、きっと五百倍は楽しいと思うし、読みたい本はいっぱい溜まってるんだけどなあ……。
あとは、そこらのジュヴナイルとは違う「寮美千子味」をどう料理して見せてくれるんだろうってことかなあ。ひょいっと3ヶ月というのは、割とショッキングな展開だと思うので、それを強調しても楽しかったかも。結構怖さを演出していて、好き。
最近ラジオの入りがちょっと悪くなった(と言っても、充分いい音なのだが)。それまでは「完全な無音状態が数秒続くと曲の切れ目が入ります」という便利なんだか不便なんだかわからん機能で、15分が8曲分くらいに分割されてマークが付いていたのを、毎日1回分に繋げていたのだ。が、5回目からは低い雑音が入るせいで、分割されなくなった。それまでは自動的に分かれていた時報のパートを、いちいち消さなくてはならなくなったのがちょっと面倒。今日の放送終了後に、アンテナを付け直したら良くなったので、明日は大丈夫かな?
何しろ、MDは74分なので、15分×5回=75分のラジオドラマをとるには最良のメディアなのだ。時報を切り落とせば、ちょうどよく入るしね。これからテープに落としたりするには、何分を使えばいいのかな。60分でも、90分でも、120分でも中途半端になってしまう。昔のテープはそうして取って散逸したんだし。150分1本では伸びそうだからなあ、どうすべ?
目取真俊、池上永一を青木みやさんが読んでくれている。嬉しい(;_;)。もうちょっと広まってほしい本なんだけどなあ、両方とも。
目取真俊は、重い沖縄の歴史にとらわれながら、幻想的に、時にはコミカルに、純文学に見えて(なのかな?)実は遊び心満載の小説を書いてくれる。エンターテインメントそのものだと思うんだけど。
池上永一は、結構『ナビィの恋』と似た傾向、なのかな。沖縄の歴史は足元にあるんだけれども、それに囚われずに伸びやかにおおらかに、あけっぴろげに高らかに、生への賛歌を歌い上げ(『風車祭』は絶品)、生きることの切なさ悲しさ重さを軽やかに笑い飛ばす(時に涙を流しながら)。
両方とも、しかもいちいち上手いんだよな。うーん、もうちょっと広まって欲しいぞ!
昼過ぎから、両耳に重い振り子をぶらさげたような感覚がある。頭を勢いよくぶるんと振って、ぴたりと止めても、止まらない。慣性の勢いが付いた振り子がぐうんと頭を引っ張っていく。おっとっとっと。気分は悪くないので平気なのだが、電車のホームの端を歩くことは避けた(笑)。シャワーのときも、目を瞑っているからよろけるよろける。ここのところの不摂生が原因で、まさに
とにかく、今日は『小惑星美術館』を聞いたら寝るのだ。NHKのサルもビデオ録画予約しなきゃ。
は、キース・ピータースン『裁きの街』。ウェルズ君の続き。
先週予約取り寄せをお願いしていた会社の近所の図書館からも『空飛ぶ馬』を借りて、なぜか手許には文庫本が二冊(^^;。ううむ。
帰宅して、すごいメールをいただく。北村薫作品の読み方について、私には全然想像がつかなかったような方法についてのご指摘。でも、載せるのはヤバいかも。目から鱗の雪崩が。どうもありがとうございます。
みんなデンパ系?
という冗談はともかく、うーーーーーーーん、ここにきてどーかなーという気になってきた。あまり嬉しくない展開というか、えーん、気持ちはわかるけど、わかるけど……。
【 何しろ、ラジオドラマは音だけのメディア、地の文だけでは退屈な朗読になってしまうから、それを避けるために登場人物が沢山展開に参加しているんだろうし、そのために厳かな雰囲気が損なわれているというか、ユーリが一つ一つ秘密に触れていく神秘性が薄くなっちゃったのも残念だけど、それはまあいいや。それから、うーんうーん。】
さて、明日からは謎解き篇。うーんうーん。
雪樹さん作成の北村薫話題関連リンク集。ありがたやありがたや〜。
風野先生んちの掲示板で、森下一仁さんが「北村薫=夫婦合作説」を唱えていて、みらい子さんも賛同している。うーん、私は女性の目は全然関わっていないと思うんだが、むー。その根拠と、どのような作業分担が行なわれていると推測できるのかが知りたかったり。
今朝は出勤の電車の中で『空飛ぶ馬』を読んでいた。電車を降りて、本を鞄にしまったはずなのに、昼休みに鞄を開けてみると、本がない。そう言えば、確かあの時、するりと何かが鞄をすりぬけて落ちる妙な感覚があったような気がする。慌てて駅の電話番号を調べて、問い合せてみると、落とし物として届いていたそうだ。大間抜け。
というわけで、「赤頭巾」読了。うーーーーーーん。厭らしいことは厭らしいんだが、これって、推理として相当強引っぽくないかなあ、違うのか? 敢えて嫌な方向へ、嫌な方向へ仕向けているという感じがする。
それはともかく、4編を読んで、「織部の霊」以外は、非常に殺伐とした短篇ばかりだなあと思っていたのだが、その理由がなんとなく見えたような気がする。私が引っ掛かるのは、この3編が全て欠席裁判だからじゃないかな?
「砂糖合戦」で、【ちはらさんに「私はなんかバイトの女の子の方に感情移入してしまう」と言ったら、「でも、レモンですよ〜」と言われたが、】そりゃやったこと自体は汚くて卑劣だけれども、何か、私は煮え切らなかったのだ。非常に居心地が悪くて、ムカつく〜という感覚だけがあった。この短篇は、唯一犯人が目の前にいて、探偵が断罪する展開になるんだけれども、犯人側の証言というやつが皆無なのだ。あるのは主人側の一方的な証言だけ。え、えこひいき〜。何か、犯人側にも理由があるかもしれないし、それは単なる言い訳かもしれないけれども、とにかく何かあるかもしれない。あとの二つは状況証拠と推測だけ。「本当のこと」は何一つわからないままなのに、読者に「なんて嫌な女だ」と思わせるように仕向けている? な、なんかフェアじゃないというか、変な具合に容赦なく(事情に通じていない無関係な他人の印象のみから来る)正義の刀で切って捨てている感じがするので、全体的に「殺伐」としていると感じるのかも。
「胡桃の中の鳥」についても、【実際に子供を手放さざるをえなかった人がずっと身近にいて、その人とその子供がどれほどそのことを心の重みとして生きて来たか、死んで行ったかを思うと、安易に断罪してくれるなよ……という個人的思いもあります。これはあまり関係ないんだけど、やっぱりぐさっとくるというかなんというか、うーーーーーーん、もう!】
まあ、変に柔らかくすると、短篇のオチとして弱くなるのかもとも思うが、やっぱりお話的に尻が落ち着くのは、犯人の動機や告白がある方なんだろうし、そのために探偵は関係者全員を一堂に集めるなどという不自然なことをしたりする。因果関係がはっきりしすぎていて少々興ざめという評判のものもあるし(ex.天童荒太『永遠の仔』)、そういうのをわざと避けているということもあるかもしれない。確かに日常では何故どうしてそうしたのかなどということを、事細かに語る人などいないし、全ての行動や心の動きが言葉で説明できるわけでもない。「日常の中の謎」っていう所を成立させる(「お話」っぽくないことを目指す?なのか??)ために意図的にやっているのかもしれない。でも、この人たちは何かと悪意に解釈しがちというか、重要なのは推理の過程(自分たち)であって、犯人の行動の理由なんていうのは関係ないのかもしれないが、非常に冷たい気がする。まあ、実際に迷惑を受けていたりするような状況なので、登場人物の心理的には仕方がないのか。私も車のカバーを盗まれても、心穏やかでいられるようなできた人間じゃないと思うし。
なんか、この本を読んでいると、自分がものすごいお人好しになったような気がしてくる。できるだけ好意的に読もう読もうとして、変な風にネジくれてしまっている。私は元来全然お人好しではないので、無理矢理お人好し的視点を入れて読み進んで、失敗してしまう。確かに感情移入型読書には向いていないと思う。主人公に一点集中して感情移入すれば入れるんだろうけど、この主人公って感情移入しにくいキャラなんだよなあ、つかみ所がなくて(;_;)。あくまでも師匠の謎解きに対して、読者が「私」と一緒に生徒となって、「ふむふむ」と楽しむべきもの、なんだろうけど、全然師匠もキャラとして魅力的じゃないっす、私にとっては(;_;)。うーんうーんうーん。
なら読まない方がいいんだろうしねえ。というか、「空飛ぶ馬」まで読んだら、もう読まないと思う。うーんうーん。
それから、私の解釈は北村薫に対する悪印象が大きく影響している可能性が大いにあるので、「それは違う〜、北村薫は愛に溢れているんだ!!」というちゃんとした主張は無茶苦茶ききたかったりするんです>INOさん(02/21)。というか、「感動した」ことは何だって本物だと思うので。ちはらさんの読書状況は非常にわかりやすかったり。私も小学校時代に大和真也の「ジュゼ」を読んで、「大学に入ったらSF研というところに入って、このようなことをするのかー」と憧れながら読んでいたような気がまざまざと思い出されたり(^^;。いや、今手許にあるので。
昨日のメールについては、どう記載するかをもうちょっと考えたいので(^^;、しばらくお待ちを。というか、自分の書きたいことを書いていたら時間になってしまった。申し訳ない>美月さん。
『空飛ぶ馬』読了。ふう。
明日は、『平成狸合戦ぽんぽこ』ですよ。通しで見るしか?(号泣)
せっかくのメールですし、転載許可もいただいたので、まんま(挨拶部分は削りました)載せてしまいます。掲示板復活させましょうかねえ(^^;。
例の「スキップ」を読むまでは、いえ、読んでも一応感動しましたし、北村薫は、私の中で、それなりに良い作家であるのは、今でも変わりありません。ただ、何となく割り切れない、もやもやした物があって、それが、「スキップ」を読んだ後に、顕著になりました。感動もした、部分的には泣きもした、でも何だか違う!という思いになっていた時、ざぼんのHPを見て、「なるほどー!」と目がうろこでした。勿論全面的にヒラマドさんの意見に賛成かというと、そうでもないのですが、一見言いにくいところを、あまりにハッキリ指摘しているので、とても清々しい気分になれました。2通目です。私が一番引っかかったところは、やはり最後です。なぜ、17歳の少女が40過ぎのおっさんの妻として、17歳の娘の母としての道を選べたか?ということか、全然理解できなかったことです。「ま、小説の終わりとして、こんなふうにまとめるしかなかったのか」と、釈然としないまま、読み切ったわけで、それまで例えば高2の子が高3の授業ができるのか?とか、嘘くさい〜!と思う所が若干あっても、それはそれ、「筆がすべっちゃったのかな」とか「ま、小説だから、デフォルメってことか」なんて、良いように解釈して読んでいたのです。何故、こんな風に読むかというと、「とりあえず文句を言わずその作家の世界に浸っておきましょう。それで気持ちよかったら、それもいい」という他力本願的な読書方法を選択する時もあるし、書き手の立場として読む場合もあるわけで。実は私、児童文学系統の同人に参加していて、趣味の世界ながらも、拙い作品を書くこともあって、その技術的参考にもってこいな作家は、宮部みゆきとか、北村薫だと思っているところがあるんです。
そういう関係もあって、北村薫の作品も、結構読みましたし、評価もしてきたのですが、以前から、わからないなりに、何か引っかかると思っていたことが、ヒラマドさんの意見を読んでいくうち、ハッキリしました。つまり、北村薫は「オカマ作家」ってことです。以前、エンパラ(大沢と最近の作家の対談集)という文庫を読んだとき、彼が対談相手で出てまして、その時に、トリック至上主義に近い話をしていました。それを読んだ印象と、今回のことが合体して、ああと思ったのですが、彼は、非常にディテールを大事にする作家だと思うんです。作品に登場するセンスを感じさせようとする小物選び、いかにも繊細さを感じさせようとするセリフ回し。そういう物が、まるでニューハーフやオカマの人が、実際の女性以上に女性を感じさせる仕草にこだわるように、彼にとって、一番大切なことなのではないか?と、感じるわけで。始め、覆面作家時代、まるで年若い女性が書いてると誤解をうけたことも、彼にとって快感だったのでは・・・と思います。
彼は、元々、人間を書いてはいないのです!悲しいかな、彼には非常に技量があり、それっぽく見せることには長けています。それで感動もさせてしまうのですから、まさにプロの作家であるということでしょう。でも、彼にとって、一番大切なのは、プロットでありディテールです。一人の人間、登場人物を愛しているかというと、はて?「スキップ」で言えば、彼のこだわりは、過去の時代背景であり、その時代を青春時代としてきた人を喜ばせること。そして、いかにも時間をスキップしてきた風に見せること。又、学校生活においては、生徒側と教師側のどちらからも共感できるような舞台設定を作ること。彼にとって、登場人物は、劇の出演者であり、本物の意志を持った人間ではありません。
勿論、本人は作家ですから、人間を書いているつもりでしょうが、いわゆる本格派の方々が「トリックはいいけど、人間の描き方がなー」という作品を書くのと、同様の作品なのではないか?と、今は感じているわけです。つまり、ヒラマドさんが望むような、そして一般の人が感じる作家像と、本来の北村薫という作家との間には、非常に溝があると思います。彼は、繊細でもなく、ハートウォーミングな作品を書いているのではない。ただ、そういう風なイメージが先行しているだけなんじゃないか。実際は、登場人物の中に入り込んで読むべき作家ではなく、小細工された虚構世界に浸り、読者がいかにも自分が繊細でセンスのいい人間で、ハートウォーミングな人間であるかのように思うための舞台提供者であると思います。つまり、意地の悪い言い方をすれば、「北村薫が好き。あの作風がステキ」という人の中には、その人物が、「自分がそれ相応のキレイな人間」であると信じている(酔っている)人達もいるんじゃないか?と思うわけで。とはいえ、それが、決していけないことではなく、そういう幸福感を得るために読書をすることも、また一つの読書の楽しみでもあるa@何だかまとまりが悪くて、妙な文章ですが、以上が、私がざぼんのHPを読み、まどかさんのファイアーな意見を楽しく拝見しながら、自分なりに感じた感想です。これからも、是非、奥歯に物が挟まらない意見をバンバン言って、HPを訪れる私のような読者を楽しませてください。では。
私の意見で良ければ、使ってくださって結構ですよ。でも、あれですよ。優しさとか清さとかを前面にだしてくるものに、「それはうさんくさい」と言うことは、特に日本社会において、厳しい風当たりがあるんじゃないですか?もう少し、自分が他人と意見や感覚が違うことを素直に言える場、又はそう発言してカドがたたない場があればな・・・なんて、思います。これからも、自分の意見を曲げることなく、(といっても、意見なんて、時間を追って変化したり、影響をうけたりしていくものですが)ヒラマドさんの素直な感想を書いていって欲しいし、それを読むのを楽しみにしています。
でも、あれですよ。優しさとか清さとかを前面にだしてくるものに、「それはうさんくさい」と言うことは、特に日本社会において、厳しい風当たりがあるんじゃないですか?もう少し、自分が他人と意見や感覚が違うことを素直に言える場、又はそう発言してカドがたたない場があればな・・・なんて、思います。これからも、自分の意見を曲げることなく、(といっても、意見なんて、時間を追って変化したり、影響をうけたりしていくものですが)マドカさんの素直な感想を書いていって欲しいし、それを読むのを楽しみにしています。
ではまた。
……うーん……、【『地球へ…』】。ラインナップを考えると、まずくないか?というか、うーんうーん(泣)。どうしてこんなにスケールが小さくなってしまうんだよう!!<わかりやすくしているから。スケールの大きさが魅力だったのに……。そこを崩してほしくはなかった……(号泣)。
唐突に、村田喜代子『12のトイレ』を借りてくる。2篇目のいとこ連中のキャンプ、そして彼等の複雑な家庭事情は、まんま「鍋の中」を連想させる。それと、タイトルの「トイレ」……。そそりますな〜('-')。
ついでに(本当はこちらが目的)、『銀河の道 虹の架け橋』も取り寄せ。7600円、813pの大冊なんて、絶対に読めねーって(笑)。良ければ、買うつもり。図書券余っているし。でも、いかにもな内容だと思うのに、周囲であんまり話題にならないのは何故〜。もしかしてヘボいの?(;_;)<悲しすぎ。
『慟哭のキャタピラ―サイパンから還った九七式中戦車』も借りたかったのだが、検索してみると所蔵してないでやんの。油断してタイトル以外の書誌情報をメモって来なかったので、リクエストも断念。ち。だって、「慟哭」しかも「キャタピラ」って、激萌えっすよ(;_;)<こりゃこりゃ。
そう言えば、シチュエーション萌えは、ゲーム系の掲示板の方に賛同していただけたらしい。おう。
前使っていたMDCDラジカセを、Iが取りに来て、お茶もしたので、9時半〜11時まで『平成狸合戦ぽんぽこ』は見られなかった。いつもこれ、冒頭を見て、あまりのエグさに耐え兼ねてチャンネルをかえ、でもオチだけは(なぜか)見るというパターンになる。一度も通しで見たことがないのだが、でも……、『スキップ』は、『ぽんぽこ』よりかはましかもです>ジョニィさん(^^;。『ぽんぽこ』の世間的評価はどうなんだろう? その前に通しで……って、もう、好んでかぼちゃの煮付けを食べるようなことはしないでいいんだったらばよ>自分。
なので、まだ聞いていなかったり。寝がけに電気を落としてから聞くつもり。最近寝付きが悪いしね……(--;。夢見も悪いし(サトイモの夢ばかり見るよ。なぜだ!?)。
ちなみに私が目鱗したのは、
彼は、繊細でもなく、ハートウォーミングな作品を書いているのではない。ただ、そういう風なイメージが先行しているだけなんじゃないか。実際は、登場人物の中に入り込んで読むべき作家ではなく、小細工された虚構世界に浸り、読者がいかにも自分が繊細でセンスのいい人間で、ハートウォーミングな人間であるかのように思うための舞台提供者であると思います。つまり、意地の悪い言い方をすれば、「北村薫が好き。あの作風がステキ」という人の中には、その人物が、「自分がそれ相応のキレイな人間」であると信じている(酔っている)人達もいるんじゃないか?と思うわけで。
という部分。あー、なるほど、私が一生懸命難しい本やハードSF読もうとする時(滅多にない)も、これに似た感覚があるかも!とか(情けない)。いや、読み始めてみると、全然わからなくなって読み飛ばしちゃうですがね、そういうところ……。でもいいじゃん、背伸びしても。というか、なんかもう、どうしようもない憧れというか、いえそう、ないものねだりなんですがね、私の場合(i-i)。
私はどうもハートウォーミングと言われる部分について、「ど、どこが?(@@;」としか思えないし、よく言われる季節感とか情景描写も、何か、本筋から乖離しているように見えて、なじめない(そう言う意味なら、別の人が書いている説もありかもですね(^^;)。なので、そういう所に惹かれる人もいるのだなあとは思いますが、そこまで考えは及ばなかった。むー。色々。
反応は、有里さん。いやもう、来た瞬間、自分だけでは勿体無いと思ったので、すぐに転載許可願いを出してしまいました。どうも有り難うございます>美月さん。
ところで、「キャラメルボックスと北村薫のファン層は重なっている」というのは菅浩江の台詞だっけ(見たのは1年以上前。川崎の図書館で)(*1)?と思ったら、大森さんの日記'98.6.7にある。ありゃ?<あてにならん記憶)。キャラメルボックスのファン層というのがよくわからないので、私にはよくわからなかったり。
23日の日記の反応は、有里さん、だいすけさん(2/25)、ふーまーさん(2/25)、ちはらさん。ふーまーさんの、「セクハラ親爺」というのは、やっぱり一番最初に考えました(笑)。というか、断罪するなら、確かめろ。「悪意のある世間の噂話と同じレベル」というのも、カワカミさんちの掲示板で書いた、「ワイドショーを見ている人が、タレントの悪口を言うような」という感じ。だいすけさんの円紫三題話説というのもよくよく考えてみたら、わりと凄かったり。夜寝ながらうなってしまったぞよ。
悪く見せるように、悪く見せるように、故意に操作されたとも思える情報(片方の意見しか聞いていない、状況証拠のみ、十分に他の可能性について検討していない)に基づいて導き出された単なる「推測」でしかないのに、どうしてあんな風に現実に相手を断罪したり、怖がったりしてしまえるのか(そしてそれを読者にも仕向けているのか?)。「これで筋は通るよね、でも、これは単に、筋が通るってだけだから、本当のことはわからないよね、ちゃんちゃん」で終わっていれば問題ないのに、現実の人間に対して「推測」だけを根拠に、第三者が身勝手な価値判断で断罪してしまうのが気色悪い。
ちはらさんお意見も、そうなのかもなあ、と思います。でも、この人、元……、……まあいいや。例えば、『スキップ』で真理子さんの受け持ちに、手の付けられない不良がいたとしたらどう対処するだろうなあとか(^^;。とにかく、自分は善人、悪人は情状酌量の余地なしで所詮悪人という読みは、むっちゃコワイっす……。私は共感できません。私は所詮弱い人間ですから(号泣)。
私の言うこともまた、「故意に操作された情報(私の北村薫作品に対する悪印象)に基づいて導き出される単なる「推測」」かもしれないよなあと、人の振り見て。つーか、その可能性は大いにありなんだが(汗)。
まあ、作中にどんなことが書かれていようとも、読んでいる人がそれに気付かずに幸せであれば、それでいいと思いますよ! いやマジで。読書なんて、なーんも引っ掛からず、なーんも考えず、作品世界に没頭して楽しめれば、それ最高(それが「正しい読書」かというと、話は別だが)。でも、引っ掛かっちゃったら、考えちゃう。考えたら、とんでもなかったり。う"ー。でも、小太郎さん、それ、例が意地悪すぎっす。
あ、ちなみに、DASACONは、SFとは別に関係ないんで、小太郎さんこそ、大歓迎っすよ(^-^)m。是非に。
『12のトイレ』、「V オリオン」まで。これは、高度経済成長辺り(だと思う)の八幡を舞台に、一人の少女の成長を、便所やトイレにまつわる話で綴った連作短篇集である。さすが村田喜代子だけあって、少女も非常に瑞々しく、安心して読める。だが、いかに無神経な私でも、こうも連続してリアルな【糞尿(伏せ字にしてみました)】がらみの話が続くと、少々参るなあ……。
今日はRといっしょに銀ブラ(死語)であった。一通り用事をこなして、お茶でもということで行ったのが、松屋の地下1階食品売り場にある日本茶屋さん。お茶っ葉売り場に、日本茶喫茶店がついているのだ。本当は、いつも混んでいるから、ということで別のところに行こうと思っていたのだが、待ち客なしだったので、入ることにした。
お茶は抹茶、番茶、ほうじ茶、煎茶、冷茶などから選べて、単品で500円、お茶菓子付き700円、お茶コース1500円。コースというのにも興味があったが、700円で番茶。Rは煎茶。お茶菓子は胡桃の入った茶色い餅だった。甘いが、嫌な味ではない(うーん)。明日からは桃の節句期間限定ミニ道明寺だったのだが、おしい。うまいし、暖まる。ほっこりと落ち着いた気分になるのだが、後から後から客が来て、列が店の外にまで……。余程運が好かったらしい(^^;。そういうわけで、おかわりもせず(できたらしい(;_;))、店を出てしまった。うーむ。
しばらく前から、アフィリエイトプログラムという本が注文できるシステムを、自分のサイトの川島誠と寮美千子の感想にだけつけていたのだが(将来に渡って、私が在庫のあるなしを気にするものに限定したため)、その集計が届いた。計6件。うちのサイトなんて、感想閲覧数は無茶苦茶低いので、ほとんど注文なんてなかろうと思っていたわりには、多い。いやあ、馬鹿にできないものですな、はい。森山さんとか、愛・蔵太(あい・くらた)さんなんて、すごそうだ(^^;。
2000,1,3,0,16,星兎,寮美千子,パロル舎,1,1500こうしてみてみると、最後の2件なんて、きっとラジオドラマがきっかけだったんだろうなあ('-')。嬉しい。
2000,1,3,18,40,800,川島誠,マガジンハウス,1,1262
2000,1,12,20,16,小惑星美術館,寮美千子,パロル舎,1,1262
2000,1,20,20,59,星兎,寮美千子,パロル舎,1,1500
2000,2,17,20,24,小惑星美術館,寮美千子,パロル舎,1,1262
2000,2,17,20,24,ラジオスタ一レストラン,寮美千子,パロル舎,1,1456
さて、一通り本放送は終わったわけだが、単体として、非常に楽しめるものだったと思うので、よしとしよう……、といったところか。いや、うん、それで良いと思う。うんうん。ママのところは泣けましたな、やはり。
ただ、どうしても原作は骨抜きにされてしまった感じはあるなあ……。スケールもぐんぐんぐんぐん縮まってしまったし、結局「人間」の話になってしまったのが、無茶苦茶悔しい。駄目じゃん(;_;)。ネモ船長も、あれでは単なる物事をよくわかっていないおじさんだし、ユーリもあれではキ印だし、うーん、うーん、うーん。
でもまあ、こうしてラジオという電波に乗って、どれくらいの人が「リョウミチコ」という作家の存在を知ってくれたかを思うと、やっぱり嬉しいものだ。実際、これを機に手にとってくれたひともいるみたいだしね(^-^)。すごいことだと思う。
ファンの方は、沖縄タイムスのサイトで、「ナビィ」("ヴィ"ニ非ズ!)をキーワードに検索かけてみると吉。奈々子役は当初西田尚美じゃなくて、緒川たまきという人であったらしい。広島出身。調べてみると、ゴーカイで伸びやかで元気な西田尚美とは随分違うタイプみたい。色々と興味深い。[シネマセレクション]/[「ナビィの恋」撮影の秘密](下)/磯田健一郎/感情の交流を表出・普久原さんが協力 は、恵達ファン必読。
エドワード・ノートン熱烈ファン(なのか?)お給仕犬さんの呼びかけで、青木さんと、溝口さんと、たまたま兵庫から出張してきていた稗田さんと、小笠原さんで、『アメリカン・ヒストリーX』を見た。
アメリカの話。父を黒人に殺されたことをきっかけに、ネオナチに転んだ兄は、車上ドロの黒人を射殺して、刑務所入り。その兄を崇拝する弟も、同じ道を進もうとしていた。だが、3年の刑期を終えて出所した兄は、刑務所での経験をきっかけに改心しており、弟も更生させようとする。
……疲れた。道徳映画だった。『ナビィの恋』であまりにも衝撃的な予告編を見、Web上でも結構絶賛されていたような気がするので、期待していたのだが、駄目だよ、映画がテーマに負けちゃっているよ……。役者の演技とか、映像とか音楽とか、盛り上げ方はいいのに、肝心なところで脚本が易きに流れてしまって、うーん。
【 弟、改心早すぎ。結局彼はネオナチとか、白人至上主義とかではなくて、単なる兄の崇拝者だったんだろうけど、男の子が(セクハラ?)3年間主張し続けてきたものを、あんなに安易に捨てられるか? 頭はなくても、意地はあるだろう。体面も、プライドも。それから、足抜けに伴うリスクだって、判っているはずだろう? それを兄の苦労話にホロリときて、一瞬で改心してしまうなんて……。いかにも映画のための改心じゃないか。兄の足抜けにもたもたして、時間がなくなってしまったから、弟はこれだけ、みたいな。】
なんか、日本の道徳映画とか、学園ドラマの、「先生はお前たちのことを信じてるからな」という台詞に対して、「あんたはその子を信じているんじゃなくて、自分の身勝手な子供観を押し付けて、本当のその子の姿とすりかえて、それにすがりたいだけじゃないの?」と感じるのと同じようなシラケを感じてしまった。他の所はちゃんと絞まっているのに、ここだけ(肝心なところ!)妙に甘甘なのが、逆に目立ってしまってげんなり……。うーん、どうして?
まあ、テーマが大事の映画だし、テーマ的には成功している映画なんだろうし、しゃあないといえばしゃあないんだろうけどね。アメリカの現実とか、まあ、色々考えさせられる映画だし、でも、なーんか、なあ。映画としては、イマイチ、じゃないかなあ。ストーリーも全体的にむらがある。うーん。まあ、見て良かったと思ったことは確かだし、それで充分っちゃ充分なんだけど(^-^)。
=>自分で考えないことの恐ろしさと、考えすぎる私の愚かさ(映画『アメリカン・ヒストリーX』と川島誠)
『HEY! HEY! HEY!』の続きで、チャンネルを変えるのが面倒くさくて、なんとなくいつも見てしまうんだが、何なんだ、これは〜。うぎょ〜。トンデモ?? マジ? 脚本アホすぎ……。
にしても、宮沢和史って立派に役者なんだねえ(って、今更だったらスマヌ)。いや、他の「役者」よりも、ちゃんと「役者」しているような気がして。
notさんの日記から2chのSF板へ。ビジョルドとか、神林とか、谷甲州とかが既に出来ていたので、読む読む。
昨日は、稗田さんがいたので、神林の話も少しした。「神林は、90年代に入ってから、何かいいもの書きましたっけ?」「ないっしょー」「ねえ」などと頷き合って、余計寂しい気持ちに……よよよ。著作リストを見てみると、『完璧な涙』が90年で、『死して咲く花、実のある夢』が辛うじて92年。面白いと思って読んだのは、これくらいかも(泣)。それにしたって、オールタイム・ベストな『プリズム』(86)、『戦闘妖精・雪風』(84)、『敵は海賊・海賊版』(83)のような輝きは〜、輝きは〜……。うーん。ううう(;_;)。『宇宙探査機・迷惑一番』も86年、か……。『敵は海賊』は、アプロがどんどん一人ドラゴンボール化しているような気がするので、『饗宴』まででいいし。
私が初めて神林長平を手に取ったのは、平成2年だから、ちょうど90年のこと。『敵は海賊・海賊版』だった。ハイ、天野アプロに惹かれたんでガス(i-i)。私は軟派なファンでガス。まあ、この頃はノリノリで、買えるものはすべて買い占めて、勢いで読んだということもあるんだろうなあ。しかし、そう考えると、新刊を勇んで買って喜んだのって、『死して咲く花』だけかい!<私(--; 実際、高校時代に読んだ他の作家(川島誠、重松清)がまんま今もお気に入りになっているから(重松はブランクあり)、やっぱり年齢的な影響というものもあるんだろう。
しかし、新刊を読むたびに、だんだん神林ファンを名乗ることに対して、後ろめたさを感じてきてしまうほどに、「違う」感がいや増す。どんどん自分が求めている傾向とは別のところへ行ってしまうような気がする。最初に顕著に感じたのは、『天国にそっくりな星』だったか(台詞で全部説明しちゃって、小説として明らかにへたっぴということもあるだろうが(^^;。最初の新刊予定から随分遅れたくせに〜)。『新・雪風』で零を生き返らせたのを読んだ時かも。
それは別に、『プリズム』のような物を書け!と言っているわけではない。作家も人間なんだから、変化もすれば成長もするわけで、その過程で、どんどん自分が好きだった頃とは違うものになってしまうこともある。『迷惑一番』と『天国にそっくりな星』の差は、良い悪いではないんだろうな。きっと。
うーんうーん。でも、「好き」と言える作品がないのだよ……。うーん。
きのうは、七沢さんに薦めるSFは何か?という話もしていた。溝口さんは、野阿梓とかを薦めていたけど、やおいとか、お耽美とか、そういうものに全くアンテナがない私は、よくわからないのだ。それで、ビジョルドとか言っていたのだが、うーん、やおいキャラには向かないものねえ、マイルズ。見てくれが……。『自由軌道』のクァディ(無重力空間で作業し易いように、遺伝子操作して、全ての肢を腕にされた人たち)が「挿絵つけられない設定」と言われているが、マイルズも十分に挿絵に苦労するから。でも、『戦士志願』の表紙は俯瞰で誤魔化しているような気がするけど、それ以降はマイルズじゃないよな、この表紙(--;。『親愛なるクローン』って、誰? イワン?(制服の色が違います(笑))
まあ、やおいには向かないだろうが、マイルズは私にとっては萌えキャラなのだ(i-i)。私はキャラ萌えではなくてシチュエーション萌えなのだが、マイルズならどういうシチュエーションにあっても、自動的に萌えシチュエーションになるのがミソ。マイルズは、母親が浴びた毒ガスの影響で、生まれつき骨がもろくて、短躯。父のような立派な軍人になることを夢見て、軍隊に入隊しようとするも、体力検査であえなく骨折して失格してしまった。しかも、そのことがショックでか、直後にプライドの高い祖父は死亡。半ばヤケになったマイルズは、宇宙へ飛び出し、ハッタリかまして傭兵隊の提督になってしまった(はしょりすぎ)というストーリー。体も弱くて、見てくれも弱いところを、気力と知力と根性とハッタリだけで切り抜けていくマイルズの姿は、もう歩くだけで、萌え萌えシチュエーション。良すぎ(i▽i)。
まあ、私のような異常体質ではなくても、ビジョルドは最初に読むSFとしては、いいんじゃないかなあと思うんだが。訳も読みやすいし、いかにもSFなスペオペだし、そのくせ全ての問題は日常から発生しているし(給料とか、恋愛とか。サイフィクト?)。私は読みにくいSF苦手だし<こらこら。
多分、私の好みは分かりやすいんですよ。嫌いな食べ物も、「甘くてほっこりしたおかず(かぼちゃの煮付け、サツマイモ、栗ご飯)」と、系統立ってるし。極端な話、『アメリカン・ヒストリーX』だって、萌えるシチュエーションになりそこなったのが気に食わない、と言えるかもしれなかったり(笑)。そこからが苦悩のしどころじゃん〜と思ったとかね(^^;<微妙に、だが決定的に違いますが(笑)。
しかしそうか、あれはアメリカ映画のコードなのか。難しい。
トゥルーって、少女じゃないのか〜(^^;。こ、この声は、違いすぎる。母親にしたいのか? 子供の頃に同じ年頃の少女をイメージし、シドに時が流れても、トゥルーだけは年を取らずにあるものだと思っていたのだが。シドの声が若いから、なおさらアンバランス。まあ、些事些事、だが、うるさいよ、女1。
体中が乾燥してがさがさである。特に腿の外側に、すったような細かいかさぶたが、掌大の面積で出来てしまった。転んだ覚えはないので、痒くてぼりぼり掻いたのだろう(;_;)。
ついにたまりかねて、ドラッグストアに保湿クリームを買いに走った。どれが良いのかわからなかったので、テスターがあるものを数種類試して、よさげな物を手にとった。その後、歯磨き粉とか、ついでの買い物をしようと思っていたのだが、ものの10分だろうか。さっきテスターを塗った部分が、ひりひりひりひりしてきた。見ると、赤く充血している。嗚呼、アレルギー。つくばに来るまでは、アレルギー知らずの健康体だったのに(;_;)。どうしてこんなに繊細になってしまったの(号泣)。
ということで、結局買わず。春よ来い、早く来い。
みのうらさん、すみません。書き方が悪かったのか(^^;。トゥルーは男声ではありません。なんか、妙な色気のあるおばさま声(おばさま喋り)。それこそ島本須美の子供声みたいな、絶対に宇宙飛行士の近辺にいないキャラクターにしないと、わかりにくいと思うんだが。ゴドリーは太目の男声。これももうちょっと機械声にしてもいいと思う。あと、宇宙服で喋っているのなら、宇宙服らしく(自分の声を篭らせたり、相手の声も通信で会話しているということを強調したり)演出してほしい〜。情景が全然想像つかないんすよ。原作を知っているんで良いのですが。これって素人考え?(;_;)
ああ、しかし、これはきつい。イタイイタイいたたたた……。
ストーリーはハロルドのミスまで。
そもそもが、『スキップ』のひっかかりの一番最初の個所はおぞましい生理的嫌悪感だったので、ややこしい。さらに、一番気になっているところは、構成的なまずさであって、これは善し悪しでしょう。しかし、その奥につっこもうとすると、作品中の登場人物や、『スキップ』『ターン』『盤上の敵』『空飛ぶ馬』の作品全ての根底に流れる潔癖さ、女性観、人間観、処女信仰的なものにつっこまざるをえなくなって、結局行き着くところは自分語り(--;になってしまったのだった。うーん(^^;。
というわけで、ちょっと自分の読み方の確認とおさらいと、整理。になるのかどうなるやら。
大学に入りたての頃、大型計算機(HITAC2020)で、オセロをした。こいつが腹の立つゲームで、途中までは適当に打たせてくれるのだが、しばらくすると、適当に打とうとしても「定石から外れています」というメッセージが出て来て、「正しいマス」以外には打たせてくれなくなる。こちとら、オセロの定石なんて考えたこともなかったので、そんな事を言われても闇雲にマスをつつくしか能がないのだ。結局1ゲームもやり遂げたことはなかったと思う。その前に飽きた。
常に、現象は先に存在する。理屈は後付けのものでしかない(私の場合)。ので、これもここしばらく考えていた理屈。
以前、自分は定跡読みをしているのではないかということを書いた。あまり上手く書けてないけど(この時続きに何を書こうとしていたんだろう?>自分)。要するに、物語を読むことで私が何をしようとしているのかというと、物語にこめられているものを読み取ろうとする―、つまり、物語を介して作者と一種のコミニュケーションを取ろうとする。作者が読者に望む通りに読む、それが私にとっては最大効率の読書と思えるからだ。
コミニュケーションというと大層な感じがするが、別にメッセージやテーマを読み取ろうとするようなものではない。単純に、物語を読むことで、著者の思い通りに楽しませてください、というくらいの意味。物語は、詰め将棋の譜のように存在する。作者が、読者と詰め将棋をするための譜だ。あらかじめ譜の作成者は、読者が指すであろう手を考えて譜を作る。作成者はちゃんと詰まるように作っていて(それはちゃんと落ちが付くということとイコールではない)、その想定されている棋譜こそが、詰めへの最善の美しい道であり、それを見つけさえすれば、すっきりその譜を堪能することができるだろう、と想定する。そういう読み方。勿論、いつもそんなことを考えて読んでいるわけではない。私は感情移入至上主義の大雑把読みなので、何も考えずに物語の中に入って、自然に登場人物と一緒に一喜一憂したい。
のだが、そうも行かない時もある。読み進めなくなったときは、考える。私の読み方はあくまでも「作者が読者に望む通りに読むのが最短の道」ということが前提なので、作者の考えを汲もうとする(内容を取るよりも。三択問題で、2度続けてBだったから、今度はBは来ないだろう、みたいな。ずるですな)。
そこで、物語の外側を補助的に手がかりとして読むことになる。こう書いているからにはこう読ませたいのだろう、とか。例えば、同じ著者の過去の著作の傾向、テーマやシリーズなどなど。「時と人」と銘打っていれば、「時と人」の物語なのだろうと思って、それにつかまって読み進む。テーマというのは、そういう意味ではかなり大きな手がかりで、どんなに枝葉が多くても物語の幹、あるいはそれに近いものなので、それにつかまって読めば大丈夫というくらいの安心感がある。
が、『スキップ』はテーマで「時と人」を謳っていながら、幹はそこにはないものであるらしい(らしいというのは、私が未だに幹を見つけられないから)。私の譜の読み方がおかしいのかと、考えていくと、どうも譜の方がおかしいように見える。筋もちぐはぐで無理があるし、登場人物も変だ。
譜に書かれているのは駒のみであるが、その譜を読むためには、作成者と読者、両方に一定のルールが必要になってくる。そのルールも、別に競技しているわけではないので、譜に合わせて結構臨機応変に譜に合わせて変えていくことが必要になってくる。が、どうやら『スキップ』で辻褄が合うようなルールは、私の変えられる範囲を超えたところにあるらしいと思えてくる。何しろ、ストーリーのちぐはぐさは、どうしようもない。明記されているテーマは手放せないし。
もっと顕著な例が、『空飛ぶ馬』の『砂糖合戦』『胡桃の中の鳥』『赤頭巾』。欠席裁判という話。こちらは、私の「倫理観」というルール(また微妙な)と対立する。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がある。まあ、実際にそれが自分に可能かどうかは置いておいて、この3編では「その人物に罪があるかどうかの確証すらないのに、一足飛びに人を憎んでしまう」という、私的には「やっちゃいかんだろう、それは」という無茶苦茶なことをしてくれる。
それは、推理小説的に言えば、安楽椅子探偵的お約束であるらしい。私は残念ながら、そのお約束という駒を持っていなかったので、指し間違えたのかもしれない。だがしかし、作中に突然登場人物の「倫理観」が出て来たから、読者側も「倫理観」を持ち出して読まざるをえなかったわけで、そうなると「疑わしきも罰する」という作中人物の(私からは無茶苦茶だと思える、特殊な)「倫理観」が、際立って見えてしまうことになる。ここを柔軟に登場人物の「倫理観」に合わせて、その事情も知らずに、「ああ、なんて嫌な女」と共に憤ることは、私にはできなかった。が、ロジックだけで止めてあれば、たとえ駒の意味を知らずとも、パズル小説として読むだろう。「倫理観」はわざわざ持込みさえしなければ、絡まないものだろう。が、そうはならなかったのはなぜ? 敢えて持ち込んだように見えるのは。非常にバランスが悪いというか、片手落ちである。「織部の霊」での裏付け調査すら蛇足(2/25)と言うのなら、断罪こbオれない。小説の中に自分の「倫理観」を持ち込むことが間違っているのだろうか。しかし、ひどい事件を見せ付けて、読者の怒りを誘い、詰めに持ち込むのも、小説の定跡の一つだろう。「疑わしきは罰せず」的最低限の「倫理観」を持ち込まないようにしたいのであれば、そのように譜を張れば良かったのでは。もしかして、このちぐはぐな不快感も作者が想定したものなのだろうか。
ていうか、推理小説の定番の短篇とかもうちょっとちゃんと読んでみよう。むむむ。ついでに、囲碁将棋もド素人なので、用語の使い方とか、全然アレだと思う。むー。
まとまらんかった。
Arteさん(2/29)的には「設定萌え」らしい。
よくよく考えてみると、谷甲州の「航空宇宙軍史」って、私の萌え萌えシチュエーション満載かも(^^;。だから好きなのか?