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ざぼんの皮 1999年 05月


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May.21,1999 (Fri)

人は、年を取ると時代小説を読むようになるのだろうか?

 人は、年を取ると時代小説を読むようになるのだろうか? うーん、なんか変。

 うちの父は確かに読むものといえば時代小説かばかりだ。池波正太郎とか司馬遼太郎とか。でも、それは別に父が年を取ったから時代小説をよく読むというわけではなくて、父なんかの年代には時代物がエンターテインメントの主流として非常に身近なものであるという刷り込みがなされているから、単に読みやすいというだけなんだと思う。

 別に中年になったからといって、ジュニア文庫やSFやミステリの人が時代小説読みに移行することはないと思うがなあ。漫画がすり込まれていたら、年取っても漫画読むだろうし、もしかしたらその頃には「年を取ると漫画を読むようになる」とか言われているのかもしれない、とか。

 そう考えてみると、時代小説というジャンルの人たちも結構深刻なのかもしれない。きっと、毎年読者の平均年齢が一つずつあがっていくとか、新しい読者を獲得できなければジャンルが滅びるとか、新しい書き手がなかなか出てこないとか、時代小説の読者=おじさんというイメージが定着してしまってヨロシクナイとか、そういうような議論がなされているんじゃないかな、ネットからは(私が普段目にする範囲のメディアからは)見えないだけで。

 考証に凝ったものよりも、奇抜で激しい剣客物がいいとか、歴史小説はやめて、時代小説をメインに出していこうとか。で、剣客物は歴史・時代小説界からは軽く見られているけれども、そっちの方がよく売れるし、ジャンル外の読者にとっては歴史小説も時代小説もさほど違いはなくて、それから連想するのは剣客物なのだ、とか。

 テレビからは時代劇の枠がどんどん減り続けるし(少なくとも、私が小学生の頃にはもっとあったような気がする)、映画もヒットしない。若い人に受けるのは『必殺!』シリーズのような一種奇をてらったものだけで、ああいうのは時代劇でないところが受けているのであって、時代劇だからといって受け入れられているわけではない。そもそも時代劇という言葉には、『水戸黄門』に代表されるワンパターン的なものという印象が根づいてしまい、それが新たな時代小説読者を開拓する妨げになっているから名称を変えよう、とかなんとかかんとか。SFに負けず劣らず激しくやっているんだろうなと勝手に想像しちゃったりして。

 まあ、そういうもんなんだろうね。

去年の俺様

May.24,1999 (Mon)

SIMMを探して三千里

 突然増設をしたくなった。というのも、SETI@homeをうちに置いてみたら、非常に重かったからである。いや、マジで(^^;。増設しようとは思っていたんだけれども、きっかけはSETIです、はい。まあ、ちょうど土曜日は秋葉原へ行こうと思っていたので、ものはついでで、決意。

 さて、その前に実は私は自分のパソコンに何が刺さるのかをよく知らないのだった。そこで朝っぱらから、まず箱を開ける。増設するのって、3回目だし(1回目はLANボードとサウンドブラスター、2回目は会社でメモリ)、全く不慣れな私だが、2回で根拠のない自信を付けたこともあり、さっさとあけて見る。

 んーん、メモリって多分これだな?と、曖昧にそいつの形状をチェック。会社で付けた奴とよく似ている。2本ささっているし、隣のさしくちも2本だし、ってことは2本で一つの「しむ」ってやつだ、そうに違いない!(~^T)g<他には知らんとも言う。

 ということで、チェック終わり。いささか心許ないので、箱を閉めた後、まず自分のメモで、メモリの種類を見ると<先に見れ、「EDO-RAM」とか書いてある。んん? 「えど」なのかな?(そう言えば以前、ASAHIパソコンの四月馬鹿ネタで、京都産業なんたら会議所がJAVAに対抗してUJIを開発とかいうネタがあったね) Webで適当に「メモリの種類」とかで検索してみて、確認。やっぱりSIMMでいいみたい。ついでに、秋葉原のサイトでメモリの値段を確認すると、128mbで1万ちょっと!? わー、そんあなもんだったのか('-')。

 ということでいざ出陣! ……が。

 最初入った店では、64mbで1万7千とか言われてしまった〜(;_;)。話が違うよ〜。あまりに高いと思ったので、次の店へ。すると、こちらでは「ないですね」。え、今SIMMってほとんどないの? 親切なお兄さんが「いくらって言われました?」と聞いてくれたので、1万7千というと、「それは高いわ」。ということで、やっぱり1万7千円は高いということが判明。売ってそうなお店を教えてもらって、移動。

 まあ、安いものなら中古でいいやってことで、今度は中古屋さんを中心にまわることにする。でも1万5千とか。中古でそれは嫌ね〜(;_;)。しかも品がないって。そんなに品薄なのか?>しむ。次のところでは、おお、64mb(322)で9千ちょっと? それは買うっす……、え、ない? そんなあ(;_;)。次の店では、64mb(322)で1万2千。それでもいいや……、1枚しかない? それって別の店でもう1枚買うのは、……危険だよねえ?

 ああ、こんなにSIMMって遠いものだったの?(;_;) 「SIMMの絨毯」などと並べてある店にも、EDO(いーでぃーおー?)はないといわれるし。

 で、結局買ったのはソフマップの中古。1万1千円なり。今のメモリ なら同じ値段で128買えるかもしれないけど、64……。まあ、いいけどね(;_;)。SETIのためだし(~^T)g

 ということで、その後ブラインドタッチ練習ソフト『撃打』を堪能(見ていただけだけど)して、帰宅。「ふ」が「HU」とか、「じゃ」が「ZYA」ってのは、まずいのでは?

 ちなみに本来買うべきものは、電話のカールコードを延長するコード。だったんだけれども、疲れた。

時差

 2日(笑)。明日は日曜日の日記です。お楽しみに<をい。

去年の俺様

May.26,1999 (Wed)

映画『ヤジャマン』

 日曜日は銀座で『踊るマハラジャ2』であった。んー、そもそもは、Mさんに寮美千子のサイン入り『ノスタルギガンテス』を渡すということで、じゃ、ついでに映画でもということになったんだな。しかしMさんちと私んちは、推定1キロ位の距離でしかないんだけれども、わっはっは。

 土曜日に寝る間際、待ち合わせ場所と時間を確認しようとして、困った。

 銀座三越ライオン前ってどこ??('-')??

 仕方がないので、MさんとNさんに質問のメールを出したところ、結局Mさんに近所の駅で待ち合わせて行くことになった。映画に行く意味ないじゃん!(嘘) だがしかし、すんげー間抜けなことに、私は本を忘れてしまったのだった。ごめんなさい〜(;_;)。

 そんなこんなで、銀座三越ライオン前。おお、なるほど、ライオンさんがいらっしゃる。聞くところによると、これは「渋谷のハチ公」「新宿のアルタ前」と同じくらい有名な待ち合わせスポットであるとのこと。いや、でも、私「渋谷のハチ公」って半年前までは一人で行けなかったよ。「渋谷のモヤイ像」ってのも、未だに謎だし。真面目な話、Mさんにつれてきてもらわなかったら、三越の道路挟んで向かい側にある「ビアレストラン・ライオン」の前で立ち尽くしていたと思うっす。

 映画にはYさんを加えて総勢4人。初回ということで、結構空いた映画館の一番前、3列目に陣取って、見ましたよ『ヤジャマン―踊るマハラジャ2』。

 実を言うと、これは『ムトゥ―踊るマハラジャ』よりも前に作られた作品で、主演のラジニカーントとミーナは同じでも、全然関係のない話。ま、相変わらずは相変わらずなんだけれども……、先に『ムトゥ』を持ってきたアンタはエライ(笑)! いやもう、すごかったすごかった。ずっと度肝抜かれまくり。

 筋は、『ムトゥ』が松竹新喜劇風人情喜劇なら、『ヤジャマン』は勧善懲悪刃傷悲劇、但し笑える。しかしなんというか、まあ、うーん、何がどう違うんだろう……。とりあえず自分が住んでいる世界のものとは全く異なった道徳観念の世界なのだということが、よーくわかりました。ストーリーライン自体は、確かに無茶苦茶なんだが、それほど変ではない。でも、話が転がっていくその動力源たる道徳観念が「な、なんか違う〜(^^;」という感じなのだった。『ムトゥ』ではそれほど感じなかったんだけどなあ……。

 んで、とにかく人が死にまくる。素手の喧嘩でも人は血反吐を吹き出して倒れるし(鳩は下敷きになるし)、背中に火が付いて逃げ惑うし(どうやって撮ったんだろう? どうして牛はあんなに平静なんだろう?)、これも『ムトゥ』にはあまりなかったこと。んで、やっぱり昔の作品だからか、編集が下手。画面が切り替わる前に、妙な止め絵の間があるのが気になった。加えて、『ムトゥ』に比べて変なシーンが多すぎる。後から考えると全く必要とは思えいないようなシーンが、唐突に挟み込まれていて、なんだか支離滅裂な感じがした。但し、そういうシーンも無茶苦茶おもしろいんだが(^^;。

 いい映画でも、よく出来た映画でもないんだけれども、なぜか見て損したとは思えない映画ではありました。お腹いっぱい楽しめた感じ。で、あれでハッピーエンドでしたか?(^^;。

犬っころと私

 『ヤジャマン』を見た後、インド料理のバイキングを食べて、銀ブラ。途中立ち寄った書店で、英語の冊子にソニー製犬型ペットロボAIBOの記事を見て、もしかしたらソニービルでみられるかも、と行ってみたら、果たして本当にいました>AIBO。

 30分に1回やっているらしいデモを、割と前の方でかぶりつきで見てしまいました。動き自体は、結構おぼつかなくて怖い。昔弟のゾイドをよく踏んづけて壊して泣かれたのを思い出しながら、拝謁しました。

 ……、しかしなあ。犬っぽくないんだな、これが。技術が及ばなくて犬じゃないというわけじゃなくて、敢えて犬に似せさせないようにしているというような感じ。後ろ足を突き出して、ぐるんと腿を360度回転させたりとか、犬作ろうと思ったら絶対になさそうな動きをする。おしっこをしたり、前足で顔を掻いたりというようなポーズもとるんだけれども、やっぱり全体的にぎこちないので、一瞬「こいつは何をやっているんだろう」と考えて初めて、犬の行動が理解できるような感じ。もっと犬犬していたら、その翻訳にかかるタイムラグが少なくてすむのにと思うです。まあ、画期的なんだろうけれども、とりあえずはいらない(笑)。

 餌をやる必要がない、排泄の世話の必要もないということで、喜ばれているようだけれども、そんなことでは絶対に私なら3日遊んで押し入れだと思う。毎日世話をせざるをえない状況であれば、かまう気も出てくると思うんだけれどもねえ。放っておいても死なないし、放っておいても(目に見えて)成長しないのは、私向きじゃないと思った。まあ、人の家にいたら、嬉しいだろうなあという感じかな……。

 って、こんなことを言っておきながら、猫型ロボットが出て来たら、涎たらして飛びつくんだぜ(笑)。

うひひひひ。

 めでたく免許を取りおわったシュガノビッチ.ウタレンコの日々は、ついに結婚式編に突入。しかししょっぱなからアレですかい(笑)。

去年の俺様

May.29,1999 (Sat)

書店と図書館

 安田ママさんちの掲示板に書いたものを、あまりに長文なので(数回に渡って書いたのをくっつけたんですが)(あ、あと、「スタンス」の話とかもあったし(^^;)、こっちで返信しようかと思ったら、ペーストするだけで死亡(^^;。続きは後日(と宣言すると書かないジンクスが……)。

 新刊書店の方が圧倒的に「ない本」が多いと思いますし、取り寄せにも時間がかかると思います(^^;。品切れ、絶版は当然手に入らないし。

 下手すれば半月前の新刊ですら、店頭で見つけることもままならず、取り寄せれば3週間とかいわれてしまう(i-i)。図書館なら、書店経由で手に入るような本であれば、自治体内の他館にあれば、2,3日(川崎では1週間かかったけど)、他自治体でも3週間待たされることはあまりないです。

 世間で評判になっている新刊が図書館で見掛けられることは、ありません(^^;。自分が読みたい本が、不幸にして世間の評判と重なってしまいそうなときには、空中回転に入るよりも早く、離陸直後を叩くのです。大抵の図書館は発売日前のリクエストは受け付けてくれませんから、発売直後ですね(^^;。1日の遅れは、2週間の遅れに繋がります(--)。もし失敗したら、あとは大人しく書架に着陸するのを待つのです。それが待ちきれないのであれば、買えばよいのです<早く読むだけの価値があるということなら。という感じです。はっきり言って、慣れます(^^;。というか、世間の評判と関係無しに読みたいから読むのであって、ならいつ読んでも、半年待っても同じでしょうと。今読まないと価値のない本であれば、それだけの価値しかないとも言えますしね(^-^)。
#新旧刊に拘わらずよめるのが図書館の利点の一つですから、新刊書店で買えるような本をわざわざ図書館には求めないようにしております(--)b。

 図書館を日常的に使ってみれば分かるのですが、「どうしても今ほしい本」「どうしても手元においておきたい本」というのは、めったにありません(^^;。1度読めばあれば読み返すかもしれないがなくても特に困らない本、というのが殆どという気がします。読みたくなれば、また図書館に行けばいいし、第一読まない本を手元に置いておくことって、無駄ですやん(i-i)。なら、古本屋さんに売り払ったほうが自分のため世のため人のため森林資源のためという気がむちゃくちゃするです。
#特に一時的に売れるベストセラーの増刷……。出版・書店にとっては良いことなのかもしれませんが、やがて古本屋(<元・バイト)にあふれかえると思うとぞっとします。

 また、これは個人的な考えなんですが、自分が読まない本を手許に置いておくのは罪だと思うんですよ。どこかで誰かがその本を求めているかもしれないのに、それを読まずに囲っておくのは良くない。開かれない本は死んでいるも同じですから、私は積極的に手放すことにしています。必要としてくれている人の手許に届く可能性が、ちょびっとでも増すのですから(少なくとも本にとってはそっちの方が幸せ)。
#古本屋が引き取ってくれないようであれば、捨てます。無駄な本を買ってしまった自分を恥じつつ……(;_;)。
#森林資源にもいい!って、私は自分がエコロジストだとは死んでも言えませんが(^^;。

 無駄(というと語弊がありますが)な本買いをしない代わりに、本当にほしい本なら多少値が張っても入手しようとか、すごく良い本なら今のうちに4冊くらい買っておこうとかいう余裕もできます。ということで、代価を払いたい本には存分に払えるわけですね。
#まあ、本を買うほどの金がないというのも第一義。

 読み返したくなることは、よくあります(^^;。したら、図書館に行きます<マジで。これはまさに私の本だ、常に手許に置いておかないと困る本だけ買います。多少面白い程度なら、記憶で反芻することで充分です(^-^)。5年後くらいに1、2度読み返すだろうなと思うくらいの本は、図書館にお任せ。5年後くらいに必ず読みたくなって、その場にないと切実に困るだろうなと思える本なら買っておいておきます。

 私の買い方本を手許に置きたいときにだけ金を払おうということになるのですが、一読することに金を払わなくてもいいのか、と言われると痛い(^^;。まあ、私の図書館の使い方も、公共貸本屋となんら変りがないと思うんですが、とりあえず読み返さないような本を手許に置いておくのは、どうもものすごく嫌みたいですわ>私。本当に開かないかもしれないと思いつつ買うのは、ゴミになるだけだし。本も金も勿体無いです。が、私にとって無駄でないと思う本についてはいくらでも相応のお金を払います。その無駄ラインをどこに持っていくかというのは人それぞれでしょうが。

 無駄ラインがあがると当然書店・出版社側の経営は苦しくなる……かもしれないというのもそのとおりだと思います。が、余剰に購買させることによって利潤をあげていかなければつぶれてしまうというのは、なんだかなーという気もなきにしもあらず。いやいや商売なので、それで書店・出版者的にはOKです(^-^)。需要を増やして、沢山供給する(^^;というのは、非常に正しいのではないかなと。ただ、やっぱり私は自分の分以上の買い物はできないっす。第一超遅読なので、本を買っても読めない可能性が高いし。一日に26時間ビデオを録画するようなことはしたくないです、はい(;_;)。

 理想を言えば、求める人に求めるだけの本を迅速に確実に供給することができて、それで書店・出版者が食っていければいい。または常に「手許に置いておきたいぜ!」という商品を出してくれれば、私は常に金を払わざるをえなくなるでしょう(^^;。購買力が減っているにもかかわらず、出版点数が過剰ということがネックだと思う今日このごろです(でもこのペースで回転し続けなければ死ぬしな、きっと)。

 あとは、大型書店が乱立している東京近辺の方なら、「図書館なんて」と思われるかもしれませんが、日本の大部分の地域には大型書店なんてないわけで(書店すらないところもざらだし)、そうなってくると小型書店よりもやっぱり図書館の方が便利でしょう。税金払っているんですから、使いましょう(^^)。

 図書館がベストセラーになった本を数十冊も買っているという記事が、朝日新聞5/27朝刊にありました。私もこれは最近の傾向だとおもうのですが、はっきりとは知りません<勉強不足。ただ、かつての高尚で使いにくく暗く黴臭い図書館のイメージから脱却しようという動きはここ数年で盛んでして、その影響の一つではないかなあと。

 私的には、ベストセラーを何十冊も買うくらいなら、リクエスト本の採用をもっと増やせよ!と言いたいです。つくばに住んでいた頃は、年度末(笑)以外はリクエストを断られたことはなかったのですが、会社のある区、現在の自宅のある区共に、リクエストをばんばん断られて、他館から貸借扱いになってしまい、無茶苦茶驚きました。「今読むつもりはないけど、図書館に置いておいてくれれば、暇なときに見るかも」というようなものも頼んだりするので(記憶に新しいものでは、『明治大阪物売図彙』とか)、そういうのを貸借されても(;_;)。あと、驚いた貸借本といえば、風野潮『ビート・キッズ』講談社です。講談社の児童文学新人賞をとって売り出し中の最近出た980円の本を断られようとは!?私的にはぬるくて駄目でしたが、子供が読んだら十分楽しいと思う本だし……。

 まあ、数十冊買っても、利用が集中すれば半年待ちとかになってしまうので、文句言われてたい変なんでしょうけど、文句言うなら買えよ(;_;)!

 そういうものを求めに図書館に来るな!という感じですな。私は別にどれほど待とうと、気にならない人間なので、いつも適当なもの(話題作とか気にしないし)を読みに図書館に行きます。

ヤングアダルトって……

 で、今日の図書館。実に久々に行った。現在の読書状況が壊滅的なので、とても本を借りる気にはなれず、返却のみ。んで、雑誌を読んでいたのだが、「翻訳者が神だった時代」を通して読もうと『本の雑誌』を読んでいると、北上次郎が不思議なことを書いていた。

 少年小説の特集で、大人を意識した装丁をしながら児童文学としか認知されていないという森絵都『カラフル』と、一般小説として出版されながら児童文学の賞も受けた重松清『エイジ』を比較した文章だったんだが、その中で、ヤングアダルトについて

1970年前後(中略)「大人が読む児童文学」に対してつけられた名称(『本の雑誌』1999.6,p16)
と書いていた。そそそそそっそそそ、そうなのか??? 初めてきいた。

 折しも、ニムさんちの掲示板で、ヤングアダルト評論家として名高い(のか?)赤木かん子の講演会についての話題があがっていたこともあり、気になって書架をうろついてみた。こういうことができるのも図書館のメリットだよね。

 で、「YA」の発祥地だと思われるアメリカの図書館の資料をみようと思ったが、あまりなかった(;_;)。これはカナダの児童図書館員についての本だが、『本・子ども・図書館―リリアン・スミスが求めた世界』アデル・フェイジックほか編/全国学校図書館協議会(1993)から引用。

 子ども向けのサービスを行なっている図書館は、子どもたちのさまざまな要求が明らかになり、それに向けたサービスが行なわれるにつれて、ますます複雑な専門機関としての責任を担うようになってきている。(中略)さらに、幼い子供に対する社会的関心が高まるにつれて、公共図書館では乳幼児に対するサービスにも次第に大きな重点がおかれるようになってきた。そのため、子どもたちは、まだ早いうちに子ども向けサービスの範囲外に押し出されてしまう。青少年(ヤングアダルト、とルビ有り)向けのサービスを行なっている図書館であれば、適切なコレクションと催しものを用意すれば、彼らの要求にうまく合わせられるだろう。しかし残念ながら、公共図書館によってヤングアダルト向けのサービスは一様ではない。
(図書館サービスの拡大 子どもたちに対する特色のあるサービス,p115)

 日本ではどうかというと、『図書館ハンドブック5版』日本図書館協(1990)

 青少年図書は、その定義すら、日本では明確にされていない。したがってその選択はかなり困難である。しかし、青少年コーナーを設置している図書館を見ると、対象を中学生のみ、中・高校生、それ以上の青年層も含むのどれにするかによって図書の選択は当然変わるが、それでも大きく二つにタイプ分けができる。一つは青少年に読ませたい図書、もう一つは青少年の読みたい図書を基準に選択を行なうものである。
(第III章図書館資料/E図書の評価/(3)青少年図書の選択,p178)

 ということで、日加共に定義は曖昧ながら、青少年のための選書、ということらしいということがわかった。

 で、定番本(??)『YA読書案内』赤木かん子ほか編/晶文社(1993)

  この本はヤングアダルトつまり十代の読者のために作りました。(中略)ヤングアダルト向けの本の紹介は本来の読者であるヤングアダルト自身に(後略)
(まえがき 編集一同)

 ということで、まあ、その通りなんだろうな。

他にもジュニア文庫(コバルト、X、スニーカー、ファンタジア、電撃等)レーベルの総称としてヤングアダルトということもあるけれども、それも図書館的定義に似たり寄ったりなんだろう。

(Y・A) Young Adult Literature の略。
若者が直面するさまざまな問題をテーマに描かれたヴィヴィッドな現代アメリカ青春文学の総称
(『ふたり物語』アーシュラ・K・ル・グイン 集英社コバルト文庫Y.A.シリーズ(1983) カバー見返し)

 うーん、でも北上次郎のいうことは、なんか違う気がする……。「大人が読む児童文学」って何だ!? 大人のためにかかれたんだったら、それは児童文学ではないと思うし、児童文学というジャンルの中で出版されたからといって、大人が読んではいけないということはないだろう。なんじゃら?

 あー、ちなみに赤木かん子的ヤングアダルトの定義については、もっと疑問を感じるです。赤木かん子「アダルトチルドレンと<児童文学>」

 子どもが小さければ小さいほど、自分の環境以外のことはわからない。ただし自分が置かれている環境に関しては、範囲は小さいけれど、ものすごく深くわかっている。だからその幅の間と呼応するものは理解する。大きくなると幅は広くなるけれど、そのかわり狭くもなるのよ。だから、この幅にはまるようなテーマだったら、かなり難しい本を書いても大丈夫。でも、そうでない所で書いてしまうと、そうでない子どもには理解できない。レイプなんかはそうで、された子どもにはわかるだろうけれど、そうでない子どもにはさっぱり理解できない。私は、そういう本を「ヤングアダルト文学」というふうにわけています。ヤングアダルトは、児童文学から出てきてそのハウツウを引き継いだ、大人たちが解決しなければならない問題を、抱え込まざるを得なくなった子どもたちの物語なんです。
(『ユリイカ』'97.9月号,p189)

 去年も書いたけれども、こりゃ変だと思う。どうも赤木かん子は「ヤングアダルト=アダルトチルドレンについて書かれた(あるいは、それを癒す)文学」としたいらしい。でも、どこがどうまかりまちがえば、ヤングアダルトがアダルトチルドレンに繋がるんだか……。共通点は「アダルト(大人?)」という単語くらいしかないっすよ(;_;)。非常に限定・傾斜していると思うので、私としては「これを当たり前のように言わないで(;_;)」と言いたいです。ちゃう?

=>つづく

去年の俺様

May.30,1999 (Sun)

単純に嬉しいワタクシ

ReadMe!新作レビュー100本(1999.5.7〜1999.5.29)で、「おすすめ」マークをもらってしまった。わーい('▽')ノ。

友よ〜、友よとぉもよぉ

 北海道の牧場で働いていた高校時代の友人が、オーストラリアの競馬場に転職するにあたり、一旦大阪へ帰省する途中に、東京の姉宅に逗留するという。その姉宅というのが聞いてみると無茶苦茶近所だったので、一緒に遊ぶことになったのだ。

 朝10時に駅に迎えに行って、お昼まで部屋でだべる。そう言えば大学卒業以来、会うのは初めてかもしれないんだが、長い間会っていないという気はしない。お茶しながらうちのページを見つつ、『チグリスとユーフラテス』は全然いかんでしょうという話になる。「登場人物がみんな同じ」とか、「男性キャラが薄っぺらく、葛藤が見えない」とか、「ストーリーに説得力がない」とか、「あそこまで行き着くところまで行っているのに、一夫一婦制は変」とか、言うことは皆同じ。誉めているページが多いんだよと、Webを巡回してみせると、首をかしげていた。山周候補ってのも驚いていたが、小説新潮7月号は彼女がオーストラリアに行ってしまってからの発売なのだった。

 どこに行きたいのかときくと、古本屋に行きたいということなので、自由が丘へ。お散歩コースとしてももってこいだしね(^^;。お昼を食べた後、古書店地図を頼りにふらつく。途中猫グッズの店なども見ながら、都立大学、学芸大まで足を伸ばしてしまった。てくてくエンジェルによると、約6キロ。学芸大近くのケーキ屋でケーキを食べて、評判の焼き鳥屋に行くべく帰宅。結局彼女はうちの部屋の近所の古本屋で漫画を2冊購入しただけ。私も転売用のビショップ『樹海物語』を買ったのみ。類友。

 部屋で姫川明『ルゥ・ガル』3巻を読ませて、「なんで4巻出さんのや!! 角川ぁああぁ!!」と共に拳を突き上げた後、焼き鳥屋は日曜定休ということで、タイ料理屋でディナー。 近所で他ではなかなか食べられない旨いものってことで、人が来るたびに行っているような気がするが、メニューの組み合わせが自由なフリーセットで飽きない。どれもおいしいもんな。うむ。

 そして10時半にお別れ。くれぐれも気を付けて。次に会えるのはいつのことだろう。

赤木かん子流ヤングアダルト

 きのうの続き。

 時間がないので、以前書いたメールからちょっと追加。

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Thu, 2 Apr 98

 一時、図書館における「ヤングアダルト」の分類に興味を持っていたときがありまして。真面目に調べていたわけではないのですが、やたらと赤木かん子にぶつかるんですよね。で、手にとって読んで見るのですが、赤木かん子自身は「ヤングアダルト」の定義を全く書いていないんですよね(^^;。まあ、学術書じゃないんですから、書かないでもいいんですけど、どうやら、そもそも、赤木かん子は、自己満足的に大人が子どもに道徳的な「良書」ばかりを薦める児童書紹介書に反発し、児童書と大人の本との狭間で迷う子供向けに「ヤングアダルト」として、特に「良書」でないものも紹介しはじめた・・・ということだった「らしい」のです。・・・、が。今は・・・。

 最近やっと、「ヤングアダルト」の定義らしき物を書いたものにぶつかったのですが・・・。引用します。

赤木かん子「アダルトチルドレンと<児童文学>」

 子どもが小さければ小さいほど、自分の環境以外のことはわからない。ただし自分が置かれている環境に関しては、範囲は小さいけれど、ものすごく深くわかっている。だからその幅の間と呼応するものは理解する。大きくなると幅は広くなるけれど、そのかわり狭くもなるのよ。だから、この幅にはまるようなテーマだったら、かなり難しい本を書いても大丈夫。でも、そうでない所で書いてしまうと、そうでない子どもには理解できない。レイプなんかはそうで、された子どもにはわかるだろうけれど、そうでない子どもにはさっぱり理解できない。私は、そういう本を「ヤングアダルト文学」というふうにわけています。ヤングアダルトは、児童文学から出てきてそのハウツウを引き継いだ、大人たちが解決しなければならない問題を、抱え込まざるを得なくなった子どもたちの物語なんです。
(『ユリイカ』'97.9月号,p189)

 いっくら何でも、この「ヤングアダルト文学」の定義はおかしいだろう、と(--;。ヤングアダルトと言う語句とアダルトチルドレンという語句は、単語が一つ重なるだけで、本来全く関係ありません。当たり前ですが。こんな歪んだ定義を、さも「これがヤングアダルトである」というように、自信満々に書かないでくれよ〜と、泣きそうになりました(;_;)。本当に、最近の赤木かん子の影響力は凄いもんですから、真面目に怖いです。これは「赤木かん子だけの『ヤングアダルト』」だと、どこかに書いておいてもらわないと、「ヤングアダルト」=「アダルトチルドレン物」なんていう変な定義がまかり通ってしまういそうだ・・・。本当にこれは「赤木かん子だけの『ヤングアダルト』」でしかありません。

 でもまあ、ともかく。読書案内としては量的にすごいので、これをナビゲーターとして児童書畑を歩くのはいいと思います(^-^)。ただ、ちょっと変だということは肝に銘じておいてください。お願いします(;_;)。
# まあ、普通に読むぶんには関係無いことなんですよね、歪み。
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去年の俺様

May.31,1999 (Mon)

赤木かん子のためのヤングアダルト

 まず、私の思っているヤングアダルトは、児童書以上一般書未満という広くて曖昧で包括的な意味合いを持つものです。

 読売新聞5/29夕6面に、ちょうど「YA世代に普及させたい(BOOK)」というおあつらえ向きの小記事があったので、引用。

 ヤングアダルト(YA)図書というジャンルがある。対象は中高生を中心としたティーンエイジャー。活字離れが目立つ世代だけに、出版社も読者層を広げるのに頭を悩ませてきたが、今年は業界あげての取り組みが目立つ。

 普及活動の中心を担っているのは、25の出版社で作る「YA出版会」。児童書と一般文芸書のはざまで、書店にほとんど専用の棚がない状況を改善しようと、79年に創設。今年は、20周年を迎えたのを機に、全国の二百書店で大規模なフェアをしたり、公共図書館でのYAコーナーの設置状況を調査する。

 活字離れはいつ始まるのか。幼児や小学生への読み聞かせの様子を見ていると、「子どもは本が好き」というのもうなずけるから、やはり、YA世代からなのか。彼らに、活字との出会いの場を提供する取り組みに期待したい。

 高橋さんにYoung Adult Library Services Association(YALSA)を教えていただきました。英語は超苦手なので、MT Ave お試し版 英日翻訳サービスを利用しました(^^;。いや、ある程度知っていたので、大丈夫っすけど。

No.25 (1999/05/30 16:16) title:Young Adult byジョニイたかはしさん

 アメリカではかなり社会的な側面が重視されているというか、広くLibrary Servicesを人々に提供することが社会にとって非常に重要なことであることを前提とした上で、それを若い世代にも与えることが必要である、という認識に基づいているようですね。

 というわけで、日本のいわゆるライトノベル・ヤングアダルト路線とはまあぁったく違う土壌があるような気もしないではなく。

 アメリカが日本よりも図書館に対しる社会的要求がしっかりしている(図書館が社会に必要とされている)というのは確かですが、同じく図書館におけるヤングアダルトとして考えた場合、選書の概念的には日本もアメリカとさほど変わらないと思います。今は「ヤングアダルト文学」の話が中心になっていますが、勿論図書館のヤングアダルトの話をすれば、NDC百分類0〜9まで、一通り揃っているはずです。というわけで、ライトノベル系の話になると違うかもです。尤も、ライトノベルには確かに社会的問題意識などは含まれていないものが多いけれども、純粋に児童書以上一般未満というくくりでは、正しいヤングアダルトだというのが、私の考えです。が、

その社会的意味を重視するという立場からは赤木かん子の「アダルトチルドレン読み」も、単純には否定しきれないと思ったです。

 とくると、話は違うです。あくまでもアメリカにしろ、日本にしろ、青少年が知識を欲したときに、抵抗感なく与えられるシステムを目指すという色合いが有りますが、特定の方向性に傾斜しているということはありえないわけで。それが特定の精神症?というのかなあ、なら、なおさら。
#とりあえず、図書館側が、専門家でもないくせにカウンセリングまがいのことをするとしたら、それは本気で戦慄しますわ(^^;。

 赤木かん子の場合は、とりあえず図書館を引きずりながら、YAとACを絡めて言うのがちょっと恐ろしい。なお且つ、YAについても、ACについても、定義が今一つ明確でない(ACの定義というのも、私が知っているものとは違う気が)。でも、あの断定口調で「YAはACなのよ!」と言われてしまうと、ちょっと待てと言いたくなってしまうのだった。本来、図書館業界のYAも、出版業界のYAも、もっと大きく広いものなのに、赤木かん子は曖昧なまま、ただ言い切ることでヤングアダルトというジャンルを偏狭なものにしてしまっている。無理矢理つなげるのは勝手だけれども、あたかもそれだけのものであるかのように言うのはやめてほしい。繋げたいのであれば、きちんと定義して、限定した意味でつかってほしいのだ。

 それから、YA関係の読者に大人女性が多くいるというのも、あまり本来は関係ないのでは。児童以上一般未満で選書しているヤングアダルトが、結果的に大人の女性を引き付けたとしても、だから大人女性にまでヤングアダルトの読者対象を増やしましょう、ということになると話が変ってくる―というか、「ヤングアダルト」という定義そのものが意味を失ってしまう。なら、別の名称にした方がいいと思う。アダルトチルドレン側に滑りたいのであれば、アダルトチルドレン文学とでも何でも言い換えればいいのであって、なにも無理矢理ヤングアダルトにすることはないのでは。その危険性を元司書であった赤木かん子が判っていないはずはないと思うのだが。

去年の俺様
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