ざぼんの皮 2000年 09月


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Sep.10,2000 (Sun)

ダン・シモンズ『エンディミオンの覚醒』

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 土曜深夜2時間寝不足後、さらに夕方ドトールで2時間粘って読了。

 【柴田昌弘。(<=ネタバレ……ではないのですが、未読の方は絶対に見ないように。非常にしょうもないことしか書いていません。見ても不利益以外何もない)と思ってしまったが最後、【絵的イメージが全部柴田昌弘】にっ!! いやあああああ!! ちが〜う〜〜!

 『ハイペリオン』二部作に比べれば、ダイナミックさに欠ける気もしないではないが(やっぱり戯画化という印象)、楽しめた。結構幸せ。

 ふぅ。もうちょっと読み返さねば。

=>感想

映画『ワンダフル・ライフ』

 9/2

 今更ですが、見たかったので、ビデオで見てみた。

 うーん。なんか、微妙にちぐはぐな感じがして、まあ、そこがいいっちゃいいんですが。……オチさえなければ、満足だったんだけど、多分。

 死者が最初に訪れる場所。そこでは思い出の映画が作られている。人はそこについてから3日で、人生のうちで最も大切な思い出を選択する。その思い出は、職員によって映像化され、7日目に上映される。そして、死者はその思い出だけを胸に、「あちら」へ赴くのだ。

 思い出を語る22名の死者のうち、10名は素人だという。その人自身が、最も大切にしている思い出を、不自然に据え置かれたカメラの前で、とつとつと語る姿は、「ドラマ」の虚と、「ドキュメンタリー」の実がないまぜになって、非常に不思議な雰囲気を醸し出している。このパートは実にいい。んだが。

 逆に本当に演技している部分が、妙に浮いてしまっているんだよなあ。職員たちが「いかにも演技」なのは、一緒に見ていたBはわざとじゃないの?と言っていたが、どうなんだろう。まあ、それはどっちでもいいんだけれども、この職員たちに何ができて何ができないのか、というレベルの設定が、作り込まれていないような気がして、それがあの空間をさらに曖昧なものにしてしまっているんじゃないのか。そういう曖昧模糊としているのも、わざとなのかもしれないと思わせるだけに、なんかこう煮え切らないものが溜まってしまうんだよなあ。

 以下、ネタバレ=>あのフィルムの、ストイックな残酷さにはぐっと来ました。永遠の片思いというのは、痛いなあ。でも、見ちゃいかんだろう、望月。ずるいよ、ありゃ納得いかんぞ。絶対に。

 いいのになあ。ドラマ部分が、それまでのいいところを全部なぎ倒す破壊力があって、何か後味が悪い。ちぐはぐ。

映画『ワンダー・ボーイズ』

 9/9

 トリップは大学で小説を教える教授だ。もちろん小説家でもあるが、ここ7年間、一作も著していない。ある日の朝、彼の妻が家を出ていってしまった。毎度のことだが、今回は帰ってこないような気がする。さらに悪いことに、その日彼は編集者と会わなければならなかった。なかなかヒット作を出せない編集者は、彼の原稿を涎が出るほど欲しがっている。会いたくない相手だ。しかも、彼は編集者と共に学部長宅でのパーティに行かなくてはならなかった。その学部長の妻は、勤め先の学長であり、また彼の不倫相手でもある。彼女は彼に妊娠したことを告げる。途方に暮れてパーティ会場を抜け出した彼は、庭で教え子に出会う。根暗で変人の教え子を励まそうとするが、教え子は誤って学部長の愛犬を撃ち殺してしまった。色々大変だ。

 ……という話。面白そうだ、と思ったから見に行った。んだが。

 上映中に立ち去ろうと思ったくらいつまらなかった。そうしなかったのは、金を払ったからであり、見たいからと友人を誘ったのが私だったからだ。友人は楽しんだらしいが、私はちっとも楽しめなかった。非常に見せ方が下手で、観客は何も感じられない。

 この映画のキーとなるキャラクターであるはずの教え子についても、単に面倒なだけの男で、鬱陶しいからさっさと放り出せという感じしか抱けなかった。彼のせいで引き起こされる困ったことが、倍倍に膨れ上がるなら、それはそれでおもしろいコメディになりそうなのに、せいぜいプラスプラスの効果しか生み出さない。しかも、彼が全く魅力的に映らない。小説はそれなりにスゴイらしいということが「語られる」だけなのだが、観客はそれで満足するものなのだろうか? 見知らぬ人物の素性当てゲームで、彼は朦朧としながら粋な答えを告げているらしいというのが、周囲の反応から想像がつくのだが、そのどこいらへんが粋なのかが全然わからないのは、私の理解不足なのかもしれない。彼の虚言は本当は面白い物なのかもしれない。でも、私にはそうは思えず、どうしてトリップが彼の面倒をあそこまで――身の危険を犯してまで見るのか、全く理解できなかった。

 例えば、学部長の愛犬を教え子が撃ち殺したということ。その犬は、学部長の――学長の夫の愛犬だということが台詞では説明されるのだが、学部長にっとて愛犬がどれほど大切なものなのかという描写が全くないために、それを殺してしまったことに対して「ああ面倒なことになった」とは思えても、「大変なことをしてしまった」とは思えない。学長も全然可愛がっていた風ではないしね。

 例えば、モンローのジャケット。私はてっきり天文学的な値段のする、価値のあるものかと思ったんですが、そうじゃないの? 学部長って「それくらい」お金持ちだと思っていたんだけど。

 それに関連して、学長と学部長の夫婦関係が全く画面で出てこないために、物語全体の緊張感が失われてしまっている。描写といえば、パーティの際に、ちらりと言葉を交わし、ほっぺたにチュっとしたくらいか。仲はいいのか? だが、お腹の中の子供を、妻がトリップとの子供だと断言し、トリップも何も疑問を発しなかったことから、夫婦関係は冷え切っていたのかとも推測できる。

 また、妻が学長=上司であり、夫が学部長=部下であるという図式は、それだけで十分に想像力をかきたてられるのに、その立場が二人にとってどういう影響を与えているのかも全く描写されないので、夫婦の間の空気が読めない。だいたいなぜ妻が学長なのかも不明。彼女が優れた学者であるようには見えなかったし、やはり親族がオーナーをしている大学なのだろうか?(あちらの大学の仕組みもよくわからない) それとも、妻が学長で、夫が学部長ということは、語るほどもないありふれたことなのだろうか、あちらでは。立場通りに、夫は妻の尻にしかれていたのだろうか。夫は妻を愛していたのだろうか。それとも、学長一族に絡んだ、政略結婚か何かの結果生まれた夫婦であるがゆえに、愛情がないとか? 彼等の大学での関係はどのようなものだったんだろうか。学部長は1冊も本を著したことがないようだが、彼が学部長をやっているのは、学長の夫だからなのだろうか。それとも、彼には何らかの語られない実力があるのだろうか。そういう一切がわからないため、学長の混乱ぶりにも「何こいつ」としか思えない。

 同様に、トリップとその妻の関係も不明なので、出ていった妻が帰ってこないことに対する喪失感も全くなし。字面で語られるだけ。妻の父によって、彼女が寂しい思いをしていたと言うが、出ていったのは夫と学長との不倫を知っての行動なんだろうか? 知っていながら、何度も家出しては帰ってきて許していたのか、それとも、それまで一抹の寂しさを感じて家出を繰り返していたのだが、今回初めて不倫が発覚して彼女がまた出て行き、トリップは帰ってこないと感じたのか。トリップはそもそも彼女を愛していたのか?<形だけの結婚っぽい? 本当にトリップは、妻に対する誠実さすら持ち合わせていないような気がするので、トリップに対しても「勝手にしやがれ」としか思えない。とにかく描写不足。

 さらに、そのため、トリップが学部長に、自分が学長と不倫していることを告げるシーンにも、スリルも、緊張感も、達成感も何もない。「あー、ぐずぐずしやがって、なんだこの男」としか思えない。ラストも、学長がその職を擲ってトリップとの結婚に踏み切ったのかが不明。何も書かれていない。全てを失ったとトリップのモノローグが入るが、その中でも触れられていない。

 などなど。ひたすらイライラする映画だった。

 「映画!=日誌」の評"増殖し続けるテクスト"が面白かった。図式的にはなるほど、と理解出来るのだが、ねえ……。映画『L.A.コンフィデンシャル』のとんでもない"わかりやすさ"に感動して、見に行ってみたんだけど、うーん。

去年の俺様
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