月曜の午前中、無茶苦茶気分が悪くなったので、昼休み薬局に相談してビオフェルミン止しゃ薬を買ってきた。でも、便秘に移行したみたいで、ちっとも楽にならないよう(;_;)と、昨夜はうどんを食って、9時就寝。7時まできっちり布団の中にいたが、うなるは、喉が渇くはで、寝た気がしなかった。でも自業自得というか、単なる不摂生なのは明白……。
今日も気分が悪いので、さっさと寝るです。
小説新潮7月号、三島賞しかのっていないよ……。
nDiary ver 0.6.6(for Ruby)、動きました。有り難うございますm(__)m。過去日記にも、一覧がつくようになったのですね(^-^)。そこもふくめて、レイアウト関係を結構いじりました。段落アンカーをなしにして、見出しのみにしてあります。
昨日はそれで力尽きた。
引き続き、新井素子『チグリスとユーフラテス』話。
でも誉めてるのにはそれなりの理由があるんだよ、って事は叫びたいです。とのことなんですが、うーん、かもしれないんですが、「新井素子ファン以外にリーダビリティのある小説なのか」ということが疑問なのです(;_;)。なので、「新井素子」だから、という下駄をはかせて評価するのは、じゃあ普通じゃ駄目なの?ってことになってしまう。
というわけで、普通の文学賞と思われる「山本周五郎賞」にノミネートされたその選評、大呆けかましてしまいましたが、きちんと「小説新潮」を入手しました(こないだみたのは、ただの「新潮」だって)。
新井素子が変に評価が高いんだが、これが何だか物凄く変な評価のされ方をしている。候補作は新井素子『チグリスとユーフラテス』の他、受賞した重松清『エイジ』、山本文緒『恋愛中毒』、小野不由美『屍鬼』。私は後の2作については未読なのだが、冒頭の『屍鬼』がとにかくけちょんけちょんに貶されている。長すぎて読みにくいとか、面白味に欠けるとか、印象に残る人物がいないとか。実際読んでいないので、何とも言えんが、こういうのって誰がノミネートするのん? という疑問だけは強烈に残ったぞ。
それを踏まえて、『チグユー』の選評を見てみると、小野不由美や山本文緒や重松清があれだけ言われていた文章関連が、それほど減点要素になっていないように見える。というか、「これは変だ」という点がやっぱり色々と挙げられるんだが、それらが全然点数に響いてこないのは何故?
阿刀田 小説というのは、ある意味では月並みのことを納得させてくれるというのが小説の力だと思うんですけれども、それがみな説明的になってしまっている。(中略)人物のデッサンなんかも、ちょっと納得できないし、男女の愛情や、危機に面した人間のビヘイビアなんかも型通りすぎて、躍動して語られるものがほとんどない。作者が勝手につくった設計図にあてはめていくだけになってしまった。小説として一番必要なことが欠けてしまうんです。(中略)だからそこ(注:移住の過程)だけは生身の人間を感じさせるようなものを書いてくれないと、小説のコントラストが出てこない。もう少し地球的リアリティが欲しかったですね。(146中下段)とかなんとか、色々と、そこが引っ掛かると言うところがあげられながら、井上 文体、文章に関しては、この人は本当にルーズだと思います。矛盾しているところも多いですよ。(中略)それから、これは大きな問題ですが、未来のこの時代に、現在と比べて言語がどのように変化しているかについて、厳密さを欠いている。当然ながら小説は言葉で書かれるわけですから、このあたりの点検が必要でしょう。(147下段)
逢坂 結局SFというのは、いかに想像力を働かせるかで勝負が決まる、と思うんです。(中略)いささかSFとしては想像力に欠けるんじゃないか、という感じがしました。(149上段)
阿刀田 しかしSFというのは、ある部分では、あんまり細かいことを言ってたら成り立たない。寓意性だけで書かないとどうしようもないところがあるんですね。だから私は登場人物がみな同じようなしゃべり方をしても、それは構わないと思います。(149中段)そーなのかー???
ちょっと話が滑りますが、SFで人物が描けてなくても別に構わないというようなことを、読んだり聞いたりすることは、確かにある。だがそれは、思うに、人物を主題とせずに、例えば宇宙を主題にした小説であれば、主題である宇宙が描けていればそれでいいという話であって、限られた登場人物の人生(それが人類、あるいは地球生物という大枠の基礎となっているのだろうが)を主題にした小説で、人物が描けていない(差別化されていない)ことが、「SFだから」という理由で不問にされてもいいのか? そうなのか? すんごく、それは変だと思うぞ、私は。
そして「SFだから」の一言で、「小説として一番必要なことが欠けて」いるようなことも、許されてしまうのか? 何なんだ、それは一体。
だいたい、これ、SFとしていけているんだろうか? 遠未来の遠い惑星のディティールがリアリティ0(ゼロ)なので、俺SF的には、全然いけてないんだけどー(;_;)。リアリティってのは、今、ここからの繋がりと言い換えてもいい。今から遠未来、ここから遠い惑星への距離の実感が、広がりを持たせると思うんだが、そこら辺は全く無視して、突如箱庭のような惑星が書かれているだけなんだもの(;_;)。「SFだから」なんて言っちゃ駄目だよう(;_;)。
やっぱり、掲示板でもいったとおり、下駄を履かされているような気がする。「SFだから」ということで一つ。でもって、有里さんがおっしゃるように、オヤジ連中はぶりっ子文体に騙されているような気がするぞ。
どうも、この審査員は「若い文体」に弱いのかも。受賞した『エイジ』が、モロそれだし、山本文緒もおしゃれで今風の文体が好評らしい。あー、でも、『エイジ』はコンセプトに著者が合わせた文体であるということを主張しておこう。山本文緒も、その文体を選んだ意味とか、そういうところで評価されているしね。
新井素子の場合はそれと違って、文体を制御できていないのではないかという気がする。特に「ダイアナ」の章で、最初はなんだか硬めの文体を意識しているのだろうかと思っていたら、どんどんルナがしゃべってんだか何だかわからない文体に崩れていく様がどうも……。酒鬼薔薇くんの手紙みたいにちぐはぐな、無理して使いなれない背伸びした文体を使いたがっているんだけれども、使いこなせていないというような印象だった。
でも、文体を今更変えることに新井素子自身が踏み切れないのかなあという邪推もしてみたり。今の新井素子ファンが、文体が普通になった新井素子を受け入れるかというのが、外野から見ていても怖い。内容と文体の釣り合いってのは、本当に大事だと思うのだが、あの文体抜きの新井素子に、何が残るだろうか。それに、普通の文章でこれをやられたら、うーん、さらに露見すると思う。具合の悪いところが。もろ。今は人物の書き分けができていないのも、「みんな同じ口調になっちゃうからねー」で誤魔化せるんだけど(^^;。ねえ?
というわけで、結局“「新井素子」だから下駄”の代わりに、“ぶりっ子文体と「SF」だから下駄”を履かされた評価だと思ったです。やっぱり単体の小説としてのリーダビリティは?という私の疑問には答えてくれない〜(;_;)。
というわけで、ついに、ついにピッチ持ちになってしまいました。但し、かけさき3個所限定のアステルきめとーく。この専用電話というやつが、写真を見た瞬間にやめようかと思うくらいださい。平べったくてやぼったい。うー、ださださだよ〜。でも、基本料金680円で通話料通常ってのが、けちな私には魅力。その上、登録した電話番号3個所のうち一つが実家だってんだからなあ、かけるのか、それ。さらに、うけとった電話が、手違いで店員がするはずの初期設定がなされておらず、部屋で電話で聞きながら自分でやることに……。やっぱり持たんほうが良かったんかね?
イアン・バンクス『蜂工場』を読んだ。
表紙に"「結末は、誰にも話さないでください」"などと、わざわざ書いてあるんですがね、その結末が……。ああ、やめて、それだけは! いやぁぁぁあああぁあああぁ……。やっぱり。という感じになってしまったのでした(;_;)。ううう、発行時(14歳)に予備知識無しで読んだら、きっと心のバイブルになったであろうに……。いや、結末を抜きにしても、すんげー好きですけど(^-^)。バンクス、もちょっと読んでみよう。