ざぼんの皮 1999年 05月


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May.4,1999 (Tue)

帰還

 なんだかんだ言っておきながら、結局まるまる大阪で過ごしましたよ(;_;)>GW。ううう、反則じゃよ〜。気分は口の中が切れてオレンジが食べられない朽木一(:=>『夏のこどもたち』)。ま、手後れでなくて良かったということで(--;。嗚呼。

 実家にいて何をしていたのかというと、ただひたすら猫とゴロゴロ。まー、この猫の良く食うことといったら。13歳の老婆猫(70歳くらいかな?)、生まれて2年間ほどうちで飼っていたのだが、弟の喘息が悪くなってその後里子に出され、猫エイズに犯され里親に見放されて(全く酷いところに里子にだしたものだ(;_;))うちに這って帰ってきたのが去年の6月。口内炎が酷く物は食べられず、身繕いができないため毛はボロボロ、顔が洗えないので目も開かずと、衰弱しながらうちの花壇で倒れていたのを弟が救出。点滴と注射でもちなおしたものの、以前のような覇気もなく、今日や明日やと言われつつ10ヶ月。あああああ、よく食う。そして寝る。それしかしないもんなあ(;_;)。調子が悪いとキャットフードは食べなくなるので、わざわざかつお節と煮干しを炊いたのとかを作ってやると食う。刺し身(!)はマグロが好物らしく、それも冷凍ものは駄目だというからとんだ贅沢猫だ。貝柱の干物も食いたがるのだが塩分が多いので、人間がくちゅくちゅ噛んだ奴を食べさせたりと至れり尽くせり。しかも最近惚けてきたのか、便所の砂まで食うし〜。以前怪我をしたところを中心に毛繕いをしつつ毛を抜くため、体中に禿があり、近所では「水玉さん」と呼ばれているのはショックであった。ナイスネーミングだと思うけどさ。とはいえ、日に日に痩せていくのは確か。夏までもつか? うー。

 あとは新しく独り暮らしをはじめた友達んちに泊まりに行ったり('▽')。なかなかムフフだった<何が。やっぱりおしゃべりができるのが嬉しいねえ(;_;)。すごくゲラゲラ笑いっぱなしだったような記憶はあるが、何がそんなにおかしかったのか覚えていない……。チタンの鍋は傑作だったけれども。翌日は服部緑地〜曽根〜岡町を散歩。阪急はどこもかしこも同じ様なホームになりつつあるので、居眠りして起きたときには心臓に悪いと思うが……。

 あ、池田のラーメン日本も食べにいったぞ。豚骨ラーメンがウリのラーメン屋で、かなり有名らしい。池田で176号線(いなろく)沿いで有名なラーメン屋というと、だいたい知っているというから驚きだ。夜中の11時前に行ったというのに少し並ばされたし(;_;)。ラーメン自体は実は味噌ラーメン(笑)だった。何が豚骨ラーメンなのかというと、具がチャーシューではなくて、豚骨なのだ。見た目は大きな角煮なのだが、かじると中は白いゼラチン質の軟骨が……。味が染みていて割とおいしかったけれども、無茶苦茶旨いというほどではないと思う。やっぱりラーメンはスープだ。

 そして両親と京都駅見物。とりあえず京都駅を見ることが目的なので、阪急ではなくてJRで行ったのだが、阪急・池田〜河原町(京都)が450円なのに、JR・川西池田〜京都が1110円なのは何故? おそるべしJR。線路周辺の風景も、阪急は住宅地なのにJRはなぜか畑と荒れ地なのに感嘆。おそるべし小林一三。しかし一三さん本拠地たる池田は今や寂れに寂びれ、お隣猪名川を挟んだ兵庫県川西市にエナジードレインされまくりな現状も実感。ダイハツ衰退もあいまって、故郷は不況じゃ。

 で、京都駅。私はほとんど事前情報無しだったので、前日友達に「でっかい階段が〜」とか、「ジョイポリスいってき、ジョイポリス」とか言われてもなんのこっちゃわからんかったのだが、まさに「でっかい階段」(--;。4、5階分なのかなあ? 高さはそこら辺の神社の階段とどっちが高いだろうというくらいなのだが、広さが(^^;。そそり立つ階段の迫力は確かに驚嘆物。勿論エスカレーターで上りましたよ、根性ないし。しかしてっぺんも、京都で一番高い建物(は、京都タワーか)にしては、それほど見晴らしもよくなく。それよりも何より、そこから下りていくデパートが伊勢丹だというのがびっくり。なぜ伊勢丹? 関西なのに? とにかくデパートの中もすごい人だったので、ジョイポリスもハプスブルク家の秘宝展も見送り。むー。結局四条まで戻って阪急の美濃吉で食事して、刃物屋で爪切りを買って帰宅。

 ああ、しかし……、東京でのイベントも行きたかったよう(;_;)。うううううううううう。

期間中の読了本

 『「少年A」この子を生んで……』<何でやねん(--;。

去年の俺様

May.5,1999 (Wed)

ごきげんよう……。

 5月5日である。子供の日である。黄金週間最終日である。

 前日の大雨が嘘のような晴天のもと、洗濯と買い物を済まして私が向かったのは大岡山であった。もちろんMさんを拿捕して、ブツを回収するためである。つーか、すんませんでした、花の休みを(;_;)。

 ブツちゅうのは、要するに神林長平の新刊、実は5月10日発売らしいので、まだ店頭には並んでいないのか、『グッドラック――戦闘妖精・雪風』である。しかもサインしてもらって、一言もつけてもらいましたよ、なんて言われ、「あ、明日、ダメっすか……?」と、かすれる声で吃りながらメールしてしまった私を誰が責めることが出来ようか。いや、ほんまにすまんこってす、へえ。これからは足を向けて眠れません。お土産の大安の千枚漬けは御家族でどうぞ。

 いただいた本を早速出して、どきどきしながら表紙を捲ると、うきょー、なんと、サインをしている神林長平生写真がはさまっている!? Tさんにいただいたそうで、ああ、い たれりつくせり。確かにサインもあり、感涙にむせぶ。しかも一言、「お元気ですか?」とおまけまでついている……。わざわざお願いしてもらったそうで、ああ、もうお礼の言葉もないっすよ。でも、「お元気ですか?」ってことは、モロ、サインをいただいたときにその場に居合わせていないってことで、なんだか、ああ、勿体無いことしたなあ、やっぱり……。いや、実家に帰って良かったし、帰るべきだったんですがね……。ああ、それにしても運が悪すぎるよ、色々と。当日の様子も、もう、すんげー楽しげで、聞くだに涙が。い、いきたかったよ〜。

 はあ、これから読みます。くっそー。

去年の俺様

May.6,1999 (Thu)

アイガー北壁を、登る。(by 渡辺いっけい)

 帰り、京浜東北線の駅に着いた途端、響き渡る構内アナウンス。なんでも赤羽駅で人身事故が発生したとかで、上り電車が不通だと。「品川、東京方面へのお客様は、下り電車に乗車し、東海道線上り電車に乗換えてください」の声に、構内爆笑。無茶苦茶面倒な上に、すんごく時間がかかるよ、それ。なのに、なんだか妙に和やかであったのは、休み明けだったからだろうか? 「現在レスキュー隊が救助に向かっているところです。1時間ほどかかるかもしれません」という声にも笑い声。まあ、朝だと殺気立っちゃうんだろうけどね、帰りだし。

 とは言え、私も普段は上り電車を利用しているのだ。どうやって帰宅しよう? んー、電車が使えなかったらバスを使うしかなかろうと、特に何も考えず、そのまま改札を出てバス停に向かう。初めて使うので、どれがどこに行くのやら。見知った駅に向かうものが二つほどあったので、そのうちの一つに並ぶ。電車から流れた乗客もあってか、結構な列。後ろのおばあさんにバスが終点までかかる時間を聞くと、結構かかるよ、とのこと。ほどなくしてバスはやってきたが、よく考えてみると、下り電車でも帰れるのだ。進みだした列を抜け出して、駅に戻る。

 改札を通り際、駅員さんに、下り電車は正常ですよね? と尋ねると、「んー、あともう1本しか来ないかもしれない」とか。泡くって慌てて階段を降りたら、ホームはそれほど混んでおらず、相変わらず和やかな雰囲気。しかも、上り電車が来るじゃん。「ただいま警察による現場検証を行なっております。次の上り電車は、進めるところまで進みますが」で、また爆笑。浮かれているんだろうか。

 結局ほとんど同時に下り電車もやってきたので、大回りになるけれども確実に帰れる下りを選択。無事帰宅。

 でも、よくよく考えてみたら、乗り継ぎの運賃が無茶苦茶かかったぞ(;_;)。うーん、バスの方が絶対に安かったはず。さらに言えば、最初の放送の通り、一旦引き返して東海道線を捕まえて品川に出るルートが一番安くて、迷いに迷って選んだ(単に流されただけかも)このルートは、その2倍以上かかってしまったわけだ。時間も、素直にバスに乗った方が早かったと思うし。

 「何を言っているんだ、シュペングラー!? とうとう本当に狂っちまったのか?」 

 ルート選びは慎重にせねば(--)。

去年の俺様

May.8,1999 (Sat)

上田義彦『UEDA Yoshihiko』

 珍しく本で散財してしまった(;_;)。昨夜、安田ママさんちの掲示板で「光琳社がつぶれた」と知り、慌てて買い渋っていた写真集を買いに行ったのだ。高額写真集ばかりであまり縁はなかったが、『日本の文様』シリーズなんかは図書館で結構利用させてもらったので、かなり意外というか、出版不況という現実をまざまざと見せ付けられたような……<って、私、呑気ですか?(^^;

 買ったのは『UEDA Yoshihiko』、上田義彦の写真集である。3,200円。はっきり言って写真には興味がないし、良さもよくわからんのだが、寮美千子『ノスタルギガンテス』の表紙に使われている写真が収録されているので欲しかったのだ。この表紙がどれほど印象的なものなのかは児童文学書評の時評u-kiさんの読書日記でも触れられているので参照してください。とにかくものすごくいい表紙なのだ。中身も無茶苦茶スゴいんだが、その中身に負けない強さというか、理想的な相乗効果が現われる最高の装丁なのだ。

 元々その写真が収録されていた『Quinault』(仲良く京都仲間としてアヤシイらしい(ちがう))京都書院刊が12,427円(サイズはB4。国会図書館からの貸出を「サイズの関係で」断られたことがある。はは)であることを考えれば、充分廉価版と言えるけれども、やっぱり高いし(;_;)、以前渋谷のBOOK1stで見かけた写真集は汚れていて買う気にならなかったのだ。で、でも確実にもう手に入らなくなるというのなら、買うしかでしょう、って潰れる前に買っていれば潰れなかったかもということなんだけれどもね。『そら』シリーズ以降、こういう廉価版を出しまくっていた(ように見えた)ことが祟ったのだろうかとも思うし……。

 というわけで、渋谷。BOOK1st地下1階できくと、まだありました! よかった。2冊あったので、お兄さんが奇麗な方を選んで持ってきてくれたのだった。その時に「光琳社、つぶれたんですか?」ときくと、「自主廃業のような形で」と言われた。やっぱり本当だったのね……。でも、平台にはまだまだ『そら』シリーズなどが平積み。返本しなくてもさばけるのではないだろうか。潰れることが広まれば、なおさら私のように渋っていた(ごめんなさい〜)人間も買いに走るだろうし。ただやっぱりネックは高額写真集だろうけどねって、それがほとんどだってば。

 ついでにパルコブックセンターに行くと、こちらでも『そら』シリーズは平積み。別に自主廃業云々という表示はないけれども、まあ売り切りたいのは売り切りたいんだろうなあ。『UEDA Yoshihiko』が含まれているシリーズ『VISIONS of JAPAN』は2冊ずつぐらい並んでいた。こっちの方がビニールカバー付きできれい(;_;)。パルコで買えば良かったかも。というわけで、買いたい人は渋谷のパルコへダッシュね。『ノスタルギガンテス』に使われているのは、本文一番最初の写真だよ。ああああ、でも、B4で見たいです、コレ……。迫力あるだろうなあ。何しろ、見開きB3だぞ。

 その後古本屋を周って、妙に散財してしまったのだった。うきー。

  • 川島誠『800―TWO LAP RUNNERS』マガジンハウス\\100。1刷。布教用。美本。同じ店で汚れアリの『もう一度走り出そう』が200円だった。こちらは買わなかったのだが、この値段の差は解せん。

  • 神林長平『蒼いくちづけ』光文社文庫\\100。転売用。

  • アーシュラ・K・ル・グイン『ふたり物語』集英社コバルト文庫\\100。転売用。

  • 狩鷹明&小野ぬい(=姫川明=狩野小鷹)『ヒウリ/総集編1』\\600。多分これで3冊目(;_;)。布教用。白土三平風コミカル忍者漫画同人誌の総集編。

  • 狩鷹明&小野ぬい『ALL OF SHIRO』1刷\\200。上記『ヒウリ』の番外編・シリアス忍者同人漫画『焔は風の名の如く』のロマンアルバム(笑)。『焔は風の名の如く』をもとにした同名の漫画が週刊少年サンデーコミックグランプリで準グランプリを獲得した。

  • 狩鷹明&小野ぬい『ALL OF SHIRO』2刷\\200。上記の本の2刷。私がもともと持っていたのはこっち。1刷はクリーム色で、2刷は赤で色違いだったのだ。とりあえずこれらは布教用。

 自分が読むための本は皆無ってあたりが……。メールのシグニチャ「買った本は読まないので、読んだ本だけ買おう」のとおり、読んでない本は買えない私なのだった。布教用の本、欲しい人います?('-')

去年の俺様

May.9,1999 (Sun)

更新、つーか。

 3月からほったらかしだった日記の目次を更新。掲示板もログをカットしました。

なきなあさあああいいいいい、わらいなあさああああい

 というわけで、悔しいときには思いっきり悔しがるのが吉('▽')なのか……。うううう、世話&迷惑かけてしまってすみませんです>Mさん。ありがとうございますだー(;_;)。

古本の値段

 昨夜遅くまで電話していたので、11時半起床。とりあえず今日の活動目標は4ヶ月前の引越のときに箱詰めしていた売りに行く本を本当に売りに行くということである。つーか、さっさと売りに行けよという感じだよな(;と思いながら、段ボール二箱の本をクロネコヤマトの可愛くて大きくて丈夫な紙袋にどかどか詰めていく。やっぱり引越のときは結構大胆に「売っちまえ」とか想ってしまうものだねえ。こんなものまで売る箱に入ってるよ(;とかびびりながらも、一旦売ると決意した本なんだから要するに不要なのだと潔く売る袋行き。例えば須藤真澄のネコマンガ及び連載物近作とか。

 事前に電話で買い取ってもらいたい旨連絡して、自転車の篭に乗っける形で出発。怖いので、自転車は押していく。古書店に持ち込むと、漫画などは揃いでないと買ってくれないらしい(;_;)。私は結構読みたいエピソードが含まれている巻だけを選んで買うようなことをするので、いかんな。今回はたまたま揃いの本が多かったので買ってもらえた。買い取ってもらえないだろうけど、一応ねと思っていた本がやっぱり残った感じ。でも全体で1000円ってのは、買いたたかれたという気がする。昔のバイト先なら、その1.5倍の値は付いていたなあ。あと、全体でまとめて値段を言われるのは、やっぱりちょっと不快。どんぶり勘定でも1冊ごと査定してしい。まあ、不満はあったけれども、重いので他へ持ち込むのは面倒だし、それでOKを出す。ぐー。

 本当は売れ残った本は別の古書店に持ち込もうと思っていたんだけれども、どう考えても屑な本しか残らなかったので、それを持ったまま食料品の買い出し。今週は『きれいになりたい』1999年5月号の1週間メニュー。帰省直後で冷蔵庫もほぼ空っぽなので、始めやすいんだよな(^^;。

MDの値段

 夕方、ツタヤで珍しくCDを3枚借りてしまった。んで、ダビング用のMDを買いにディスカウントストアへ。何も考えずに一番安かった74分5本\900を買う。が、帰宅してCDの収録合計時間を調べると、どれも53分くらい。74分使うのが勿体無い気がして、60分買いに行く。

 が、時間は既に8時すぎ。例のディスカウントストアはもう閉まっているけれども、コンビニで買えばいいやと出直し。ところが、コンビニのMDは高い! 単価がさっきの2倍以上する。普段MDデッキなんて眠らせっぱなしなので平均的な価格というのがよくわからんのだが。そこでツタヤに行ってみると、安売りワゴンに74分がたくさんあったんだが、それもさっきのまとめ買いものの3割り増し。求める60分ものは、なぜか私の74分の5割り増し……。いいや、74分でとってしまおうという気になってしまった。なんか、理不尽。

去年の俺様

May.10,1999 (Mon)

ガラス玉と宝石と(寮美千子『ノスタルギガンテス』)

 というわけで、寮美千子『ノスタルギガンテス』パロル舎について、ジョニイたかはしさんの感想へのお返事……、なのかな?(^^;。
#掲示板でもなくMLでもなくWebで相互にってのをやったことがないので、今一つやりかたがつかめなかったり(;_;)。

 あ、引用は可ですか?(;_;)?

 まず、一つ目。

 一つ目については、どうも言葉とお話自体はすごくいい感じで書かれているん だけど、どうも全体の方向性が今ひとつぶれているというか、むらがあ るような気がして、なんとなく落ち着かない、ということ。これは単純 な感想だ。悪くないのに、いいところもいっぱいあるのに、それが今一 つ報われていないように思えた。

 たかはしさんのおっしゃる「むら」とは違うかもしれませんが(うーん、違うだろうなあ)、物語内での雰囲気の段差といいますか、それはものすごく感じました。主人公・カイの内面世界と、カイをとりまく世界の様相の齟齬です。カイの内面世界―メカザウルスと神殿の樹と琥珀の光の罠などが形作る、硬質で鮮やかに透き通った世界のイメージと、K・U・Aとの間で行なわれる鳥の遊びや、母と街の人々、大人たちなどの世界―ドロドロと湿った、不定形の気味の悪い世界のイメージとの段差があまりに大きいと感じました。が、それは主人公であるカイ自身が、自分の中でしか形作れない強固な内面世界を持っているために、外の世界に対して違和感を覚えざるをえないのだとして受け止めました。というか、この2つの世界の齟齬の書き方も、のちの侵食のされかたも、私が『ノスタルギガンテス』を気に入っている大きな要因の一つです。

 次に、二つ目。

 でも、空想の世界が現実に侵食されてつまらないものにされ てしまったら、にせものにされてしまったら、どうすればいい? 「どうしてこんなことになってしまったんだろう」とつぶやいていればいい のだろうか? そんなわけはないはずだ。少なくとも、「かつてそんな少年少女だった人」のために語る言葉は、それだけではないはずだ。

 いや、それでいいんです(きっぱり)。私的には(^^;。

 『ノスタルギガンテス』は、その喪失をこそ、書いている物語だと思うんですよ。他者の侵略によって、ぼろぼろに崩れてしまった自分の世界の廃墟に呆然とたたずむカイの姿こそ、この物語の書きたかったことではなかろうかと。

 誰でも、かつて子供だったからには経験があると思うのですよ。宝石だと思っていたものが、ただのガラス玉であったと気付かされる瞬間が。自分一人の認識の世界の外二、他者の認識、常識などが存在すると知らされた瞬間です。自分という要素のみで作り上げていた透明な世界に、他の材料が混ざり合い濁ってしまう瞬間。カイが、自分の世界を取り上げられて、1つの名を付けられ、自身も神と祭り上げられながら、決して触れることが出来ないものとなってしまった「ノスタルギガンテス」を呆然見上げる風景、それこそが帯にも引用されていることば、

 生成する廃墟
 世界の裂け目
 記憶の王国
 あらゆる名づけ得ぬ
 廃墟の
 唯一の
 だからこそ無数の名

 ノスタルギガンテス

 の意味するところだと思ったのですが。

 そして、「かつてそんな少年少女だった人」は、この『ノスタルギガンテス』という物語と、カイによって、自分の記憶の底から、それぞれその人固有の、既に廃墟となってしまった、決して誰とも共有することが出きなかった(唯一の、だからこそ無数の)「自分だけの世界」を引き上げて、それを、かつては宝石であったけれども今はガラス玉でしかないものを、見るのです。そこがこのお話の終点だと思うですよ。そのガラス玉を再び宝石にするべく磨きあげることは、この物語の望むところじゃない。

 なので、これは児童文学では絶対にありえないんです<おっと。記憶の底に「廃墟」を持っている人に響く物語だから、「廃墟」がない子供には響かないはずです。

 だから、u-kiさんの読書日記

ただ、この物語はあまりにも救いがない。バラードの救いの無さに匹敵。児童書であるならばもう少しカタルシスのあるムーヴメントを最後に用意してもよかったのではないか?

 カイも写真の男も我々も、ただこの世界──既に滅びているかもしれず、または滅びているそのことを忘れることもできない世界に生きている、っていうのが真実だとしてもそれを突きつけて終わるのはあまりにも悲しい。俺はカイには未来を与えて欲しかったのだが。

 というのも、私的には、それでいいってことになってしまうんですよ(^^;。私たちは、かつて自分が作り上げた記憶の王国の廃墟の跡に生きているんですから。

 三つめ。

そして寮美千子はどうしたいんだろう? 「売れない作家」と自称してしまう 作者は、自分の作品という「神殿」をどうしたいんだろう?

 これについては、ある意味で酷い言い方になるのですが、どうでもいいです(^^;。売れる作家・売れない作家というのは、作者の生活上の問題であって、物語に関わる問題ではないので。というか、私は、寮美千子さんには「売れない作家」などと半ば自嘲気味に(すみません(;_;))称することはやめて、ただ書きたいことを思いっきり書いてもらいたいんです。そりゃ人間霞を食って生きて行けるわけはないので、それでは死んでしまいますがな!ということになってしまうし、現実問題として売れない本は出版社に受け入れられないので、出ないということもある。ですが、私としてはこれからも『ノスタルギガンテス』のような物語を書きつづけて欲しいんですね。はっきり言って、『ノスタルギガンテス』は売れる物語ではないと思います。響く域がかなり限られている。でも、売れんがために物語を変容されてしまっても、私は全然嬉しくないんですよ。私は寮美千子さんが書く「唯一の記憶の王国」の記述再生されたモノを読みたいのであって、名付けられた分かりやすいお話が読みたいわけではない。というか、そうなってしまうと、私には関係のないことになってしまうので……。であればいっそのこと、きっぱりと売れる作家を目指して、売れるものを書くことに邁進してもらった方がいいっす。これは、きっぱり読者のワガママです(^^;。

 なんか、アレな書き方になってしまいましたが、今んところ、こんな感じでしょうか……。

 さあ、相模大野へダッシュ!

去年の俺様
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